経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

過去

物心つく前から、自分とは別の声が聴こえてた。幼少期から当たり前だったその声の正体が、解離によるものだと知ったのはずっと後のこと。私が幼かった頃の母は、ヒステリックそのものだった。他の兄弟を含め、自分の思い通りに子供が動かないと、父が帰ってくるまで怒鳴りつけ、その後何時間も玄関での正座を強要した。両親たちはクーラーの効いた快適な部屋から出ることはなく、暑い日も寒い日も体調が悪い日も関係なく私たちはただひたすら正座に耐え続け、そして決まって罵詈雑言を浴びせられた。毎日の食事も苦痛だった。給食があったからまだよかったものの、食卓には苦手なものばかりが並び、極度のストレスから食べ物を見ただけで吐いてしまうこともあった。今でも人参しりしりや大豆の入った煮物などはトラウマだ。母もおかしくなっていたのか、狂ったようにそればかりを作っていた。突然、「私は飯炊き女じゃない!」と怒り狂い、飯抜きなんてこともざらだった。夜も朝も食べられず、お腹を空かせて学校に行き、給食を詰め込むように食べて、男子から馬鹿にされたこともある。お菓子やスイーツも、家には置いていなかったので、友達の家に遊びに行ってそれらを出されようものなら、みっともないくらいに食い意地を張って食べた。そういった経験が、今の過食嘔吐、摂食障害に繋がっている。父は、仕事一筋で真面目な人だったが、子供の前でも不機嫌な態度を隠さず、威圧感や恐怖を与え続け、そのうえストレスの捌け口として日常的に暴力を振るう人でもあった。頭を殴られる、頬を叩かれ鼻血が出る、耳を引っ張られ血が出る、お腹を蹴られる、川に捨ててやると引き摺り回される、書き出すとキリが無い。実の祖父母の前であっても構わず手が出るのだから、病的な何かを持っている人なのだと子供ながらに冷静に分析していた部分はあった。私自身は、自分に向けられる暴力に何の疑問も違和感もなかった。けれど、ある時意図的に人に怪我をさせてしまってから、それをたくさんの大人に咎められてから、私の中の善悪や価値観ががらりと変わった。猛烈に反省し、懺悔を繰り返し、そして両親を酷く恨んだ。暴力はいけないことなのだと、誰か教えてほしかった。そしたら私は、自分を呪いたくなるくらい嫌いにならずに済んだかもしれないのに。もう今更だけど。
中学生になった私は、自分に価値が欲しくて、大人に認められたくて、死に物狂いで勉強を頑張った。学年位トップしか許されないと自分を追い詰め、精神に支障をきたしても成績と順位に執着し続けた。いじめが始まったのは、学年1位を取ってすぐのことだった。調子に乗っていると思われたのだろう。クラス中から無視されるようになり、自分の持ち物が結構な頻度で紛失するようになった。更衣室に着替えに行けば、棚を貸してもらえず、いつも床で着替えをしていた。他クラスの友人のところへ遊びに行ったら、帰れ帰れコールを叫ばれ、教室へ戻れば自分の席は他の女子が使っていて、物理的にも居場所がなかった。過度なストレスのせいで顔は醜いニキビ肌へと変わり、クラスメイトから余計遠巻きにされる原因になった。不登校になるのにそう時間はかからなかった。その頃、母に連れられた病院で適応障害だと診断された。引きこもり状態になってからというもの、精神状態は悪化するばかりで、日々の記憶は曖昧だし、繰り返された自傷行為により腕は傷だらけだった。希死念慮に囚われた思考から抜け出せず、とうとう初めて精神科への入院を経験した。診断された病名は、解離性同一性障害だった。この時、ようやく腑に落ちた。記憶にない学校の授業、その内容が写されていたノート、知らぬ間に増えている体の傷、両親と噛み合わない話。全て別の人格によるものだった。その真実に気づいてからもう5年以上の月日が流れた。未だこの病気は寛解していない。それどころか、過食嘔吐も併発、自殺未遂を起こして再入院してからは躁鬱も持っていると診断された。精神科への入院は計4回経験したが、治るなんてことはなかった。今は通信制の高校に通い、小遣い稼ぎ程度にバイトをしながら日々を過ごしている。両親は私が病気になってから、反省したのかだいぶ丸くなり、暴力を振るうことも、罵倒することもなくなった。でも、今まで受けてきた屈辱や苦しみがそう簡単に消えるわけない。私は死ぬまで恨み続ける。死にたい気持ちは変わらない。複数の精神疾患を抱えながら生きていく勇気も、努力も、無気力な私にはない、できない。毎日、ただ「死ね」と脳内で言われ続ける人生なんてもう嫌だ。あぁ本当にただただ鬱だ。まだまだ書き足りないけど、どれだけ反芻しても仕方がないんだ。自分で自分の命を終わらせることしか、救いがないなんて、なんて惨めで苦しくて、悲しいことだろう。私も幸せに生きたかった。

