経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
病院に行こうにも
* 人と話すこと自体が苦痛
* 自分の状態を説明するのが難しい
* 病院に足を運ぶ気力がなかった
* オンライン診療では十分な支援を受けられなかった
もう8年近く死にたくない日は無く、毎日のように具体的な方法まで考えるようになる始末で、こんな状態で生きていくなんておかしいと思って病院や家族に相談しても上手く説明できず何も解決しませんでした。
抗うつ剤を飲んでも希死念慮は消えず私はずっとこのまま生きていくしか無いのか、生きている限りこのままなのかと思いました。抗うつ剤を飲むと比較的楽ではありましたが、家族の理解は得られず、自分が大袈裟に騒いでしまったようで酷く恥ずかしく感じ、飲むのをやめました。
私は頭が悪く、ミスが多く、人との交流が下手で、きっとどこに行ってもだめなんだと思いました。実際はどうかわかりませんが私はそう思いました。周囲の人に「いつかできるよ」と言われても全く信じられませんでした。実際いつまで経っても改善しないので自分に失望しました。
感想2
無味乾燥を表したようなタイトルには、あなたのなかでの「やれるだけのことはやったのに…」、そんな思いが込められているように感じながら読みました。
簡潔に自己分析のように挙げられている4つの要素には今現在だけではなく、これまでも生活や人生のなかであなたが感じてきたことのようにも思えました。もしかしたらそれは8年という歳月のきっかけだったり、その年数を費やすに至る要因でもあったのかなと勝手ながらに思ってしまった私がいます。
家族の理解が得られないなかで頼った病院でも同じように解決の糸口が見つからないような実感をもったとなると、どこか杓子定規的に対応されているとなってしまいそうですし、たとえそこに薬効で比較的楽になった実感があったとしても自身のなかで好転を感じるのは難しいことのように思えました。
文章全体を通して、家族との関係性や病院での描写が書かれているなかで、説明することの難しさや人との交流が苦手とあるように、自己開示や対人関係の場面での難しさがあなたのなかに深く根差しているのかなと想像しました。薬を飲むことをやめたのには(もちろん親御さんのまなざしもあるかとおもいますが)、あなた自身が求めていたものが他者からの受容や安心だったからなのかなとも。。。(違っていたらすみません)
個人的には辛さやしんどさと向き合うために医療の支えを頼ることは一つの手法だと思いますし(というか私もそうしています)、医療に限らずこの場所に気持ちを書きにきたのも一つの手法だと考えると、使えるものはまだ使っていないものも含めて頼りながら徐々にでも歩みを進めるのでもいいように私には思えました。
感想1
投稿ありがとうございます。
「自分の状態をうまく説明するのが難しい」がとても印象的でした。同時に、なんだかわかるなぁとやんわり感じる部分もあります。
「つらい。」「苦しい。」それは確かなのだけれど、いざご家族や病院の人を相手にするとそのつらさや苦しさがうまくまとまってくれないような、頭が真っ白になるような、そんな感覚が当時の私にあったことを思い出し、あなたもそんな感じなのかな?と個人的に感じているところです。
あなたのつらさや苦しさを抱える現状に対し、ご家族の理解が得られないこともあなたのつらさを助長させているのかなと感じました。服薬することで比較的楽になる事実があっても周囲の雰囲気がそれをさせまいとしているように感じ、また、あなたがあなた自身を守るための行動をその雰囲気が妨げているようにも感じました。あなたの抱えるつらさは他の誰かに測れるものではないのではないか、と私は思っているので、あなたが自身を守るために起こした「服薬」という行動は「大袈裟じゃないし、恥ずかしいことじゃないよ」って伝えたいなと思いました。
毎日を積み重ねていく間の「ごくわずかな変化」って本当に気づけないものだな、って私は最近で何度も痛感させられる出来事がありました。あなたの思う「改善」がどのあたりにあるものか私には想像できないけれど、毎日のそれが「改善」につながっているといいな、と思いました。