こえサーチ

みんなの声を集めたい こえサーチ

第18弾
つらかったイベント・行事


ネットの居場所ポータルサイト「死にトリ」では、2022年1月28日〜2022年2月18日の期間に、こえサーチ第18弾として「つらかったイベント・行事」のアンケート調査を実施しました。ここに寄せられたみなさんの声をまとめましたので、報告します。

今回は1人で複数回の回答が可能な2問だけのアンケートです。合計で100件の声が集まりました。今回もたくさんの方にご参加いただきまして、ありがとうございます! 

なお、この結果を無断転載することは固く禁止いたします。

つらかったイベント・行事について

今回のテーマである「つらかったイベント・行事」とその理由について、聞きました。たくさんの回答があつまりましたので、そのまま掲載します。

成人式
昔自分を虐めていた人たちが参加すると思うと、会いたくなくて参加できなかった。
クラス替えとクラス内でのグループ作り
小学校では二年に一回、中学校では毎年行われるクラス替えにより、友達が出来ず必然的にイジメの標的にされた。クラス外になった元友達は他の奴らと一緒になって私を虐めた。そしてそれにより事ある毎に行われる班作りでは「仲の良い子と組みましょう」というもので、毎度毎回ハブにされた。敵意に満ちた眼差しを向けられるのが辛かった。
5分間発表会
小学生の時自分の出身地についての発表があった。話す事を覚えていないといけないという不安が的中してうまく話せなかった。
パワーポイントを作るが、並べられる文字は限りがある
人前で話すという事がとても苦手でした
飲み会
ひたすら酌しないといけなかったし酔っぱらった親が私をダシにして会話してるのがすごく嫌だった。若い女だからという理由で男共の真ん中に席が決まってて。家を出てからも似たような扱い受けるし、ちょっと服新しくしただけで(パーカー買っただけなのに)「色気づきやがって」とか「調子のってる」とか言われるし。本当に気持ち悪くてきらい…。お酒はきらいじゃないけど飲み会のあの匂いだけは無理。
正月
疎遠な人からの年賀状にこちらが聞いてもない「近況報告」が一方的に書かれていて、それがかなり侵入的に感じてツラい。年賀状の、対話になり得ない一方的な感じが苦手。あと、大体年賀状の文言は「またごはん行こうね」とかの社交辞令なのも空しくなるし悲しくなるからつらいよ。結局そういうの書いてても実際行く気無いじゃんかと思い知らされる。
冠婚葬祭(親族・家族が居る場合のみ)
兄の結婚式、祖父母の葬式・○回忌が本当に嫌だった。自分を昔から知ってる人に愛想よく振る舞う様に言われ、無理してお酌し、幼い頃の私の話を聞かされた。体はそこにあっても心は無かった。
文化祭
・一緒に回る友達を見つけるのが上手くいくのか不安になった ・友達の友達と一緒に回るとその子に合わせるのが疲れた ・体調が悪くて夏休み中の準備に行けなかったのだが、そのせいでクラスからの疎外感を凄く感じてしまった
卒業式
みんなは「卒業しても会おうね!」とか泣きながら言っているけれど、私は、卒業したらその人との関係はリセットされると思っているから温度差で申し訳なくなる。
母の日
毒母に今まで、母親だからと言う理由で、
贈ってました。
カーネーション、枯れるから、手入れが、大変だから要らない。
ありがとうはありませんでした。
バック贈りました。
毒母の趣味じゃない、しかもプレゼントなのに店員のミスで、誤って値札が、付いていた。
こんな値段なの?どう言う事?毒母激怒!
