経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

安心を知らなかった私が、生きるということ

私は幼い頃から、家の中で安心して過ごせるという感覚を持ったことがありませんでした。それが当たり前だと思ってました。父から受けた暴力や性的な行為、怒鳴り声や監視、家族との関係の中で、「自分はいつ傷つけられるか分からない」という緊張状態で生活していました。当時はそれが普通だと思い込んでいて、自分がつらいと感じることすら許していませんでした。

そんな私は20歳を迎える今年の5月に転機が訪れました。とあることがきっかけでNPO法人に保護されて実家を離れました。本来であれば安心できるはずでしたが、逆にそれまで押さえ込んできた記憶や感情が一気にあふれ出しました。突然過去の出来事を思い出し、その場に戻ったような感覚になって身体が固まり、息が苦しくなり、身体中が痛くなることがあります。夜は眠れず、眠れても何度も目が覚めます。昼間も頭の中が霧がかかったようになり、何をするにも気力が湧きません。

それまで当たり前にできていたことが、できなくなりました。お風呂に入ること、髪を洗うこと、ご飯を食べること、大学へ行くこと、外へ出ること。たったそれだけのことが、とても高い壁になりました。朝起きても身体が動かず、布団から起き上がるまで何時間もかかる日があります。外に出られたとしても、その反動で2日ほど動けなくなることもあります。

大学では特別支援学校の教員を目指して勉強を続けてきました。学友会の活動やボランティア、教育について学ぶことも大好きでした。しかし今は大学へ通うことも難しくなり、留年が決まりました。頑張りたい気持ちは誰よりもあるのに、身体も心もついてきません。「どうしてこんな簡単なこともできないんだろう」「怠けているだけなのではないか」と、自分を責め続けています。以前の元気だった自分を知っているからこそ、今の自分を受け入れることができません。
また、人との関わりにも強い不安が顔を出してきます。人を信じたい気持ちはあるのに、「迷惑をかけてしまうのではないか」「私がいることで相手を傷つけてしまうのではないか」という思いが強く、人との距離感が分からなくなります。大切な人ほど、自分から距離を置こうとしてしまいます。本当は一人でいたいわけではありません。しかし、近づけば傷つけるかもしれない、また自分も傷つくかもしれないという怖さがあります。

実家を出た今も、「家族を壊したのは自分なのではないか」という罪悪感があります。父が罪に問われる可能性があると聞いたときも、「自分が話したせいで家族を壊してしまった」と思いました。本当は被害を受けた側なのに、自分を責める考え方がなかなか消えません。
生きることがしんどい理由は、一つではありません。過去の出来事による苦しさ、心と身体が思うように動かないこと、将来への不安、自分を責め続けてしまうこと、人との関わりへの恐怖、それらが積み重なって、「生きる」ということ自体がとても大変だと感じています。
それでも、少しずつ支えてくれる人たちと出会いました。ホームの職員さん、大学の先生や学生支援の方、安心して話せる居場所のスタッフさんです。フラッシュバックで身体が動かなくなったとき、「今は安全だよ」と何度も声をかけ続けてくれたこと、自分の苦しさを否定せずに受け止めてもらえたことが、大きな支えになっています。

そして、私にはいつも持ち歩いているシュモクザメのぬいぐるみ「しゅもちゃん」がいます。家を逃げるときも真っ先に抱きしめて連れてきました。不安なときや涙が止まらないとき、しゅもちゃんを抱きしめることで「今ここにいる」と感じられます。私にとっては家族以上に安心できる、大切な存在です。
最近は朝早く散歩に出ることにも挑戦しました。朝の風の気持ちよさを久しぶりに感じ、「まだ知らない世界があるのかもしれない」と思えた瞬間がありました。本当に小さな一歩ですが、その積み重ねが今の私にはとても大きな意味を持っていると信じています。

今も「生きるのがつらい」と感じる日はたくさんあります。何もできず、一日中布団の中で過ごす日もあります。それでも、支えてくれる人たちや、しゅもちゃんとの時間、小さな挑戦を積み重ねながら、「生きていてもいいのかもしれない」と思える瞬間を少しずつ増やしていきたいです。

私にとって生きることは、まだ簡単なことではありません。しかし、苦しさを一人で抱え込まず、誰かの力を借りながら、自分のペースで歩いていくことも「生きる」ということなのだと、少しずつ学んでいます。

感想1

言葉にならないほどの痛みを伴う記憶や、今現在も続く息苦しさの中で、まっすぐに文章を綴ってくれたのだと想像しています。

幼い頃から、いつ傷つけられるか分からないような緊張状態の中で過ごしてきたのですね。それがどれほど過酷で心身を削る日々だったか、気の休まらない苦しい時間だったのではないかと思いを巡らせています。当時はご自分がつらいと感じることすら許していなかったとありましたが、もしかすると、そうして自分の気持ちに蓋をすることで、小さな体を一生懸命に守ろうとしていたのかな、と私は感じていました。

実家を離れるタイミングがあったのですね。今までできていたことが高い壁に感じられるようになるのは、想像以上にしんどいことだっただろうと私は思います。私が布団から出られない時は、つい自分を責めてしまったり、他人と比べて頭の中がグルグルしてしまうのですが、あなたは布団の中でどんな思いを抱えていたのかな…と、ふとお聞きしたくもなりました。

