経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
小学生の頃に初めて死にたいと思い、中学、高校、社会人と何度か鬱病の診断を受けて今に至ります。去年新卒で入職した職場も鬱で半年で辞め、以来投薬治療中です。
環境を変えても、自分を受け入れ好きになる努力をしても、いつも気付くと体調を崩して、鬱に戻ってきてしまいます。
この肉体、脳で生きることに限界を感じます。
二ヶ月前に友人を自死で亡くしました。
あんなに優しくて可憐な子が傷付いて、いなくなってしまうなんて。この世界はなんて空っぽなんだと寂しくて悲しいと同時に、彼女はもう何も感じず考えずにいられることを羨ましく思ってしまう日もあります。
なんで自分はまだここにいるのか。何をまだ期待しているのか。それでも生まれてきたのだから何か人の役に立ちたい。自分が死んで、臓器を使ってもらうのはどうだろうか。
そんなことをぐるぐると考えては、自分が情けなくなります。
親はそんなことを望んではないのに、そんなことを望んで育ててくれたわけではないのに、自分はなぜいつも死にたいと思ってしまうのか。
飲酒量が増え、気がつくと道端に座り込んで泣いています。酔っ払ってスマホに書いたメモにはいつも同じ言葉が並びます。
「全部くだらない」「まだ生きているのか」「ゴミなのに」「死ねば全部終わりなのに」
後で見返して、これがやはり自分の本心なのだと実感すると、なぜか少し安心します。
運動、カウンセリング、投薬、ヨガ、転職、勉強、断酒、留学、お祈り、、、
何年もの間、自分を変える手は色々尽くしたつもりでした。
足掻いて最後に残ったのは、自分からは逃げられないという残酷さです。
友達や家族に対しては、そんな風に思わないのに。変ですね。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
何年もの間、ずっと何かを変えようと様々な手立てを尽くしてこられたのに、なかなか変わらないという行き場のない思いが、文章から伝わってくるような気がしています。あなたの思いを真っすぐに綴ってくださったこと、しっかりと受け止めたい気持ちです。
何年もの間、運動やカウンセリングなど、多岐にわたる方法をご自身のために模索してきたのですね。それほどまでに数多くの行動をとられてきた背景には、あなたが「どうにかして自分を受け入れたい」「人の役に立ちたい」と思う強いエネルギーがあるからなのかな…と、勝手ながら感じていました。(違っていたらすみません)それでも体調がもとに戻るのは、ご自身の許容量を超えた環境に対して、「これ以上は無理をしないで」と心と身体がストップサインを送ってくれているのかもしれない…と私は感じました。
また、スマホに書いてある言葉を見て安心する瞬間もあるのですね。スマホのメモを眺める時間は、無意識に引き締めていた糸を少しだけ緩めて、その時だけはありのままのご自身の気持ちと向き合える大切な時間になっているからなのかな…と感じています。いつもメモには同じ言葉が並ぶとのことでしたが、それらの言葉は、私はあなたの心の叫びの言葉のように感じましたし、その言葉を書き出す時間・見る時間が、あなたにとって少しだけ心がホッと安心できる唯一の時間になっていたりもするのかなと読んでいて感じました。
この文章を送ってくれてから少し日が経ちましたが、今はどんな風に過ごしているのでしょうか。周りに安心して気持ちを話せる人はいたりするのかな…とか、あなたにとって「生きること」って、どんなイメージなのかな…と、勝手ながらお聞きしたくなっている私がいました。またいつでも、あなたのペースで、ちらっと覗きに来てもらえたらと思っています。投稿ありがとうございました。
感想2
度重なる心身の不調により、自分の意思とは関係なく生活を変えざる得ない。症状とは別に、自分自身の思いも溢れ苦しさや辛さがどんどんと重たくなっていく。友人の自死は、あなたの心中をさらに悲しく複雑にさせたものとも思います。
幼いころから漂っている、「死にたい」という気持ちの取り扱い方法にあなたはずっと戸惑ってきた。小学校などでは怒りや悲しみへの向き合い方は教えてくれているのに、「死にたい」という言葉や思いはなぜか無いもの、いや「持ってはいけない」ものと触れることさえ無かった気がします。役に立たない自分、死にたいと思ってしまう自分、社会にそれを許してくれる場所が見当たらないから、あなたは長いこと自分を否定せざる得ない気持ちとなっているのかと想像します。
自分自身に困り果て、道端で泣いているあなたを思い浮かべるだけで胸が苦しくなる思いです。死にたいと思いながら、生きるのがそんなに悪い事なのだろうか。あなたが変わらなければならない理由は、どこにあるのかと考え込む私がいます。家族に対して、そう思わないのは、自分に向けるほど厳しい目を向けていないからなのかと思います。罰するように自分自身に強い眼差しを向けることは消耗も加速させ、焦りを募らせるような気もします。逃れられない自分自身との付き合い方、どんな方法があるのか一緒に考えてみたいと思いました。投稿ありがとうございました。
感想1
経験談の投稿ありがとうございます。
何年もの間、ずっと何かを変えようと様々な手立てを尽くしてこられたのに、なかなか変わらないという行き場のない思いが、文章から伝わってくるような気がしています。あなたの思いを真っすぐに綴ってくださったこと、しっかりと受け止めたい気持ちです。
何年もの間、運動やカウンセリングなど、多岐にわたる方法をご自身のために模索してきたのですね。それほどまでに数多くの行動をとられてきた背景には、あなたが「どうにかして自分を受け入れたい」「人の役に立ちたい」と思う強いエネルギーがあるからなのかな…と、勝手ながら感じていました。(違っていたらすみません)それでも体調がもとに戻るのは、ご自身の許容量を超えた環境に対して、「これ以上は無理をしないで」と心と身体がストップサインを送ってくれているのかもしれない…と私は感じました。
また、スマホに書いてある言葉を見て安心する瞬間もあるのですね。スマホのメモを眺める時間は、無意識に引き締めていた糸を少しだけ緩めて、その時だけはありのままのご自身の気持ちと向き合える大切な時間になっているからなのかな…と感じています。いつもメモには同じ言葉が並ぶとのことでしたが、それらの言葉は、私はあなたの心の叫びの言葉のように感じましたし、その言葉を書き出す時間・見る時間が、あなたにとって少しだけ心がホッと安心できる唯一の時間になっていたりもするのかなと読んでいて感じました。
この文章を送ってくれてから少し日が経ちましたが、今はどんな風に過ごしているのでしょうか。周りに安心して気持ちを話せる人はいたりするのかな…とか、あなたにとって「生きること」って、どんなイメージなのかな…と、勝手ながらお聞きしたくなっている私がいました。またいつでも、あなたのペースで、ちらっと覗きに来てもらえたらと思っています。投稿ありがとうございました。