経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

場所への意味づけ

私にとって、場所や状況が変化する際には意味づけが必要です。中学は給食と掃除の時間があり、休み時間が細かく決められていました。大学になるとそのような決まりはなくなりました。先生たちは「中学高校と大学は違うよ」と強調されるのですが、私は安堵するのではなく今まで必死に頑張ってきた私の全てを否定されたと感じ、この大学生活にも不信感を抱き続けています。「違ってどうなのか」ということが明らかにされないと、何が現実かわからなくなります。私は今も給食を運び続けないと、掃除をしないと、誰かに目をつけられ、さらしものにされるのではないかという恐怖でいっぱいです。今も怯え震えています。大学生活の今を肯定することは、さらしものにされた過去の私を否定することにつながり、それは今の私の否定につながります。ですから私はつらかった過去を尊重するために、大学に通っていたり大学の課題に取り組んだりしている自分を存在しないものにします。そうすれば傷つく必要はなくなるからです。ですがそう考えると虚しく悲しくなりましたが学校の場面ではこう考えることでしか生存できません。与えられる状況について考える時間が追いつきません。小学生のあるとき「関心を持たなければならない」と思わされてからこの世のどの程度のことを記憶するのが適切なのか、わかりません。こんな世の中をつくったのは誰なのか、私にはわかりません。

感想1

あなたのなかで繰り返し行われてきたのであろう「意味付け」について考えながら読みました。「望むと望まざるにかかわらず課されてきたもの」や「感情を押し殺して従わなければいけなかったもの」に適応し、状況を受け入れ、生き延びるための手段が「意味付け」だったのではないかと想像しています。「意味付け」が「納得感」と連動していれば、自分と環境とのつながり方を確かめ、自分を作り上げる作業にもなっていきそうですが、あなたにとっての「意味付け」は気持ち的に納得できる・できないはあまり重要ではなく、「そうしなくてはこの場に居られない」という切実さを包むための認識なのだろうなあと感じました。
あなたが「さらしもの」にされてきた状況の詳細はわかりませんが、少なくとも自分の感覚を知る機会よりも周囲との調和や規範順守を実行することがミッションとなるような生活だったのかなと推測しています。よほど恐怖政治感の強いクラス(学校)だったのか、はたまたあなたが意図せず周囲から「ズレ」のようなものを指摘されることが多かったのか、自分のペースや世界に留まることを非難されたことがあったのか…どれも違うかもしれませんが、あなたの強固な「恐怖」を育てた背景はどこにあるんだろうと、イメージせずにはいられませんでした。
個人的にはみんなで同じような生活・タイミング・基準で過ごさなくてはいけない高校以前より、大学以降のほうが自分にとっての心地よさを優先できるように思っていましたが、あなたにとっては「急にそんなこと言われても…」という戸惑いもあったのかなと想像しています。一方で、「今までと違う自分」に出会うことは、環境に依存せずとも起こり得る自然な変化なのかなと思います。あなたなりの道理と、世の中の道理が食い違っていてもいいと私は思いますが、その折り合いのつかなさに迷い立ち止まる時、また死にトリのことを思い出してもらえたらと感じています。

感想2

これまで過ごしてきた、受け入れるしかなかった文化を否定されて、その中を過ごしてきた自分を否定されたような感覚になったのかなと、何度も読み返して想像しました。
私としては、小学校〜高校は、教育(を受ける)機関、一方で大学は研究(する)機関で、小中高と大学とでは担う役割が違っているとことがあるという認識です。講義や課題以外の時間は、個人に委ねられていることが多いと思います。受け身ベースで育てられたにも関わらず、突然主体性を求められることに、戸惑う学生は少なくないのではとも思いました。
場所が変わると、求められているものや重要視されているものが違ってくることがあるため、今までの常識が通用しないということは多いにあると感じます。環境によっては、今までの経験が無意味に感じてしまうこともあると思います。過去、晒しものにされたときの記憶が、あなたに相当な恐怖を植え付けたのかなと思い、これまでに経験したものが、あなたの中で「逸脱してはならない絶対的正解」だったのではないかと想像しています。正解がないのに評価は存在していそうな空間で、どう過ごすか問われている(ように感じる)のは、かなりのプレッシャーや不安を抱くことだと思います。個人的には、教育機関の在り方、研究機関の在り方自体に正解がなく、これまでの歴史の中でずっとそれを模索し続けていて、その不確かなものを時の子どもたちが受け続けていることに対し、いつも不思議な感覚があります。

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