また読んでいて、安全な場所にいるはずなのに過去の記憶に引き戻され、ご自身を責め続けなければならないという逃げ場のない息苦しさが、文章から伝わってくるような気がしています。
以前出来ていたことが出来なくなるのは想像以上の苦しさがあると思いますが、それほどまでに、あなたの体は限界を超えて頑張り続けていたのだと感じずにはいられません。
「自分が話したせいで家族を壊してしまったのではないか」という罪悪感についても、自分を責めたくなる思いがグルグルと巡っているのを想像していました。勝手な私の気持ちにはなりますが、あなたがそう感じる気持ちにそっと寄り添えたらな…と思うと同時に、あなたは無条件に守られる権利があるんじゃないかな…と伝たくなる私がいました。「自分のせいで」と思うほどに、重い荷物を背負わされてきたのだろうと想像しています。あなた自身の責任であることというのは、本当は微塵もないのではないかと私は思ってしまいました。

たくさんの苦しみや自責の念を抱える中で、ホームの職員さんや大学の方々など、あなたの苦しさを否定せずに受け止めてくれる人たちに出会えたのですね。
そして何より、しゅもちゃんの存在は、あなたにとって、とても大切な存在になっているのだと感じます。不安な夜も一緒に乗り越えてきたしゅもちゃんは、あなたのことをずっとそばで見守ってくれていたのですね。
毎日をただ生き抜くことそのものが、途方もない力を必要とすることだと私は感じますが、しゅもちゃんと一緒に、あなたのペースで毎日を重ねていけますように…。勝手な私の気持ちですが、そう願っています。
またいつでも、お話し聞かせてください。経験談の投稿、ありがとうございました。

感想2

安心からかけ離れた環境を家として育ち、NPOに保護されて実家を離れ、そこではじめて家での経験がすこし離れた場所から見えてくるようになったのかなと想像しながら読みました。暴力の只中から離れて安全なはずなのにむしろ「それまで押さえ込んできた記憶や感情が一気にあふれ出し」てくることは、私自身の経験としても、働いているNPOでいろいろな状況から逃げ延びてきた人たちのことを見ていても、すごくわかると感じました。幼い頃に危険の中に身を置くということは、「危険に対応する」ことを軸に自分の生活やあり方を作っていくことなのだと思います。それは物理的に安全な場所に辿り着いてもすぐになくせるものではなくて、すこしずつ重たい武装を解除していくような、安心という実感をはじめて獲得していくための行きつ戻りつの日々があるように思います。
とくに緊張の中で自分を制御してきていると、それをしなくていいとなったときに、ちょうどいいあんばいの緊張ー弛緩のバランスを確保することはむずかしいことを思います。またあなたの文章を読んでいたら、きっとずっとものすごく疲れ果てていたけれど、その疲れを感じる余裕もなかったということなのではないかとも感じました。もしそうだとしたら、気力がわかなくなるのも、当たり前にできていたことができなくなるのは、逆説的ですが、それ自体がすこしだけいまの場所に安全を感じられているからなのではないかとも思うのでした。
大学の勉強や活動のことも読み、あなたは全方位で全力で生きてきたんだなと思いました。家庭の暴力や緊張状態の中では、それと違う自分でいられる大学での勉強や活動は大切な要素だったのかもしれないとも想像しています。そしてそういう生活全体が、ある意味で再編成されたばかりの今なのかなとも思いました。5月に保護されたとあったので、まだ数ヶ月、環境の変化自体はいいものだとしても一時的には大きなストレスになるものだし、目まぐるしい変化の中で戸惑いも大きいのではないかと思います。その一方で、あなたがここまで言語化して、自分の状況を整理して語っていることは、あなたの持っている大きな力のようにも感じました。
迷惑をかけたり、傷つけたりしてはいけないという思いの中では、立ちすくんでしまうような感覚もあるのかなと思うし、それ自体があなたに緊張を強いている部分もあるのかなとも思います。それはあなたがこれまでに生き延びるために身につけてきたスキルなのかもしれませんし、ある意味では呪いのように働いてしまう部分もあるのかもしれません。
親は子どもを安全に育てる義務があり、子どもには義務も責任もありません。だけど、暴力の中で育ってきた人はすくなからず、「お前が悪い」というメッセージを与えられてきてしまっていて、そういうねじれや責任転嫁を、ある意味で受け入れなければ生き延びられなかったということもあるように思います。でも、やはり私には、あなたが悪いとはまったく思えませんでした。
「本当は被害を受けた側なのに」と頭ではわかっていても、向かっていってしまう思考スタイルがあることは自然なことだと思うし、一朝一夕に変わることはむずかしいかもしれないけれど、すこしずつ変化していく部分もあるのかなと思いました。「今は安全だよ」と声をかけてくれる人がいる中で、即座にあなたがモードを切り替えられなくても、実感する経験値みたいなものが溜まっていく途中に今いるのかなと想像しています。
「しゅもちゃん」はあなたにとって大事な仲間なんだなと思いました。自分を今ここに呼び戻して落ち着ける方法を知っていることも大切だなぁと思います。朝の散歩もすてきですね。私自身は依存症や自傷などの中でずっと自分の自分の体を蔑ろにし続けて、意識しないようにしていた部分があったのですが、散歩して風を感じたり、空の色の変化を眺めたり、草花の匂いや色に目を向けたり、歩くという感覚自体を楽しんだり……という中で、すこしずつ自分自身との関係性を再構築しているような気がしています。
この文章を読んで、あなたが読み手にも、すごく気を遣って書いてくれたんじゃないかと想像しています。ここに書いてあることはとても真剣な言葉で、こうして受け取れたことをありがたく思っています。
「生きる」ことを学び実感していく中では、怒りが突然出てきたり、不安や絶望が顔を出したり、きれいな言葉では表現できないような苦しい感覚になったりすることもあるのではないかと思います。そういうときにも、よかったら、またこのアプリを使ってみてもらえたらと思っています。
あなたが安心を感じてくつろいでいられるような機会や関係性や場所が、これからたくさん見つかってゆきますように。心から願っています。
この場所にきてくれてありがとうございました。また、待っています。

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