経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

嫌いな自分が見えただけ

既卒、アルバイトをしながら就活中。
就活では自分を見つめる時間や誰かと面談、面接がどうしても多い。
自分を見つめれば自分のこと大嫌いになって、それを評価する人と会うことが怖い。

しかも大学生の頃に就活ができなかった焦りや不安を感じていて、親にもたくさん迷惑をかけていてずっと生きていることが申し訳なくなる。

アルバイトで気が紛れるかなと思っていたら全然馴染めなくて、迷惑ばかりかけていてより自分のことが惨めで仕方ありません。もう死んでもいいかなって。

親に頼りたい気持ちはあるけど、全部「仕方ないでしょ」「頑張りなさい」が返ってきて、優しく励ましてくれてるんだろうけど、これ私が全部駄目なんだろうなと思っちゃって。出来損ないで頑張れない自分が本当に悔しくて苦しい。頭も悪いし、要領も良くないし。顔が良いわけでもない、愛嬌も無い自分が憎くてたまらない。
 
こんなのだから就活していても自己分析なんてできなくて自分の悪い部分だけが膨らむだけでエントリーシートを書く手が震える。この世界から消えてしまえば全部解決するかなとか考えちゃいます。

全部自分が悪いのに長々とごめんなさい。

感想1

タイトル、内容ともに、既卒で就活からドロップアウトした私の20代と重なるものがあったので、思わず近しいものを感じながら読みました。

高校や専門学校、大学など、二十歳前後の年齢を一定のラインとして、さも当然であるかの如く世の中や社会通念は当たり前のように私たちに「働くこと」「社会に出ること」を強いてくるように思います。

一方で、そういった風潮の傍ら「自身と社会との距離感をまだ見つけられていない」「社会に出て提示できる自分がない(あるいはわからない)」という人は実は体感としては多いのではないかなと個人的には思います(私自身もそうでした。。)。

それは、否応なしに向き合わなければいけない「自己分析」(就活時代の私はこの言葉が大嫌いでした)という過程を経て、嫌でも自身の苦手や不得意を突きつけられるような感覚がありますし、「出来ること」や「適応していくこと」だけを語られがちな就活や就職という場面においてでは、とても歪んでいたり、乖離している自己像として目の前に突如顕れるような気さえしてしまいます。

そういった「どこか自己一致していない自分」でいることを求められると、面接それ自体やそこで自分という人間を評価・判断しようとしている人に対して恐怖を感じるのも自然な気がしますし、先の見えない不安や焦りから自分に対するまなざしが強く厳しくなっていくのも当然のことのように思えました。

ただ、私個人としては「就職」や「働く」ことには、もっと自分なりに時間をかけて、遠回りをしてもいいものだと思っています。それは自分が働くことや社会にでることへの「調整」のために必要な時間だと思いますし、アルバイトをしたりしなかったり、はたまた何もかも一旦やめて自分の胸に耳を傾ける時間を持ったりなどして、自分のなかに湧く素直な気持ちや選択を考える道があってもいいのかなと勝手ながらに思いました。

感想2

新卒で入った会社が合わずすぐに退職し、絶望しながら、やりたくもない仕事の面接を受けていた時期のことを思い出しながら読みました。大学を卒業したらどこかに勤めて働かなきゃいけない、親に迷惑をかけず自立しないといけない、苦しいことや難しいことがあっても我慢できないといけない…そのどれもが退職によってストップしてしまい、「自分に居場所はないんだな」と強く感じていました。全く同じ気持ち、ではないとはわかりつつ、それでも投稿者さんが今感じている所在なさや悔しさ、息苦しさに近い感覚を抱いたことがあるような気がしています。

「自己分析」や「自己PR」とよばれるものは、つまるところ「社会的に評価され得る自分の一面を言語化しなさい」ということだと解釈しているのですが、それってすごく人間のことを画一的・一方的に見る考え方だよなあと思います。人はすごく多面的で、流動的で、良さも悪さも表裏一体な存在なんじゃないかと思うのですが、その曖昧さを全部無視されてしまうのが大半の「就活」のような気がします。親から返ってくる「仕方ないでしょ」「頑張りなさい」という言葉たちも、投稿者さんからすれば「頑張れていない、色々のみこめていない自分」だけを見られて評価されているような気持ちになるのかなと…。

私にとっては、投稿者さんが「自分の悪い部分ばかり見える」と感じるのは、自分の曖昧さや複雑さもひっくるめて見つめようとしていることの表れのように思えましたし、既存の枠組みにハマる結果が出ていないからといって「頑張っていない」「何もない」わけではないんじゃないかなと、そんなことを(きれいごとと思われるかもしれないけれど)伝えたくなりました。自分の中でぐるぐると渦巻くものにしんどくなったときには、またここを訪れてみてほしいです。

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