経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
解離性障害・解離性同一性障害の診断を受け18年。
一人暮らしも父から離れる事が良策、家庭機能不全でもあったので一人暮らしは精神的には楽でしたが、上階の入居者の深夜帯の騒音で聴覚過敏になり管理会社にも上階の騒音を伝えても改善されず。
ある日、突然の胸の痛みに我慢できなくてかかりつけ医に駆け込んで心電図を念のためにと受けたところ、狭心症の波形と同一と診断されて提携している大きな病院に紹介状を持って更に詳しい検査をした所、冠戀縮性狭心症と診断。
この頃は父は末期癌で入院しており、母には病気の事は伝えても理解できず「なんで?」「どうして?」と質問攻め、解離性障害・解離性同一性障害も理解出来ていない母、冠戀縮性狭心症を患い更に理解出来ないのは私は“仕方ない”と思うことで済ませていた。説明しても責め合う事が多かったから。
父が他界し、実家に戻って3年。
母との関係がうまく行かず、母の言葉が私の心をえぐり、不機嫌ハラスメントの中で変に頼ってくる事もあった。
それでも“仕方ない”で済ませていた私の身に降りかかったのが耳の不調でした。
美容室でビニールのイヤーカバーをつけられた時に耳が聴こえなくなり、会話が困難で咄嗟に頭に浮かんだのが鏡に写る美容師さんの唇を見て何となくこんな会話?と笑顔でカバーでした。
この耳が聴こえないが怖くて、美容室から耳鼻科に直行して検査を受け左耳難聴と診断。
だけど投薬された薬はメニエール病の指定薬で不思議に思っていましたが、数日後にメニエール病の発作が起こり、病名も難聴からメニエール病に変わった。
メニエール病を患って、原点回帰してみた私。
条件つきの愛と父が私を精神的な抑圧・抑制しなければ…
父の言葉や父の私に対しての態度、妹との差別や人格否定もなかったら。
3歳で母が出産と胆石の手術を受けるため、父方の兄の家に預けられていた時も伯母から叩かれたり怒鳴られたり食事を共にすることもなく1人だった。
助けてくれる人もいない、ストレスが何かも最近まで分からなかった。
元々、死にたい気持ちが強くここまで患うと頭にチラついて仕方ない。
これは人災?親が、環境が違っていたら?無条件の愛があったら患わず健全な身体だった?
違った自分を想像して解離の世界に沈む。
救われない本当に。
感想2
ずっと、心が身体に上手くおさまらないような、心身のままならなさと共に暮らしていたことを想像しています。近頃相次ぐ体の不調も、あなたをさらに不安にさせ、より一層苦しい思いを引き起こさせていることを感じ取りました。私もよくそうなるのですが、現実が苦しい状態になればなるほど、勝手に意識が遠のいたり、過去を遡ってしまったり。幼い頃から安心できない環境で耐え抜いて来たあなたには、現実から注意を逸らすことが生存戦略としてインストールされたんだろうと思いました。あなたにも症状があらわれる原因を調べたり、知らされたりする瞬間があったと思うのですが、「ストレス」や「トラウマ」などの言葉を見ると私は何とも言えない気持ちになります。もしあんな過去が無ければこんなことにならなかったのか?とぐるぐる考えて、それと同時に心の奥底から辛いものが湧き上がってくる感じ、これを書いたときのあなたはまさにそんな状態であったのかなと思っていました。
そうそう、私はこの「全てにおいて…」のタイトルがミステリアスだなと思って読み始めて、後に続く言葉はなんだろうなと考えながら読んでいました。タイトルを記入したのはいつのタイミングなのかなあ、タイトルをつけあぐねて、言葉に詰まった様子をそのまま表したのかもしれない、あるいはそれにかかる言葉は本文の中に書いてあるのかもと色々余計なことを考えてました。きっとタイトルは最後の一文にかかっているんだろうなと読み取りました。と堂々と言いつつも、違ってたらごめんなさいです。
誰にも助けられない、自分を危険に晒すものも無くならない、そこから離れられない状態を長年耐え抜き、そこからやっとのことで一人離れられただけでハッピーエンドとはならないのが現実。過酷な環境に適応せんがために独特に変化していった心身を戻すのは、石をやすりで削って整えるような手ごたえだと私は日々感じています。シンデレラだって、エンディングのその先で継母たちから虐待されたトラウマで苦しんでいても不思議ではないと思うのです。
