私は正直、SNSで自分の思いをつぶやくのが怖かった。今でも怖いけど、それ以上に助けてほしくて、苦しくて、聞いてほしいって思った。
私は、今精神的な理由で仕事に行けていません。同じ職場での休みこれが2回目です。社会人になってから、同じようなことが今まで何度もあった。元々、心がとても繊細なところも関係して、毎回精神的にしんどくなって、急に休んでしまうことで
自分を責めていたし、苦しかった。
特に社会人なりたての時はもっと絶望していた。私が描いていた理想な大人にはなれないんだ、なれなかったんだってすごく悲しかった。それでも自分なりに精神的にしんどくなって休むことがなくなるよう、
職場や働き方を変えてみたり、本やインターネットを通して心について調べたり、相談機関に頼ったり、幸せホルモン増やすための行動や、捉え方を少し変えてみたりと自分とたくさん向き合ってきたはずなのに、それでも結局同じことを繰り返す自分に嫌になる。悲しくなる。私はどうしたらいいんだろう。どう進めばいいんだろう。約半年後にワーホリに行こうとしてお金貯めてたのにまた休んでる。英会話だって今まで以上にそのために頑張ってきたのに、今はやる気が出ない。ワーホリには行きたい、海外に行きたい。私の場所はここじゃないって漠然と思ってる。お金貯めるならきっと今の職場に復帰して働いた方がいいって分かってる。
だけど、毎回行く時の不安になるあの感じが怖い。職場の人にどう思われるかの怖い気持ちが強くて前に進めない。そんな自分も嫌だ。上手くいかない何度もつまずく自分の心が嫌だ。
周りに心配かけて、迷惑かけて、申し訳なくて、苦しくて、職場復帰するたびに自分のしたことを謝って、自分だって苦しいのに、休みたくないのに、迷惑かけて心配かけたのはわかってるけど、私が1番助けてほしい。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
どうしてこうなっちゃうんだろう。
感想2
生活すること、生きていくことの土台にされがちな働くこと、仕事をしてお金を得るということに「なぜこうも私たちは翻弄されなければいけないんだろう…?」と思いながら、私自身も決して上手に社会人をやれてきたわけでもないことを重ねながら読みました。
誰しもにおしなべて働くこと、そしてそれを続けることを求めてくる今の社会にはそれ自体がプレッシャーや息苦しくさせられるものになりえているように私には思えます。ただ、それでもやらないわけにはいきませんし(というかそれすらもそう思わされる何かがある気がしますが…)、あなたが精神的な理由を抱えながらでも無理を効かせてこなし続けてきたことには決して一言では語れないような葛藤や過酷さがあったのだろうと想像しています。
また、就活をドロップアウトして社会に溶け込めなかった私には「私が描いていた理想な大人にはなれないんだ」という悲しさが(あなたとは違う形かもれしませんが)感覚として痛いほど分かったのとともに思わず共感しかなかったですし、その絶望の深さを感じた気がします。それは、どうにかしてあなたが埋めよう、適応しようと試行錯誤したり、思索を巡らせていたことの反証のように私には思えましたし、さらに逆を言うと、それだけあなたが「仕事や社会」というどこか大きな存在からまざまざと突きつけられてことでもあったように感じられました。
「在りたい自分」や「自己実現」のために、働くことの辛さや病んででも仕事を続けなければいけない矛盾にはあなた(や私)含め、多くの人が体感として抱えてきそうな気がしますし、そうした瞬間を感じるたびに「働くってなんなんだろう?」「仕事ってなんなんだろう?」とやるせない気持ちにさえさせられるように思います。
自分に合う働き方を見つけたり、自己一致した状態で社会や仕事と向き合うのは(私の経験としても)容易なことではないように思えます。ですが、しんどいながらも試行錯誤して逃げずに向き合い続けてきたあなたに、今より少しでも楽になる「働くことへの自分のなかの距離感」が見つかってほしいなと思いました。
感想1
タイトルに惹かれて読みました。私自身、新卒の会社に数か月で行けなくなってお休みしていた時期があって、まさに「どうして」「なんで出来ないんだろう」と毎日自分自身を責めるしかなかったことを思い出しながら感想を書いています。
投稿者さんが、自分自身の心の取り扱い方について、様々なアプローチを試みてきた様子がしっかりと伝わってきました。取り組みを経て変化している部分は間違いなくあるのだと私は思うのですが、一方で結果として「仕事を休む」という形に着地すると、どうしても「同じことを繰り返してしまった」というふうに感じやるせなくなってしまうのかなとも思います。目標が明確にあるからこそ、そして「ここではないどこかへ」という気持ちがはっきりしているからこそ、目の前に立ちはだかる「望んでいない”今”」に耐え難い感覚も強いのでしょうか…。
「仕事はお金を得る手段」と割り切ることが出来たら苦しまずに働けるんだろうかと度々考えるのですが、私の感覚では自分の性質や思いに向き合うほどそれを無視して抑え込むことは難しく、同時に「働く」はどうしても共同作業なので、その時点で自分だけの都合では動けないから消耗することは避けられない…と感じ、既存の枠組みのなかで働くことに途方もない気持ちになります。投稿者さんが全く同じ感覚というわけではないと思うのですが、いわゆる週〇日が決まっている環境だったり、休みを取りにくい風潮だったりといった働き方や、そもそも自分が「働き続ける」ことにどれほど膨大なエネルギーやストレス量がかかるのか等々…「働く」ことについてあれこれ一緒に話してみたくなりました。
またお金がかかる事柄に関しては、「働いて稼ぐ」以外の方法がほとんど掴みづらい社会の問題もあるように思います。自分の目標に向かう手段も、お金を得る手段も、もっとたくさんの選択肢が見つかる社会であれば、働くことと自分の価値や願いを繋げて考えなくて済むのに…と感じざるを得ない私がいます。
心に渦巻くものを率直な言葉で届けてもらい、ありがとうございました。