私は、母の日なのに何故か怒られ、嫌な気分になりました。
娘だからと言っていい事、悪い事が、あると思う。
自分の誕生日
小学2年生の時、誕生日おめでとうもなく。プレゼントもなく。両親が『何も用意してないね』と話しているのを聞き、悲しくて一日公園で過ごした。それから自分の誕生日=つまらない、楽しめない日になっています。
マラソン大会と授業参観 自分の誕生日
マラソンは苦しいだけ 授業参観はいらない 誕生日は自分が嫌いだからいらない
宗教が開催している行事
私の家庭は祖母と両親が日蓮宗の信者であり、毎月第4日曜にはお寺へ行ってお題目を唱え、説法を聞く。この宗派には年中行事がある。2月の節分、4月の花祭り、11月の御会式…。中学になったらスタッフの方に回された。一ヶ月前の告知に始まり、2回に分けての寺の掃除と会合、そして当日の役割を強制的に与えられる。毎年毎年そのイベントが迫る度に陰鬱な気持ちになった。母に行きたくないと言ったら烈火の如く怒られた。
披露宴
義母の提案で開かれた披露宴ですが、その時は出産直後、摂食障害などで大変で、親との関係も良いものではないので私はやりたくありませんでした。
でも誰も私の気持ちを聞いてくれず無理やり開かれ、私は無理して笑っていました。
その時の写真は全て破り捨てました。
母の命日
私は母から身体的精神的暴力を受け、色々な精神疾患でずっと苦しんでいます。その母が亡くなったのですが、良いものしか見ようとしない父が当たり前のように母の命日に墓参りに一緒に行くように言ってくるのが嫌です。遠くにいる兄二人はLINEだけして親孝行と褒められます。家族ごっこにうんざりです。
親戚の集まり
こんなに大人が、親戚がいて、誰も虐待に気づいてくれないのかと思ったことがある。
体育祭
運動が苦手で足を引っ張ってしまうから。人と関わるのが得意ではないのに関わる必要のあるイベントは体育祭以外でも苦手だった。
縄跳び大会
8の字飛びが嫌いだった。大縄とは違って誰が引っかかったなんてすぐ分かるし、真面目にやっていても失敗すると「真面目にやれよ」って言われた。休み時間も潰れて図書室に行けなかった。絆を深めるためだとかなんとか言ってたけど、クラスはギスギスしてた。何より先生がイライラしてた。もうやりたくない。
飲み会
気を遣われるのが悪いし、かといって放置されるのも悲しい。複数人での会話苦手。自己開示苦手。自分がひどくつまらない存在だと落ち込む。
聞き役もできない。例えば子供の話されて「かわいいー」「何歳ですか?」とか一辺倒の反応しかできないし、何の話されても心底興味ない。それが飲み会じゃなく反応が相手に伝わらないなら自然な興味も持てそうだし反応しそう。場を盛り下げちゃいけないと思うから、きついんだと思う。
修学旅行の班決め
クラスで一人余ってしまい地獄のような時間を過ごした。
修学旅行などの宿泊行事
苦手だと思う人と同じ空間にずっといなければいけなかった。
そこまで仲のいい友達がいなかったから苦痛でしかなかった。しかも写真撮ってる業者の人は人がたくさんいるところにしかいないから私の写真はほばなかった。
自分の誕生日
自分のことが嫌いになってから、誕生日なんて呪われた日にしか思えません。
祝ってくれるような友人がいないことに加え、唯一「おめでとう」といってくるのが大嫌いな母というのがとにかく虚しいです。
マラソン大会
走るのが苦手な自分は、本番前の練習からずっと最後尾をフラフラしながら走っていました。クラスメイトだけでなく、全校生徒に「頑張れ」と言われたり知らない人間に笑われたりするのが不快でした。目立ちたくないのに嫌でも目立ってしまうこの行事も、それに関連する授業も大嫌いでした。
卒業式(の時に発表しなきゃいけない夢)