感想1

投稿を読みました。両親の暴力や暴言、ネグレクトなどが重なる環境は、あなたの人生とても早い段階からあなたに危険をもたらしてきたのだろうと思います。読んでいると、解離はあなたができる数少ないあなた自身の心の守り方だったのではないかと感じました。食事は生活のベースのひとつだと思うのですが、それが安心を感じられる時間でなければおおくのストレスを感じるのも自然なことだと思いました。
母親さんの「私は飯炊き女じゃない!」という言葉を読んで、変な感想かもしれないのですが、「飯炊き女」という語彙を私は知ってはいてもリアルではあまり聞いたことがない気がしていたので、それと比べて、あなたの母親さんはもっとその言葉が身近な環境で生きてきたのかなということを感じました。パートナーや家族を、女性だからと飯炊き女など都合のよく酷使するような実情は現代も残念ながらたくさんあるのですが、あなたの家庭環境の中にもさまざまな種類の権力の違いや暴力があったということなのかなと想像していました。もちろん、だからといって、あなたやきょうだいへの暴言などは許されるものではないと思います。ただ、さまざまな暴力の連鎖があったのかと感じたのでした。
また、「暴力はいけないことなのだと、誰か教えてほしかった。」という一文は本当にそうだと思いました。世の中には、うまく教われないことや間違ったことを覚えてしまうことがたくさんある気がします。なにが正しいというのもむずかしいことですが……。たとえ暴力を「いけないこと」「やめるべき」と言葉で教わっても、これまで生きてきた環境が暴力だらけだったら、その言葉を信じられない場合もありそうです。そう思うと、たくさんの人が、本当には教われないまま、暴力で生きるしかないという刷り込みをされて連鎖してしまう状況もあるのかもしれないと考えていました。
両親の状況がいまは落ち着いているということはよかったと思いつつ、それが続いていくには両親にもなにかサポートが必要なのだろうか、と思ったりします。
そしてあなた自身にとって、安心できるような場所はいまもなかなか簡単に見つかるものではないのかな……と気になっていました。希死念慮は私もそこそこ長い付き合いなのですが、なかなかコントロールすることのむずかしいものだと感じます。ただその中でも、緊張するだけではない時間や、苦痛を紛らわせてくれるような音楽、焦燥感や不安を和らげるぬいぐるみなど、そういうアイテムや過ごし方も少しずつ見つかることもあるのかなと想像しています。それも綺麗事かもしれませんが……。あなたにとって安らげるものがあなたの生活に見つかっていくことを祈っています。あなたのこれまでのことを投稿してくれてありがとうございました。

感想2

幼い頃から“安心できる場所”がほとんど存在しないまま何とか生き延びてきたのだろうな…と読み進めながら感じました。家の中にいても怒鳴り声や暴力があり、食事や睡眠の時間ですら気を張らなければならない状況は、常に緊張と恐怖に晒されるものだったと思いますし、子ども時代に子どもとして生きることを許されないままに過ごさざるを得なかったのだろうと想像していました。
「暴力はいけないことだと、誰か教えてほしかった」という言葉が印象的で、子どもは、最初から善悪を知っているわけではなく、周囲の大人や環境を通して少しずつ覚えていったり身についていったりする部分があると私は思います。だから、自分が受けてきた暴力を当然のものとして受け止めてしまっていたことも、過ごしてきた環境を考えるとある意味では自然なことだったのかもしれないなと思いつつ、後から“それはいけないことだった”と知った時、自分自身への嫌悪や混乱が一気に押し寄せてきた時のあなたの心境を思うと、こんなこと思っても仕方のないことなのかもしれませんが、当時のあなたの身近に安心して関われる大人がそばにいてくれたら良かったのにな…と思わず感じてしまいました。
また、幼い頃から聞こえていた「別の声」が、後になって解離によるものだと分かったのも、ただ“人格が分かれる”という言葉だけでは説明できないくらい、極限状態を生き延びるための方法なのではないかなと私は思っています。本来ひとつの心で抱えきれなかった恐怖や苦痛を、どうにか分散させて生き残ろうとしていたのかもしれないな…と。中学生になってから、勉強に執着するようになった部分も印象的で、“価値が欲しい”、“大人に認められたい”という感覚も、ただ成績が欲しかったわけではなく、“存在していていい理由”を必死に探していたようにも私には映りました。ただ、努力しても報われるどころか、さらに居場所を失っていくような感覚になってしまったのは、かなりあなたを追い詰めるものになったのではないかと感じます。不登校になってからの日々の記憶が曖昧になっていったのも、知らない傷が増えていったのも、相当限界だったことが伝わってきました。精神科への入院や診断も、決して劇的な救いにはならなかったのだろうと思います。病名がつくということは、腑に落ちる部分はあったかもしれないですが、それだけで苦しみが消えるわけではなく、「理解された」と感じられるとも限らないよなと改めてあなたの文章を読んで考えさせられました。
ご両親が今は丸くなったあり少しホッとした気持ちになりましたが、簡単には整理できないものだとも同時に感じています。過去に傷つけられてきた記憶が消えるわけではないし、「今は優しいから許さなければいけない」という話でもないと私は思います。暴力や支配の中で育つとその相手に複雑な感情を抱き続けるのは自然なことだと私自身も直接的な暴力は少なかったですが精神的に抑圧されるような家庭環境でずっと過ごしてきて感じることです。
最後の、「私も幸せに生きたかった」という一言に、本当は当たり前に持っていてよかったはずの望みを、何度も踏み潰されてきた重みを感じました。ここまで生きてくるために、心を分け、感情を切り離し、自分を守る方法を必死に作ってきたあなたに、この先ほんの少しでもいいので安心してそのままの自分でいられる時間ができることを強く願っています。また必要に感じられた時は、いつでも死にトリに声を届けてほしいです。

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