経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

色んなトラウマが重なって。

普通に生きたいだけなのにそれが出来ない。。

幼少期から、両親は共働きで家にあまりいない環境で
そのストレスからか、兄から性的被害を受けてました。
当時私は、良くないことをしているとは何となく気づいているけど
他にすがる人がいなく、両親にも何となく言えずずっと心にしまったまま。
小学生から中学入るぐらいまで続いていました。

小学生の頃も、鍵っ子でいつも家に人がいない状態。
気の合う友達は居たけど、悪口を言われても親には言えず、その時の記憶は曖昧で。
その時から心を閉ざしていました。

そのまま高校に上がり、母親は過干渉でヒステリックでいつも家は荒れてました。
私も荒れていて、吐き出せない想いが募ってその頃から希死念慮はありました。

いざ大学生活だと思っていたら、入学する数日前に母親が倒れて、死ぬ寸前で何とか命を取り留めしたが目を覚ましても朦朧としていて。
父もバイトを辞めて家のことをやって欲しいと。
兄も家を出て連絡もあまり取れず。
しっかりしなきゃと自分を奮い立てて、母親の病院へ毎日通い、父と自分のお弁当とご飯などの家事。
大学生活を過ごしながら続けていました。
母親が退院してから、色んな不安とかストレスで家に帰らない時もあり。
両親からの100件の電話履歴や、思いやりのない子に育てた覚えはない等の言葉。
あたり前ですが、みんな母親を心配するばかりで、私の心のケアは誰も何も気にせず。

そのまま、社会人になり。親孝行をしなければならないと正社員でがむしゃらに働き。
お金で色々還元しようと努めてましたが、
それから身も心も折れ完全に働けなくなりました。
鬱病かもしれないと親に相談しても、そんなはずはない!!!と怒られ拒否。
手当をもらいながら半年ほど休んで、そろそろ働いて欲しいと言われて就職しましたが、
仕事が合わず1年半ほどしか続かず。

重荷を感じず働きたくなり派遣へ移行。
その時に父はパーキンソン病になり不安は募る一方。
派遣では続いていましたが、色々あり実家へ帰る事を決め、住むとまた鬱へ逆戻り。
現在母親は癌にもなり。
私は会社が業績が悪くなり仕事が無くなりそうで、転職活動中。
鬱で生活するのもギリギリな状態で、両親のことも心配だけど、自分も生きていけるか不安で生きていく自信も落ちていっていて。

