経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

自分の幸せがわからない

私は子どもの頃から、人にどう思われているかを強く気にする傾向があります。

小学生の頃は活発な方で、おとなしい女の子ではありませんでした。そのためか、理不尽だと感じるような形で怒られたり注意されたりした記憶が今でも残っています。今振り返れば先生方も大変だったと思うのですが、当時の私は「自分は悪い子なのかもしれない」「また怒られるかもしれない」と感じることが多かったように思います。

中学校は校則が厳しく、怒鳴る先生も多い環境でした。中学3年生の頃、先生が大きな声で怒鳴ったことをきっかけに、怖いという感情よりも先に頭や体が反応するようになりました。それ以降、怒鳴り声や強い口調に対して過敏になり、高校でも先生の声が急に大きくなるだけで体がびくっと反応してしまうことがありました。

昔から失敗することや怒られることに強い恐怖があります。そのため、人よりも先回りして考えたり、失敗しないように自分を厳しく管理したりする癖があります。

現在は社会人2年目です。研究開発に近い仕事をしていますが、自分が何を目的に仕事をしているのか分からなくなったり、上司の意図を理解しきれなかったりすることがあります。そのたびに「自分の理解力が足りないのではないか」「周囲は呆れているのではないか」と強く不安になります。

仕事で少しでも間違えたり、周囲と認識がずれていたりすると、何日も引きずってしまいます。周りから見れば普通の指摘や助言であっても、自分の中では「期待を裏切った」「能力が足りないことがばれた」と感じてしまい、とても苦しくなります。

また、自分で考えて行動することが求められる場面で、自分の考えに自信が持てません。上司から指示を受けても、その背景や目的を十分に理解できないまま進めてしまい、後から「本当は何をするべきだったのだろう」と悩み続けることがあります。

一方で、自分なりに一生懸命考えているつもりなのに、それでもうまくいかないと、自分が怠けているのではないか、自分が甘いのではないかと責めてしまいます。

私は昔から、人に認められたい気持ちが強いです。ただ、誰に認められてもいいわけではなく、自分が信頼している人や尊敬している人に認めてもらえないと安心できません。

人に頼ることも苦手です。本当は助けてほしいのに迷惑をかけてはいけないと思ってしまい、一人で抱え込みます。そして限界になってから不安や苦しさがあふれてしまいます。

恋愛でも同じような傾向があります。相手を大切に思う一方で、不安になると安心できるまで確認したくなります。最近長く付き合っていた恋人と別れましたが、その出来事を今も引きずっています。

私は相手と将来を真剣に考えていたつもりでしたが、自分の気持ちをうまく伝えられず、結果として関係がうまくいきませんでした。別れた後も「自分が悪かったのではないか」「もっと違う言い方ができたのではないか」と何度も考えてしまいます。

最近は眠りが浅く、夜中に目が覚めたり、夢をたくさん見たりします。休みの日でも疲れが取れず、何もできない日があります。以前は楽しめていたことも楽しめなくなり、自分の幸せが何なのか分からなくなることがあります。

私は自分を認めることが苦手です。

人から「頑張っている」と言われても素直に受け取れません。自分を許したら怠けるのではないか、自分を認めたら調子に乗るのではないかという不安があります。そのため、常に自分を監視し、もっと頑張らなければならないと思っています。

周囲から見れば大きな失敗をしているわけではないと思います。進学も就職もして、社会人一年目から一人暮らしも続けています。しかし、自分の中には常に「もっとできたはずだ」「今のままでは駄目だ」という感覚があります。

安心して休むこと、人を信頼すること、自分を認めることがとても難しいです。

今は仕事のこと、将来のこと、人間関係のこと、恋愛のことが重なり、自分でも何が一番つらいのか分からなくなっています。ただ、毎日強い不安や孤独感を感じていて、一人で抱えることに限界を感じています。

感想1

今仕事で感じている苦しさは、社会人になって突然始まったものではなく、子どもの頃から少しずつ積み重なってきたもので、その苦しさを少しずつ言葉にできるようになって、どうにかしたいと、自分自身を振り返っているように感じながら読んでいました。
人は強い恐怖や緊張を繰り返し経験すると、「もう傷つきたくない」という気持ちから、頭で考えるより先に体が反応してしまうことがあります。それは決して弱いからではなく、自分を守ろうとしてきた結果でもあるように私は思います。中学生の頃の経験はそれに近いような気がしました。だから今、上司からの指摘や認識の違いに人一倍苦しくなったり、期待を裏切ったと感じてしまうことも、今の仕事だけを切り取って考えることはできないのではないかと思いました。
世の中では“失敗から学べばいい“と言われることは少なくないですが、そうだなと思う反面、でもそれは安心して失敗できる土台がある人だからこそ受け止められる部分もあるように思います。過去の経験から「失敗=自分を否定されること」と感じるようになっていたら、一つの助言であっても心の中では何倍もの重さになってしまうこともあるように思います。私も、一度強く否定されたり失敗した経験は何年経っても体が覚えていて「もう同じ思いをしたくない」と思えば思うほど慎重になってしまったり緊張してしまったり。その反応は、気持ちだけではどうにもできないこともあるのだと感じています。
あなたは何度も自分を責めていますが、私には、そのようには映りません。むしろ、失敗しないように、人に迷惑をかけないように、自分を厳しく管理し続けてきた人だからこそ、こんなにも苦しくなってしまったように感じます。
認められたい気持ちも承認欲求が強いというより、「安心したい」という気持ちが強いんじゃないかなと私は勝手に思いました。信頼している人に「大丈夫」と思ってもらえたら、ようやく自分を責める気持ちを少しだけ緩めることができる。でも本当の自分を出すことは、“否定されるかもしれない”という恐怖が一緒について回るもので、だからこそ人に頼ることも、自分の考えを伝えることも怖くなって当たり前だと思います。でももし、「この人になら話してみてもいいかもしれない」と思える人がいるのなら、限界を迎えてしまう前に、ほんの少しだけ頼ってみてほしいなと勝手に思ってしまいました。どうか、安心できる時間が少しでも増えますように。投稿ありがとうございました。