将来の夢なんてなかったから。強いて言うなら、人間以外のものになりたかったけどそんな事いえなかった。適当に看護師になりたいって言ってた。大人になった今も人間は嫌。
運動会
毎年のようにケガ人が出ていた運動会。絶対出たくなかった。そしてある年に私もケガをした。大人になった今でも痛んで仕方ない時がある。何故競技に出ない人達が決めた運動会に、参加の意思もない人達が出なきゃいけないんだろう。どうしてこども達の事を大人達が決めるんだろう。やるのは私達生徒。戦争と同じで、やりたい人達だけでやり合えばいいのに。
学園祭
普段なら仲の良い人と話していればいいけれど、学園祭となるとクラス一致団結と皆が奮起し、協力しなければならない。もちろん、色々な作業をやったけれど、仲良くない子に話しかけるのに一苦労、周りが楽しそうに盛り上がっているのに自分はついていけず気まずい、それを見て気を使う子もいてますます申し訳ない、と様々な問題に直面してしまい自尊心を失った。
修学旅行や宿泊学習
場所、行動を共にする人、一日のスケジュールetc.日常とは全く違う膨大な情報の渦の中で、脳の情報処理が追いつかず、いつも倒れた。この苦しさを家族教師友人、誰にも理解されなかった。
個人事業の確定申告
夫の個人事業の専従者として経理事務をしているが、元々数字に弱く、経理の経験もなく独学。かといって税理士を頼む余裕はない。確定申告の際は分からないことだらけで毎日吐いている。精神科通院中。夫には毎日苦手な業務のせいで精神障害の症状が出るほど苦しみだとは理解してもらえない。
小学校の運動会
数週間繰り返される行進の練習が大嫌いだった。所定の位置に移動するだけなのに、手をピンと伸ばし大きく振り、足を高く上げ( 90度に曲げる)、横にならんだ4人が前後ずれずに進み、大声で1、2、3、4、5と数えて直立して立ち止まる。やる意味がわからないし、馬鹿馬鹿しくて苦痛でしかなかった。
自分の誕生日
子供の頃の誕生日当日、休日に目を覚ますと、リビングにスポンジケーキとクリーム、フルーツが並べられて「自分で作ってね」みたいなメモが置かれていた。
「お母さんは私の誕生日ケーキ作るの面倒くさいのかな」と疑って思ってしまったことがトラウマのように記憶に残っていて、毎年自分の誕生日を楽しみに思えない自分を殺したくなる。
自由にグループやペアを作ってと言われた時
残り者になることが多く、
人数が足りないところに加わるか、情けで入れてもらうかである。
さらに、誰もやりたがらない役割(リーダーや雑用)は引き受けてしまい、
自分はいったい何をしているんだろうと自分の居場所のなさを感じてしまいがちである。
職場の飲み会
大卒後すぐに務めた職場は田舎なこともあり全員出席の飲み会が多かった。当時の先輩は飲み会が好きで、誘いを断ると「せっかく声をかけたのに、だからあなたは仕事ができないのだ」と言ってはばからなかった。人とうまくなじめず飲み会の度に泣きながら帰った。片道1時間かけやっとの思いで家に着くと、同居していた親から「若い娘がこんな遅くまで飲み歩いて ‼」と責められ事情を話しても理解してもらえなかった。
自分の結婚式
結婚が決まった時夫になる人と話し合い、披露宴はしないことにしたが私の母親が納得してくれなかった。やりたくもない変なアトラクション?プログラム ?を勝手に決められ、今時珍しくお色直しを2回もやらされた。大勢の人の前でとにかく恥ずかしく消えてなくなりたかった。貴重な休日にご祝儀を持って来てくれた人に申し訳なかった。肝心の母は1円もお金を出さず満足げだった。当日の写真は1度も見ずにデータごと消した。
中学校の体育大会
けっこう厳しめな中学校で、体育大会の1ヶ月前から体操や演舞、競技の練習がかなりの時間を使って行われ、集合のとき返事が小さいと「集合前からやり直し!」と走らされ、檄を飛ばされていました。炎天下、ここまでやる意味ないだろ…と毎年思っていました。今でもあのガチ加減は意味不明です。