生まれ育つ環境は自分で選べない、だからどうすることもできない。周囲の変化を望むのではなく、「仕方ない」と自分に言い聞かせて、自分の意識状態を変容させて耐えるしかなかったやるせなさといったら、とても容易には表現できるものではないと思います。今もお母さんとの関係は安全であるとは言えなくて、身体もしんどくて、気持ちが落ち込んでしまう、意識が手元から離れてしまうことが少なくないと思うのですが、その時間を縫ってここに言葉を残しに来てくれたことをありがたく思います。解離しているときも、していないときも、できるだけあなたが安全な場所にあったらいいなと思いました。せめて、使い慣れた布団、座り慣れた椅子とか、意識が戻ってきてもびっくりしないような場所ができますように。
感想1
現実に希望や活路を見出せない中で、IFの世界を願ってしまうのは、人間といういきものが想像するという機能を持っている以上とても自然なことのように思いました。これまでどれだけの「仕方ない」があなたの人生に降り積もってきたのだろうと、読みながら考えています。その「仕方ない」はそれ以外に選べない中で自分を落ち着けるための言葉のようで、だからきっと「仕方ない」の数だけ世界が分岐するように、「もしもこうでなかったら」も同時に、あなたに積み重なってきたのだろうと思います。
父親さんからの抑圧をはじめ、親戚の否定や暴力などあまりにもたくさんの苦労の中で、環境や他者を変えることが不可能な弱い立場にあって、解離という症状もまた、あなたに唯一取れるサバイバル手段でもあったのかなと想像しました。極限の恐怖や苦痛の中で解離だけがあなたを現実から遠ざけてくれるものだったのではないかとも感じています。助けてくれる人が見当たらない中で、あなたがあなた自身を助ける方法だったように思ったのでした。
父亡き後の実家でも、母との関係の中でたくさんの疲労とストレスが続いてきたのではないかと思います。メニエール病自体がストレスに関連する部分もあるのかもしれませんが、メニエール病があることで、またあなたの疲労が膨らんでいくという悪循環の状況を感じました。
あなたは周囲にとても気を遣う人なんだろうなと想像しているので、美容室でうまく聞こえなかった時に咄嗟に笑顔で対処したり、それだけでぐったりしてしまうのではないかと考えています。
「ストレスが何かも最近まで分からなかった」というふうに書いてあって、ずっとストレスにさらされてきたら、ストレスがない・低い状態がそもそもわからないから、疲れにも気づきにくいことが多いことを考えていました。私自身も自分にとってなにが刺激になるのか、なににダメージを受けるのか、どんな状態だと疲れているサインなのか、といったことを、大人になってからようやく学びはじめているところだなと思っています。「最近まで分からなかった」とあったので、その中でも少しずつ、自分自身に目を向けてきているところなのかなとも想像しました。
それでも、現在進行形で続いているしんどさの中で、救われるための想像に心が向かってゆくのも最初にも書いた通りすごく自然なことだし、あなたにとってそれが少しでも痛みをやわらげられる瞬間があるなら、生きのびる手段のひとつでもあるのかなと思います。
でも一方では、私はやはり現実のあなたが報われてほしいし、安らぐような瞬間があってほしいと願ってしまうのでした。(解離してゆくあなたも含めて現実のあなたではあるとも思うのですが。)
私も実家にいると調子が悪くなるため一人暮らしをしていて、隣室から聞こえてくる怒声が怖くて引越しをしたことがあります。緊張を強いられる経験を重ねていると、「安全を感じられる」ことのハードルが高く、安全な場所を見つけること自体にもむずかしさがあると思います。個人的には、やはり母親さんとも物理的に距離をとれたらいいのかな……という気持ちもわいてくるのですが、病気や以前の一人暮らしの時の経験などを踏まえて、制約を感じる部分も多いのかなとも感じています。どうかあなたに安心を感じて過ごせる物理的な場所やほっとできるような過ごし方がすこしでも見つけってゆきますように、あなたがあなたを守るために硬くならなくても、ゆっくり呼吸をして過ごせるようなところがありますようにと、願っています。投稿ありがとうございました。