感想2

自分の行動を見張るような鋭い眼差しがあなた自身の中にあるのかなと思いながら投稿を読みました。そしてそれはもしかしたら、もともとはあなたを困らせるものというより、子どもの頃に理不尽に怒られたり注意されたりすることが続いた中で、あなた自身を守るための眼差しだったのかなとも想像しました。ただ、合わせなければいけない規範は多くの場合は単純ではなく、その時々のさまざまな相手や環境となると、なにが正解でなにをすべきかを完全に判断することはとてもむずかしくなると思います。そんな中で、その眼差しは過剰にあなたを責め続けるような形にならざるをえなかったのだろうか……と考えていました。
学校での理不尽な叱責は、教育としてみても百害あって一利なしだと個人的には思います。それでもいまだに統制的、管理的な教員の行動が良しとされる風潮はなくなっていないのかなと思うと、なんだかままならなさを感じてしまいます。
文章全体から、あなたが困っていることや苦労していることが丁寧に言語化されていることが印象的でした。こんなにも言葉になっていて、それでも認識や自分の思考を変えることがむずかしいから、途方に暮れるような感覚もあるのかなと考えていました。あなたはきっと真面目な人なんだろうなと思います。さまざまな課題感を受け流したり、傍に置いておいたりというより、すべて真正面からとらえるからこそ、こうやって言葉になるようにも思うし、でも一方では参ってしまうような部分もあるのかなと思って読みました。

「周囲から見れば大きな失敗をしているわけではないと思います」という一文は、主観だけでない周囲の視野から自分を捉えたものだと思うのですが、そう頭では思っていても、あなたに強い自己批判がつきまとうのにはどんな背景があるのかなぁと気になっていました。
そう思って読んでいてひとつ文章から感じたのは、あなたの中で「わからない」という感覚がそもそも根強くあるのかなということでした。また逆にいうと、確定的な正解や完璧な方法があるはず、という感覚が前提にあるようにも感じました。上司にしても、会社の環境にしても、パートナーにしても、同じ人であっても、感覚はその時々で変わるし、複数人いれば完全な期待通りや正解なんて存在しないことのほうが多い気がします。
ちなみに私は発達障害があって、そもそも周りの人の「当たり前」を読み取るのがやや苦手です。だから、昔はだれかに怒られては一人反省会をたくさんしていました。実際のところあなたの場合は他の人と比べて、あなたがどのくらい先回りして考えないと困難な状況になるのか、あるいは実は、そうしなくても案外困らずにいられるのかはわからないのですが、あなたの文章からはなにか「正解」以外は「不正解」で、しかもその「正解」はとてもハードルの高い、完璧な何かとして捉えられているように感じたのでした。

人を信頼することも難しいとあったのですが、同時に自分自身も信用ならないものという感覚があるのかなぁと想像しています。しかし信用や信頼って、どういうふうに培っていけばいいのかすごくむずかしいものだとしみじみ思います。安全に試し安全に失敗をすることは、自分のリアルな限界や得意不得意、興味や心のありようを理解し、その中で自分自身への実感と信頼を積み上げていくためにとても大事で、だから本当は子ども時代にそういう経験を与えられることは必要不可欠だと思っています。だけど私も含め多くの人にはその機会が不足したまま、大人にならざるを得ない状況があるようにも感じています。もう大人になってしまった私たちは、どうしていけばいいのでしょう?私にも絶対の答えはわからないままですが、(私たち)見知らぬ他者に届くような形で経験談を送ってくれたのも、リスクの少ない形でなにかこれまでと違う方法を試す一つだったのかなとも思いました。

今はご自身でも書いているように、仕事や人生、恋愛などさまざまな要素が重なり、どこから紐解いていいかわからない状況にあるのかなと思います。限界を感じたときに、あなたの思いをシェアしてもらえてありがたく思っていますし、もしかしたら、限界を感じるよりすこし前くらいでシェアしてもいいのかも?とも思いました。あなたがそうできる場所が他にもすこしずつ増えていったら、すこしは悩みを忘れて眠れる日も増えるのかなぁと考えています。

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