クラス対抗の合唱コンクール
クラスごと体育館の舞台上で歌うやつでしたが、緊張して足がグラグラして1曲中立っているのが辛い事と舞台上から見た照明が眩しくて、とても歌うどころではなかった。足を骨折などしている生徒は舞台上に椅子を用意してもらえていたが、健康なのに立ってることがつらいと言っている人はいなかったので相談は出来なかった。毎年辛かったし、最後にはずる休みしてしまった。
歌のテスト
みんなの前で歌うのがすごく嫌だった。自分なりに頑張って大きな声で歌っても、先生は遠くに座っていてほとんど聞こえないからひどい評価だった。
大学受験
やる気もないし、勉強したくないから、大学なんて行きたくないのに、成績だけは良かったから、高校から期待されて難関大学を受けさせられて嫌だった。周りはみんな行きたい大学があって頑張っているのに、自分だけ結局受験勉強を何もしなかったのにギリギリ受かってしまって真面目に頑張っていた人に申し訳なく死にたいと思った。大学に入ってからも毎日つまらない勉強や実習、実験で忙しく全然入って良かったと思えない。
遠足
人が怖いから
教室に行くのも怖かった
自分の誕生日
誕生日を親に忘れられていたり、親から商品券だけを封筒に入れた物をプレゼントされたり(商品券に文句があるというよりおめでとうという言葉が欲しかった)。生まれた事を喜ばれていないわけではないとは思いつつ、『欲しかった愛情を親からもらえなかった自分』を確認する日=誕生日です。
1年間で1番嫌いなイベントです。
体力測定テスト
私は運動性頻脈で少し動くだけでも人より苦しくなります。
普段の授業ではどれくらいできるようになったかで評価されていました。体力テストでは努力など関係なく数字で測られるので嫌いでした。みんなより苦しいのにみんなより出来なくて、私はダメだと思い込むのが辛かったです。
その後大人になってから病名が発覚しました。
友人、妹の結婚式
自分が何もうまくいかずに鬱の治療・休職の時に友人たちの挙式が立て続けにあり、そのうちの一回は治療費でお金も無い時期に、都内に行き交通費は出なかったのに、両親の顔合わせは四国の高級リゾート、式当日は両親は都内の高級ホテルに泊まった…と聞いて、ゲストそっちのけで親にお金使うなら呼ばないで欲しかったと思った。式の時にお礼も無かったし。それを別の友人に言ったら「酷いこと言うね」と、共感されなかった。
運動会
出場競技を決める際、二人三脚やリレーなど、複数人でチームを組まないといけないときに一人余ったり、同じチームになった人からあからさまに嫌な顔をされたことがある。
就職活動・転職活動
受け入れられないと自分の人生や自分の価値がないように思えてきて辛かった。これに比べたら子供の頃に嫌だったことなんて全然嫌じゃなかったと思える。
親戚の集まり(正月等)
無職でアルコール依存性、双極性障害でお金が無い無い。
”仕事は順調かい?”“なんで酒呑まないの?”悪気があって聞いてくるのではないのは分かっているけれど、聞かれるのが本当に怖い。
しかも精神病。
まさか無職でアルコール依存性で双極性障害なんて口が裂けても言えない。
びくびくしながら過ごす。
金がないのに甥や姪にお年玉をあげる。
もともと学校とか親戚とか強制的なコミュニティが嫌いで苦手なんだ。
体育祭
中3の体育祭直前に入っていたグループから無視されて孤立していたので、出番がない時の居場所がなくて辛かった。難しい個人種目にエントリーしていて順位が悪いといじめのネタにされると思い、毎朝近くの小学校のグラウンドで必死に練習して、2位でホッとした。後日廊下の壁に掲示された写真の中にクラスで応援している時にひとりで少し離れたところに手持ち無沙汰な状態で立っている写真を見つけた時は悲しくて泣きたくなった。
