職場の上司と上手くコミュニケーションが取れず、何を言っても怒らせてしまいます。また、感情のコントロールが上手くできません。
この間、仕事の話がしたかっただけなのに突っぱねられ無視されたのでかっとなってしまい、上司に暴言を吐いて物を壊してしまいました。
以前にも同僚から「言い方がきつい」と怒鳴られ、仕事に行けずに寝込んだことがありました。先輩からは「お前は思ったことをすぐに言い過ぎだ」と言われました。
私には、人を傷つけている自覚がありません。何を言ったら失礼になるのかがわかりません。それが辛いです。学生のときは喋らなくても勉強だけしてればそれでよかったのですが、仕事だとそうはいきません。私の仕事は比較的コミュニケーション能力を必要としない仕事ですが、それでも上手くいきません。
私は、自分が発達障害ではないかと思っています。診断したいと思っています。でも、「障害者であってほしいと望むなんて、私はなんて悪い人間なんだろう、障害者当本人に失礼だ」とまた自己嫌悪に陥ってしまいます。
生きているのが嫌になります。でも、私には死ねない理由があります。母方の祖父が自殺していて、「私より先に死なないで」と母から懇願されているからです。母のことは悲しませたくないです。私のことを愛してくれる人なんて、両親くらいです。だから、両親が亡くなったら私には生きる価値がない、両親が亡くなったその日に自殺してもいいと思えます。
両親が死ぬまでは生きよう、とは思っています。でも、決して前向きな理由ではありません。
最近はずっと仕事をしていても落ち込んでいて、しんどいです。でも、そのせいで口数が減っているので、周りの人を不快にさせずにすんでいるのだと思うと、もうこのままの方がいいのかな、とも思います。
両親は元気がない私のことを心配してくれますが、私一人が元気なことで周りに迷惑をかけるなら、私一人が落ち込んで周りに迷惑をかけずにいる方がよっぽどいいと思うからです。
多くのことは望んでいません、私はただ、周りや社会に迷惑をかけずに生きたいだけなんです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
迷惑かけずに生きたいだけ
感想2
職場に限らず他者への対応として、暴言を吐いて物を壊すことは肯定しかねることと率直に思いました。「言い方がきつい」と怒鳴る同僚、カッとなる一方で何を言っても怒らせてしまうと落ち込むあなた、職場の混沌とした様子を思い浮かべました。そして、それがまた一層あなたの心の負担になっていることも感じます。
投稿されたあなたの文章からは、会社や同僚への失礼さや不快さを感じることはありません。周囲との会話の中で、咄嗟の言葉や振る舞いで自分の気持ちを伝えたり、曖昧なやり取りが得意では無く、度々傷つくあなたと誤解を持つ周囲を想像しました。
苦しさを解明したいと思うことや、辛さを診断したいと思うことはあなた自身が決められることです。眼科で目の度数を測り必要な眼鏡をかけることと、発達検査で自分自身の得意不得意を知ることは、どちらも自分のためであることは同じだと感じます。
周囲に迷惑をかける・かけないということで、あなたはたくさん傷ついてきました。どんな人も、誰かを頼ったり迷惑をかけたりしながら生きています。お互いさまが無くなった世の中は息苦しさであふれるはずです。きれいごとのように聞こえるかもしれないですが、皆に迷惑がかかるからとあなたが落ち込んで生き続けることが良いと、社会の一員として認めたくない私がいます。あなたの感じたことや思ったことは誰もにとって必要な声だと思います、また気持ちを書きに来てください、投稿ありがとうございます。
感想1
生きていくために仕事は切っても切れない部分があるかと思いますが、そこで起こる対人関係や思うようにいかないコミュニケーションでのすれ違いは日々あなたをとても削っているように想像していました。「迷惑かけずに生きたいだけ」という言葉には、そんな今のあなたの切実さが垣間見えているようにも思えます。
仕事となるとどんな職種、環境であっても、(上手く出来るかどうかはまた別として)ある程度コミュニケーションが必須になってくるものに思えます。それは、私的に話すのとはまた違うものを求められる気がしますし、お互いの年齢や立場などによっても様々に変容する気もします。
象徴的なエピソードとして上司や同僚とのやりとりが書かれていましたが、「何を言っても怒らせてしまいます」や「「言い方がきつい」と怒鳴られ」とあることには、「どれだけ理路整然と伝えても怒る」といったように上司が“文字通り何を言っても怒る”ということもあり得そうな気がしますし、「言い方がきつい」ということを伝えるために同僚はわざわざ「怒鳴る必要があるのか?」と思わず感じてしまった私がいます。そう考えると、実際のコミュニケーションの齟齬の部分がなんであれ、決してあなただけが是非を問われるものでもないような気がします。暴言を吐いて物を壊してしまったことは、(方法としてはよくないのかもしれませんが)「これまでのことを含め、思わず感情が爆発してしまった」、そんな風にも私にはとれました。
コミュニケーションへの違和感や自身が向けるまなざしから診断を受けたい気持ちが書かれていましたが、発達特性とその凸凹で苦労して生きてきた私としては「自分という人間の輪郭や全体像を知るために」一つの方法としてありなのでは?と率直に感じています。それはあくまで“自分の一面を知ったり、これまでの疑問に違う視点を持てる”ということな気がしますし、そこに対する自己嫌悪を感じなくてもいいように勝手ながらに思いました。
死ねない理由を胸に抱きながらも、日々をどこか自責的に生きることには大変な負荷があるように思えます。ですので、診断を受けるにしても、また何か別のアプローチをするにしても、試行錯誤の中であなたのこれからが少しでも生きやすいものになってほしいなと思いました。