恋愛や友人関係もこういう人生なので、上手くいかず。それでまたトラウマになり。
上がったり下がったりすごく不安定で生きづらいです。

感想1

読んでいて、ずっと誰かのために頑張り続けてきたんだなという思いが強く残りました。幼い頃のお兄さんからの性被害も、お母さんが倒れた時のことも、お父さんの病気も、一つひとつだけでも心が大きく揺れる出来事だったはずです。それでもそのたびに、「自分がしっかりしなきゃ」と家族を支え、大人になってからは正社員として働いて親孝行をしようと頑張ってきた。その姿を想像すると、本当に長い間一人で背負い続けてきたのだのだと思うし、今あなたが不安定になるのも当然のことのように感じました。
子どもや若い世代が、病気や介護、家事など家族を支える役割を担うことは、今では「ヤングケアラー」という言葉で知られるようになりました。でも実際には、家族だから当たり前と周囲から気づかれず、その子ども自身の苦しさは置き去りになってしまうことも少なくありません。あなたもまた、周りから見えるのはお母さんの病気やお父さんの状況で、その隣で必死に支えていたあなた自身を気にかけてもらえる機会は、とても少なかったのだろうなと、読んでいて伝わりました。あなたが家に帰らなくなったこと、私は反抗というより、それまで必死に頑張ってきたあなたがようやく見せた限界のサインだったように感じます。その時も、大学生活を送りながら家族を支えていた時にも、誰か一人でも、「大丈夫?」と心配をしたり「十分頑張っているよ」と支えてくれる人がいてくれたら、と少し違っていたのかもしれないと勝手ながら思ってしまいます。
本来、家庭は安心できる場所であってほしいけれど、その家族の中で傷ついた経験は、「人を信じること」や「頼ること」の土台まで揺らしてしまうことがあります。それでもあなたは誰かを責めるのではなく、親孝行をしようと正社員として働き、お金という形で家族に恩返しをしようとしていて。迷惑をかけてはいけないという思いを、ずっと抱えているのかなと想像しています。家族のために頑張ること、期待に応えようとすること、そのどれもが悪いことでなく、むしろ称賛されることなのだと思います。でも、その裏であなた自身がしたいことや、本当はこう生きたいと思う気持ちはどこに置いてきてしまったのだろうと考えずにはいられませんでした。だからこそ、これからは少しだけでも、家族のためではなくあなた自身のために選ぶ時間があってほしいと、心から願っています。経験談の投稿ありがとうございました。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。“一つの出来事がつらかった”というより、子どもの頃から何度も何度も、自分より誰かを優先し続けなければならなかった人生だったのだろうと想像しながら読ませてもらいました。本当であれば安心して守られるはずの家庭の中で起きてしまった被害、しかも幼いあなたは誰にも言えなかったという現実、その時点で、安心して助けを求める土台が大きく揺らいでしまったのではないかなと感じました。さらに、鍵っ子として過ごした時間、学校で傷ついても家では話せないこと、お母さんのヒステリックな様子……そのどれも一つひとつだけでも子どもにとっては大きな負担なのに、それが重なり続けていたことがあなたの今の不安定さに影響しているようにも感じます。
そんな日々の中で、ようやく自分の新しい生活が始まる時期に、お母さんが倒れ、病院への付き添い、家事、お弁当作りを担い、「しっかりしなきゃ」と自分を奮い立たせていたけれどその時、周りの大人はみんなお母さんの命を心配していたところに何とも勝手ながら胸の詰まる思いになりました。その状況を支えていたあなた自身のことは、あまり見てもらえなかった上に、「思いやりのない子に育てた覚えはない」という言葉まで向けられたと書かれていて、どこかであなた自身が弱ればここまでの思いをしなくて済んだのだろうか……と思わず考えてしまいました。
社会人になってからも、「親孝行しなければ」という思いで働き続け、心身が限界になって初めて「もう無理だ」と感じたものの、それでも、うつかもしれないという訴えを否定されてしまったその流れを読むと、苦しくても頑張ることが当たり前になっていて、限界を迎えても「休んでいい」とはなかなか言ってもらえなかった人生だったように私には映りました。そして今もなお、お父さんの病気、お母さんのがん、自分自身の転職活動が重なっていて…それが同時に押し寄せている状態を考えると「生きていく自信が落ちていっていて」という言葉が、とても現実味を持っているし、やりきれなさのようなものも伝わってきました。
恋愛や友人関係がうまくいかなかったことについても、あなた自身に問題があるというわけではなくて、幼い頃から「安心して誰かに頼る」「自分をそのまま出す」という経験を積む機会があまりなかったことも理由としてあると私は思います。何度も傷つく経験を重ねると、人を信じたい気持ちと、また傷つくかもしれない怖さが同時に存在するのは当然のことです。
あなたが弱かったからここまで苦しくなったということでは決してなく、長い間“支える側”であったり、“我慢する側”を引き受け続けてきて、子どもだったあなたが抱えなくてもよかった責任まで抱えながら、ここまで生き抜いてきたことが大きいのではないでしょうか。その積み重ねによる影響はそう簡単に切り崩せるものではないと思いますし、だからこその苦しさはこれからも続くかもしれませんが、この先ほんの少しでも安心してホッと息つける時間や、自分のことで精一杯になっても責められない生活が訪れることを強く願っています。また必要に感じられた時はいつでもここに声を届けてください。

お返事

メッセージありがとうございます。
共感していただいて、私の細かい気持ちを代弁していただいて涙が溢れてきました。
最近父親に自分の今までの思いを伝える事ができて、自分の回復に専念できるようになってから今は少し心に余裕が出てきて、転職活動も少しいい方向に進んで来たところです。

今まで我慢が通常だったので、それが出来なくなった今生き方を変えないとと思って色んな壁にぶつかっています。
色々自分の感情を感じられるようになってから、逆に両親の病気のことですごく急に怖くなったり、分離不安のようなものが出てきたりします。
いつ症状が悪化するか分からない、いつ死ぬか分からない、健常者とは違うのでその恐怖と
私自身も精神疾患で、思うように家族のサポートも仕事も全力で取り組めない。
もどかしさと、新たな自分を受け入れる事と、どう生きていけばいいのかまだ分からない状態で、不安になったり焦ったりしてしまいます。

それでもこうやって吐き出せるところ、聞いてもらえるところがあると言うだけでも心の支えになるなあと思っています。
私はカウンセリングが定期的に必要な人だと思うので、そういう自分も受け入れられたらいいなと思っています。

本当にありがとうございました。。!

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