高校生の時、毎週月曜日の朝礼の移動時間。
朝礼の会場が別校舎のため、片道7分くらいみんなで徒歩で移動する。自由に歩くため仲のよい友達同士が一緒になり、自分だけいつもひとりになるので速足で移動していた。日曜日の夜は吐き気がしていた。
嫌な上司との飲み会。
おごりだからと言ってよく飲み会を開催していたが、お金出して欠席できるならしたかった。
高校の授業の時の自由時間。
席の近くで自由に討論しなさいとか、グループを作りなさい、は最後に余るものとして恐怖だった。
年末年始
年末年始が苦手です。先ず、年末の大掃除が大嫌いです。うちは物が非常に多く、普段の掃除だけでも、するのに一苦労します。それだけでなく、私自身、人と協力して行う作業が、昔から非常に苦手なこともあり、家族皆と役割分担したり、手伝いに入って掃除をすることに、苦痛を毎年感じてきました。
次に、お正月が苦手で嫌いです。お正月の雰囲気であったり、家族で祖父母の家に行って会食するのが、非常に辛いです。
文化祭(皆で協力して何かをする・作る系)
全校生徒の前でクラスの出し物として上手くもないダンスを(しかもノリノリの曲)やらされた。演劇部だったから発表会とかで台詞間違えた時と恋愛モノの時は、いつも主人公役だったから常に舞台にいて終わったあとブーイングので殺されるか妄想に駆られた(実実際大絶賛されて反応が良かった(それはそれで共感性羞恥の人もいて辛かった)(演技はいいけど声小さいって言われてこれでも頑張ってたのにって泣いてもう演劇できない)
節分
子供の時は、誰が鬼の役をやるかで揉めました。ある程度大きくなってからは、豆撒きで声を出すのが恥ずかしく、嫌々やっています。また、イワシが嫌いです。食べていて、美味しいと思ったことは、1度もありません。
家族や祖父母の誕生日
家族の誕生日は、特に妹と父親の誕生日を祝うのが苦痛でした。「どうして、家族だからといって、嫌いな人の誕生日を祝わないといけないのか…。」と、苦しい思いをしながら過ごしてます。
祖父母の誕生日には、ほぼ毎年、母親に強制されて電話をかけていました。電話が嫌いで苦手なこともあり、毎年苦痛です。「やりたい人だけやれば良いのに」と、いつも思っています。
自分の誕生日
誕生日には、当然ながら、誕生日の人が主役になり、ケーキと本人のリクエストした料理で祝うのですが、母親から「何が食べたい?」と聞かれるのが苦痛でした。私自身が、食にあまり興味がないので…。それから、主役になる=目立つ、ということになるので、人の目につくのが苦痛な私にとって、地獄でした。
お盆・お彼岸
毎年、お盆やお彼岸には、両親の実家に行って、お墓参りに行ったり、祖父母や他の親戚とテーブルを囲って食事をしています。会食が嫌いで苦手なので、非常に辛かったです。また、会話の輪に入れず、そのことで帰りに母親に小言を言われ、悶々とした経験があります。
母の日、父の日
母の日や父の日には、弟と妹と私のうち、誰か1人代表でプレゼントを買いに行き、後で残りの2人が代金を払う、というのが、毎年やっていることです。2人はやる気満々なのですが、私は全く興味もなく、やる気もありません。それなのに、勝手に参加させられるのが苦痛です。「2人で用意したプレゼント、ということにしてほしい…。」と、いつも思うのですが、言いづらいです…。親に感謝することの意味が、よく分かりません…。
運動会
運動会はクラスの団結を促す過程で他のクラスを仮想敵にするため、勝利に貢献できない運動が苦手な人に圧力がかかる仕組みになっている。特に全員参加の競技は足を引っ張って責められたらと思い苦痛だった。できない人間にとっては応援されても見世物みたいで惨めだった。
入学式
