経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

気にしないという対処法について

もう何年も前ですが、幻聴に悩んでいました。
最初の幻聴は攻撃性がなかったんですが、だんだん攻撃的な発言が多くなって。色々周りに迷惑かけました。最初の一年、二年?はずっとうるさくて、気分も沈んで人生について何回も考え直したこともあります。

 幻聴を気にしないという対処法について
これは個人の感想ですが、自分は幻聴の言葉を認識しなくなりました。
でも、ふとした時意識すると、やっぱりうるさいんだな。そのうるささは幼少期、怖い話を思い出した夜の沈黙の音に似ているような気がします。

 気にしないをずっと続けても、いずれ決壊して、また立て直してを繰り返している気がする。意識をそらすって結構難しい。特にネガティブがループする思考の時は。でも意識そらせた時は楽なのは確か。

 色んな場所で迷惑かけて物申す立場じゃないけど、話したいから、意識そらすために。ほんとすまんね。

感想1

蠅の飛ぶ耳障りな音も怒鳴り声も、鼓膜さえ揺らさなければ無いも同じ。外から聞こえる音は耳栓をしたら聞こえなくなりますが、自分の中から響く声はそうはいかないのが難しいところです。聞きたくなくても、起きている間中ずっと頭に響く嫌な言葉たちとともに生活していくのはとてつもなく苦しいことだと思います。お叱りを聞くよりも集中したいことだってたくさんあるし、嬉しい気分も台無し。耳を塞いでも頭に直接伝わってくる心無い言葉たちが、命を削ってくるような思いをしていたのではないかと考えていました。

私自身も小さい頃から、いないはずの誰かの目線や声や温度を感じながら暮らしているのですが、この人たちは本当にうるさいです。色々悩んだ末、私もあなたと同じく「気にしない」という結論にたどり着きました。常に聞こえてくる言葉は冷蔵庫のノイズと同じだと思って、言葉ではなくただのリズミカルな雑音として処理するようにしています。しかし、不意にうるさいことを再認識してしまったり、音を言葉に変換してしまったりするときもあります。あなたの言う通り、たしかにそれは気分が落ち込んでいるときに起きることだなあと思いました。そして、声に焦点を当てないように意識を必死で逸らしているということも同じです。

あなたは普段何をして気を逸らしているんでしょうか。私はとりあえずいつもイヤホンで音楽を聴いています。文章も書くし、お話もします。うまい具合に気が逸らせるようなら、ぜひまたここに来てください。

感想2

幻聴は国や地域の文化の違いによって、攻撃性の有無や内容が異なるという話を聞いたことがあります。あなたの経験談を読んで、そのことがふと頭に浮かびました。この思考も私の自動的なもので、文章にするときにはある程度意識して組み立てたり削ったりということをするけれど、なにを感覚し意識するかという取捨選択はコントロールがとてもむずかしいものだということを感じます。
気にしないことも完全にはむずかしいけれど、あなたにとってたしかに有効な手段でもあるということなのかなと思いました。「怖い話を思い出した夜の沈黙の音」それはすごくわかるような気がします。ないと思っても聞こえてしまう、普段なら意識しないようなさまざまな音。(これでまた思い出しましたが、日本では「虫の声」を心地よいものと扱う歴史があるけれど、たんに雑音と感じる国や文化もあるらしく、そんなことすら絶対的ではないんだなと思います。)
私も幻聴ではないのですが、頭の中で「死にたい」などの独語がとまらずどうしようもなくなることがあります。そんなときに考えを無視するのもむずかしいのですが、それ自体が自分の調子のバロメーターのようにも感じています。
こうやって書くこともまた、あなたの生存スキルなのかなとも思い、それも含めてあなたの生存方法を教えてもらったような気がしました。投稿ありがとうございました。

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