人は「大学に入れば楽になる」「環境が変われば人生も変わる」とよく言う。しかし、私にとって現実はそう甘くはなかった。
高校時代、私は心身ともに限界を迎えていた。朝起きることができず、学校へ向かうことが苦痛になり、何度も欠席を繰り返した。周囲から見れば怠けているように映ったかもしれない。しかし実際は、身体が思うように動かず、自分でも理由の分からない不安に押しつぶされそうになっていた。
それでも高校生活を終え、大学へ進学した。新しい環境なら変われるかもしれないという期待があった。英語を学び、教職課程にも挑戦しようと思った。大学生活は自分を変えるチャンスだと思っていた。
しかし、現実は違った。
授業に出席できる日もあれば、起き上がれず欠席する日もある。レポートや課題は次々と増え、締め切りが近づくたびに焦りだけが大きくなる。眠れない夜が続き、眠れたとしても昼近くまで起きられないこともあった。
「また高校の頃に戻ってしまった。」
そんな言葉が頭の中で何度も繰り返された。
私は自分を責めた。
周りは普通に大学へ通い、友人と笑い、将来について語っている。それなのに自分だけが取り残されているように感じた。
家族との関係もうまくいかず、自分には味方がいない。金銭面の不安、奨学金、単位、将来への焦り。どれか一つなら耐えられたかもしれない。しかし、それらが一度に押し寄せると、自分の中で何かが崩れていった。
恋愛でも悩んだ。
相手を傷つけたくない気持ちは最後まであった。しかし、お互いの距離感や考え方の違いは埋まらず、何度話し合っても変わらない現実に、少しずつ気持ちはすり減っていった。
別れを決断した日も、私は相手を責めるより先に「自分も悪かった」と考えていた。
それが私という人間なのだと思う。
私は誰かを責めるより、自分を責める方が簡単だった。
そんなある日、倒れてしまい、救急搬送された。身体は正直だった。自分では「まだ大丈夫」と思っていても、心と身体は限界を迎えていたのだ。
それでも、人生は止まらない。
大学も、生活も、人間関係も待ってはくれない。
私は何度も「もう終わりにしたい」と思った。
それほどまでに苦しかった。
しかし、こうして自分の経験を書いているということは、少なくとも私は今、自分の苦しさを言葉にしようとしている。
苦しみを消すことはできない。
昨日までの出来事も、後悔も、簡単には消えない。
それでも、自分が感じたことを言葉にすることには意味があると思う。
この経験が何かの成功談になるとは思わない。
「努力すれば必ず報われる」とも言えない。
それでも、一つだけ確かなことがある。
苦しいとき、人は一人では抱えきれない。
だからこそ、自分の弱さを認め、人に助けを求めることも、生きるためには必要なのだと思う。
私は今も答えを探している途中だ。
未来がどうなるかは分からない。
それでも、この文章を読み返した未来の自分が「あの頃は本当に苦しかった」と振り返られる日が来ることを、心のどこかで願っている。
長文申し訳ないです。皆さんにもいつかきっと良くなる日が来ますように。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
置いていけなかった自分
感想2
大学進学のときに「大学に入れば楽になる」「環境が変われば人生も変わる」と思っていたとのことですが、自分もそう考えていたのでつい「わかる…」と口に出してしまいました。私の場合は特に遠方への引っ越しを伴うもので、地元で嫌なことが多かったために「この土地で第二の人生を始めるぞ」と思っていました。
「環境が変わったらもしかしたら…」という期待はそう願わずにはいられないほど、苦しい思いをしてきたということなのかもしれません。でも、私もあなたと同じように「変わっていない(ように見えている?)自分」を大学のときに目の当たりにしました。環境が変わっても結局根本の問題は解決していなかったことに気付かされました。そして、根本の問題に対応しようと私の場合は決めました。
私のそんな経験を含んでの解釈にはなると思いますが、題名の「置いていけなかった自分」というのは、「高校までの自分を置いていけず、結局変わらない自分」という意味なのかなと感じました(ちがったらごめんなさい)。
経験談を読んで「授業に行かないと」「課題をやらないと」と学業に対して真摯に取り組もうとしている印象をあなたに抱きました。自分の知り合いには、本当にやる気がなくて大学に行ってない人(しかも楽観的すぎて危機感がない)や、AIに課題をやらせている人など、物事にあまり熱量を注いでいない人もいます。あなたの場合は、やらないといけない(ように見える)タスクがたくさんあるとしんどくなる傾向ももしかしたらあるのでしょうか…?
「周りは普通に大学へ通い、友人と笑い、将来について語っている。それなのに自分だけが取り残されているように感じた」という点が私としては気になりました。人生ってそれぞれのもので、それぞれのタイミングもあるだろうに、どうして人は「取り残された」と感じるんだろう…と思いました。しんどくてひとやすみしたいときもあるだろうに、それが許されない世の中だとしたら、世の中に余裕がなさすぎる気がしてしまいます。
経験談には「私は誰かを責めるより、自分を責める方が簡単だった」と書かれていますが、そうだとしたら、今までの人生で数え切れないぐらい自分のことを責め続けてきたのかなと感じます。自分を責め続ける人生って、本当につらいんじゃないかなと感じます。
家族との関係もうまくいかず、味方がいないと感じられるなら、もしかしたら身近に「あなたは悪くないよ」って言ってくれる相手もいなかったのかなぁと勝手ながら想像を膨らませていました。正直、あなたの恋愛の話を読んだときも、どうしても価値観が合わないこともあるだろうけど、それは誰かが悪いっていう話でもないんじゃないかな…と思いました。でもそこであなたは「自分が悪い」という方向に考えていたので、私としては「自分が悪い」でも「相手が悪い」でもない、「誰も悪くない」という軸もあっていいんじゃないかと思いました。
感想1
「環境が変われば何か変われるかもしれない」という期待を抱く気持ちに、とても共感しました。新しい場所に行けば、過去の苦しさも少しずつ薄れて、自分も変われるかもしれない。むしろ、そう思いたいし、思わずにはいられない、そんな想いにも縋るような気持ちだったのかなとも想像します。でも、期待が大きかった分だけ、思うようにいかなかった現実は「また同じだ」という絶望に近い感覚を生んでしまうこともあるのかなと感じました。
何か一つの出来事だけなら何とか踏ん張れることがあっても、不安や悩みがいくつも重なり、それぞれが解決しないまま積み重なると、何から手をつければいいのかさえ分からなくなってしまうと思います。そうなると、ひとつひとつは乗り越えられることだったとしても、全体があまりにも大きく見えてしまい、自分だけが取り残されているような感覚になるのも不思議ではないように思いました。私自身も、色々なことが一度に重なった時、「どうして自分ばかり」と苦しさを感じたことがあります。本当は一つずつ整理して考えればいいのかもしれない。でも、苦しさの真ん中にいる時ほど、それができなくなるんですよね。だからこそ、そんな時に“何が一番困っているのか”と、頭の中を整理してくれる人が一人でもいてくれたら、抱える重さは少し違ったのではないかと振り返り思ったので、あなたには今そういう人がいるのかな?と聞いてみたくなりました。
経験談の最後には、「苦しみは消えないけれど、言葉にすることには意味がある」と書かれていました。その言葉に、今の自分を諦めたくない気持ちを強く感じました。きっと答えはまだ見つかっていないのだと思います。でも、こうして言葉にしたことも、人に助けを求めることも、前へ進もうとしている一歩なのだと私は感じました。どうかこれから先、一人で全部抱え込まなくてもいいと思える人や場所に出会えますよう祈っています。