自分や、きょうだい・知り合いのではなく、全く知らない他人の入学式への参列が、苦痛でした。高校では強制的に全員参加させられ、「そんなのに参加する暇があるなら、受験勉強がしたい…。」と、時間を無駄にしていると感じていました。どうして参加しないといけないのか、その意味が全く分かりません…。参加したい人だけ、行けば良いと思うのです…。
スポーツ大会、運動会
元々運動が、極端に苦手だということもあって、やりたくない気持ちが非常に強かったです。小学校での表現(踊り)も、上手く踊れるようになる迄に、人より時間がかかっていました。又、スポーツ大会は、練習時にクラスメートの口が悪くなるのが苦痛でした。朝練に来ない人は陰口を言われ、それを同じ空間で聞くのが苦痛でした。
文化祭
準備期間が特に苦痛でした。人との共同作業が苦手で、何をすべきか分からなくなり、その場で固まっていると、高確率で陰口を言われ、非常に辛かったです…。
修学旅行
訪問先は京都や奈良や沖縄で、比較的好きな場所だったので良かったのですが、学校の人と集団生活を送らなければならないのが苦痛でした。
合唱コンクール・ギター発表会
両方とも、同じ日の実施でした。合唱コンクールは、何かと必ず揉め事が起きていました。朝練に来ない人は陰口を言われていました。又、私は声が小さい方で、あまり大声が出せないのですが、出来ないなりに頑張っていたつもりなのに、ある人から「やる気ない」と影で言われて、非常に悲しかったです…。
ギター発表会は、ギターが下手で、出来れば後ろで目立たないようにしたかったのですが、前列になってしまって辛かったです。
語学研修
中学の時の行事で、1,2年生は学校の施設で、3年生はカナダで行うもので、英語を使ったゲームをしたり、ちょっとした授業も受けたりしました。私は英語が嫌いだったので、何日間か完全に英語漬けになるこの行事が辛かったです。
遠足等の校外授業
目的地に着くまで歩いている時、先生から2列に並んで隣の人(異性、男子)と手を繋ぐように言われた事。感覚過敏もあったし人と触れる事を強要されるのも気持ち悪かった。拒否したけど逆らえない状況だった。組体操は女子とだったけど嫌がらせとかも多い学校だったので嫌だった。
盆正月
親戚の集まりがどうしても嫌だった。大人たちは大声で他人の詮索をして好き勝手騒ぎ立て、子供たちは人の家で無作法も気にせず暴れ回る。誰も何を嗜めることもない、品性の欠落した地獄のような無法地帯。
実家が本家のような位置づけなので、会場になっていた。自分の住環境が汚されるようで苦痛だった。
コロナで集まれなくなったので本当によかった。
面接
人と話すのが苦手+嫌われるのが苦手+評価されるのが苦手の三拍子が揃うし、閉じた空間で逃げられないし、成功したにしろ失敗したにしろ、めちゃめちゃダメージを食らうので
誕生日
最近、家族の誕生日を祝うのが面倒だなぁと思ってしまいます。普通はそんなこと思っちゃうのは良くないことですが、気を使うので億劫です。
中学の文化発表会
合唱練習で,個人間(教師含む)で温度差があり,そこで起こるトラブルが苦手です。特に辛かったのは生徒が泣き出すまでに至ったもので,そもそも私は嫌な記憶があり歌う事が苦手である上,基本声量が小さく声域も中途半端でかなり苦しかったのですが,その上に諍いが重なり限界でした。その後1度練習を無断欠席してしまうと,担任教師は理由も訊かずに私を叱り追い討ちをかけるだけ。私にも非はありますが納得出来ない事でした。
体育祭
体育祭と言えば運動部の活発な子たちが活躍する場であって運動が苦手、そういう活発な子も苦手な私はクラスで力を合わせて!みたいな風潮が本当に嫌いでした
親も参加する学校行事
親の偏見とこだわりが強く、協調性もなかったので周りの親と浮いて恥ずかしかった。そのせいで友人関係にも支障があった。社会人になった今でも辛い。
子供の学校の懇談会
懇談会では必ずと言ってよいほど発言しなくてはいけない。自己紹介から始まり子育ての話など様々なテーマでその場で考えて発言する。順番が回ってくるまでドキドキして話すこともまとまらず、話した後も自己嫌悪に陥りずっと落ち込む。年に一度は出ないといけないので辛い。
移動教室や集団遠足
もともと精神科の病気を患っており、集団行動や人が密集するのが苦手だった。そのため、狭いエレベーターやバス、電車に1クラス全員で乗り込んだり大勢で食事を取ったりした際に動悸や目眩、過剰な発汗が起こってしまい、たいへん苦しかった。
修学旅行みたいな泊まりがけの行事
過食嘔吐の摂食障害なので。周囲に隠して生きてるから普段はボッチ飯や食べずに過ごしてた。泊まりがけの研修とか食事が必ずあるのでたくさん食べたい衝動を我慢して翌日まで過ごすのが辛すぎた。
社員旅行
仲がそんなによくない人とも一緒に行動しないといけないところ。
バスや新幹線の座席が誰と一緒になるかわからないところ。
自由時間をどう過ごせばいいかわからないところ。とにかく気を遣うところ。
(大学の)同窓会
先輩方には、「はい」「YES」「喜んで」の3種類しか答えの選択肢が無い。
好きな子と一緒に班になる
自分に声がかからない、苦手な人と組まされるなど不安になるし、つらかった。
縄跳び大会
クラスメイト全員参加の8の字飛びがあり、一人分空けたり、引っかかると0回になるというルールの行事がありました。どうしても苦手で、ミスしたら負けず嫌いの人達に責められる為休みたいと思っていました。
小学校の運動会
肥満児で運動が得意ではなかったし、体型が隠せない体操着も嫌いだった。母親は隣の学区の小学校教師だったので一度も運動会に来てくれなかった。父が弁当を持ってきて、昼を食べたら父は帰ってしまうのが惨めだった。
「親へ感謝を伝える手紙を書く」イベント。
当時中学生でまだ言語化は出来ていないものの、漠然とした親への不満があったため。表面だけの仲良し家族で、困った時は助けてくれない家だった。
どうしても書きたくない、書くと自分に嘘を吐くことになると感じたので、手紙は提出しなかった。
こんなことをさせる学校側にも怒りが湧いた。
体育祭での組体操・集団演技
別に誰もやりたがってないのに大人(学校側)の都合で強制的にやらされる。組体で痛い痛いと呻いている私達に「痛いと言うな!痛いと言うから痛いんや!」と体育教師が怒鳴り散らしていた時、「これ本当に何の時間?」と思った。今でもあんなに非人道的な時間は他になかったと思う。
卒業式
大勢の中で舞台に立ったり証書を取りに行ったりなど主役と分かっていても緊張して顔が引きつった。また式ということもあって服装や姿勢など普段とは違う、しっかりしなくてはならない状況にキャパシティが足りなくなってしまって身動きができなくなりそれによって注目を浴びてさらにつらくなってしまった。
昼休み
全員遊びのケイドロの時誰にも気づいて貰えないし捕まっても誰も助けてくれないから
クラスマッチ
試合中周りに多数の人がいて、自分の下手なプレーを見られるから。相手が上手い人だとボロ負けしてるのをずっと見られて、気まずいし申し訳なくなる。試合がない時間に周りは友達と楽しそうにしてるなか一人ぼっちで辛い。
クリスマス
周りの明るい雰囲気をみて辛くなる。自分が更に孤独に思えてくる。
体育大会
人数の少ない学校に通っていたので、運動音痴でも沢山の競技に出ないといけなくて、ただでさえ好きじゃない運動が余計に嫌な想いを抱えながらするものになった。見に来ている人から笑われることすらあって今でも嫌な思い出。
会社、サークルなどの飲み会
話す内容がないこと。
新学年への進級、進学
慣れた環境からがらりと変わって、知らない同年代の人が沢山いる見慣れない場所にいきなり放り込まれる感覚だった。怯えがあった。卒業式の日まで怯えや不信感は取れなかった。
入試
スタートラインに立てること自体が羨ましい。自分はいじめで不登校になり高校入試の制度から弾かれた
年末年始、お盆休みの帰省
実家に居場所がなく、帰省する度に気まずい思いをし、傷つき、精神的にダメージを受けるため。
校外学習(遠足や修学旅行)
いじめとまではいかなったものの、クラス全体から仲間外れにされたことがあったため、「友達同士で」班を作って行動しなければならない校外学習は嫌でした。
誰からも「一緒の班になろう」と声をかけてもらえず、かけることもできず、先生も困惑した様子で、一人取り残された私がクラス全体から白けた目で注目されたあの日のことは今でも忘れられません。
行事ではないが、お昼のご飯の時間
鬱的だった頃は行事・イベントあってもなくても鬱だったしなぁ〜と思ったのですが、人に合わせることをしいられるお昼ご飯の時間は、気が重かったなと思いました。(一人ずつ食べるのでなく自由に仲間同士で食べるような場面。大人になってからもそういうパターンの職場のお昼はむだに気を遣ってしまいます)
運動会
運動会のために朝半強制で外に出されて、出ていない人が多いと大声で怒鳴られたり、運動会の練習がつらかったりしたから。
マラソン大会
みんなでマラソン大会のために練習しよう、という雰囲気が凄く苦しかったから。
運動会・体育祭
普段仲良くないのにチームプレイに強制参加させられて互いに協力や応援しようというのが納得いかなかった。
そして一致団結などと言うわりに動きが遅かったり鈍かったりしてうまくいかないと責められていじめられるのが訳わからなかった。
スポーツそのものより誰かと組んでやらなければいけないのが苦痛だった。
組体操
六人一組くらいの上に一人がのり、主にニ人が支えるときにその2人に自分が入っていてとてもつらかったのに他の軽く支える人にちゃんとやってよと嫌味のように言われた。
体育大会や文化祭等
体育大会と文化祭ってザワザワしやすいし、盛り上がりやすいから、その場所からすぐに離れたくなるし、余計に体調が悪化しやすくなるから💦💦
離婚
 
体育
運動音痴なので、協力しなきゃいけないスポーツだと、同じチームの人たちに嫌がられてつらかった。
奥様会
夫が以前勤めていた会社で駐在していたとき、月に一度「奥様会」があった。手作り料理を持ち寄りお喋りするだけだが、高級な食器を持ち寄りハイブランドの服をラフに着こなした「奥様」たちと、そういうモノに一切興味のない私に共通項は皆無。くだらないお喋り、マウントの取り合い、苦行でしかなかった。夫がその会社を辞めてくれてよかった。
クラス替え
小中学校のクラス替え。毎年「学級委員」になることを当然だと親に期待されていて「また今年もか…」としんどくて仕方なかった。あれから数十年経った今でも、4月になると不安障害で腹痛、吐き気、頭痛に悩まされ、心の中のコドモの私自身に「もうクラス替えは無いよ。頑張らなくていいんだよ」と言い聞かせる。もうすぐその季節が来ると思うと今から憂鬱。
誕生日
歳を重ねるにつれて、三角のケーキ1個だけしか出てこなかったし、忘れられたこともありシュークリーム1個で済まされたこともあった
運動会(むかで競走)
基本、運動会好きでしたが百足だけは足首痛くなるし、足引っ張られて辛いだけなのに周りがやる気しかないのが訳分かんなくて初めて運動会やりたくない、当日雨降れ…と思いました。私はやりたくないけど周りはやる気という環境も苦手だったんだと思います。中学3年の出来事でした
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