経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
自分が生きる意味がわからない。生きるのをやめたい。
衣食住には困っていないし不幸せではないはずなのにこの考えが消えない。
私は父に虐待されて育った。
アトピーで肌のただれた私を「汚い」「肌が腐って死ぬ」と何度も馬鹿にされた。
機嫌の悪い時は暴力もふるわれた。よく殴られ蹴られた。突き飛ばされこたつの角で頭をぶつけて、家で血が止まらず病院で縫ったこともある。
まだ小さかったのでよく覚えていないが、医者には自分でぶつけたと言わされたんだと思う。その時に医者が気付いてくれたらよかったのに。
小5の時に親が離婚して、私は母に引き取られた。離婚すると聞いた時に父に「離婚しないで」と泣いてすがった。
暴力をふるわれた後、いつも泣きながら「大人になったら復讐してやる」と小さい声で呪詛を吐いていた相手に泣いてすがるなんて、子供はなんて無力なんだろう。
後になって知ったが、父は浮気していた女のところに行ったらしい。
小学校の頃は学年でトップの成績だったが、中学に入って勉強についていけずひきこもりになった。
運動のできない私にとって勉強だけが親に褒めてもらえる取り柄だったので挫折するには十分だった。
そのころから「生きていても無駄」「自分はできそこない」「死にたい」と思うようになった。
友達は中学生活を謳歌しているのに自分は布団で寝ているだけ。そしてそれは一生かけても取り戻せない。
毎日泣いて過ごした。普通に生きたかった。
受験の時期になり、名前を書けば誰でも受かるような夜間の高校に入学した。
ひきこもりだったので、久々の外だった。そこで他人の目が異常に気になる自分に気付いた。
他人にどう見られているかを考えると動悸と汗が止まらず、何度もトイレの鏡で自分の髪や服を確認した。
ネットで調べると簡単に同じ悩みをもつ人の書き込みが見つかった。どうやら「醜形恐怖症」というらしい。
家を出る前に鏡の前で数十分容姿をチェックして、通学中に路肩の車のミラーでまた髪型を確認。学校につくとトイレに直行して確認。
そんな日々が続き、最初の頃は自分の力で対処しようと頑張ってみたがどうしても無理で、診療内科に通院しながら卒業まで頑張った。
高校卒業後に出会いがあり、彼女はかなり年上で、子供をつくらない・専業主夫でいいなら、という条件で結婚した。
私の病気に理解があり、部屋では電気を消したまま、顔を直視しない、写真は撮らないなど細かい要求を守ってくれるとてもいい人だ。
結婚してもうすぐ20年経つ。心療内科にはずっと通院している。
働けない自分が情けないし、自分ができそこないという思いが消えない。
やりたいことも、ほしいものもない。何をやっても楽しくないから、生きている意味がわからない。
こんなことを考えてしまうこと自体よくしてくれる妻に失礼だとはわかっているが、どうしてもつらい。消えたい。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。
文章全体を通して、途方もない絶望や虚無感があなたを覆っているように感じました。
「生きる意味」という言葉は折に触れて耳にすることがありますが、人を支える力になることがある一方で、置かれている状況によってはとても受け入れられない言葉のようにも思います。
たとえ衣食住が整っていたとしても、過酷な経験によって受けた心身のダメージと記憶は、今もずっとあなたの心の中を漂っているように思います。
父親からあらゆる暴力をふるわれた日々は、あなたからたくさんのものを奪ったように感じました。当時の記憶は、忘れたくても忘れられない出来事になっていると思います。
自分ではどうにもならないことを侮辱されたり嘲笑われることは、心に深い傷を負うことだと思います。父親の機嫌が悪いタイミングでは身体的な暴力もふるわれたと書かれていましたが、いつどこで爆発するか分からない不安と緊張感が常にあったのではないかと想像しています。
家庭の中で起こる暴力や抑圧は密室化しやすく、子どもが親に抵抗することや、外部にSOSを求めることはとても難しいと思います。医師が異変を察知してくれていたらと、私も思わずやるせなさを覚えました。
自分の中に怒りと無力感を同時に内包することは、幼い子どもが背負うにはあまりに酷なことだと私は感じました。複雑な感情は澱のように積み重なって、あなたの力を削いでいったように思います。恐怖と混乱の中を、なんとかしのぐことで精一杯だったのではないかと思っています。
取り柄だった勉強がうまくいかなくなったことは、拠り所としていた自己像を折られたような経験だったことを感じました。
もしかすると、父親と離れてようやく安全を感じられるようになった頃に、それまで抑え込んでいたダメージの影響が現れてきたのだろうかと考えました。
思うように過ごせない苦しい日々は、とにかく自分を責めるしかやり場がなかったように想像しました。
分かっていても、他者の視線や一挙手一投足が気になって仕方ない状況は、とても大変なことだと思います。トラウマの反応の一つとして醜形恐怖症が現れたのかもしれませんが、常に危機状態に晒されてきたあなたにとって、他者からどのように認識されるかが脅威になってしまうことは、無理もないことのように思いました。高校を卒業するまでの間には、たくさんの苦労があったことを想像しています。
現在は信頼のおけるパートナーさんと出会い、あなたが安心して過ごせる環境を整えて生活を共にしていることに、少しだけほっとしました。
一方で、拭えない自責の念や、寄る辺ない不安が、息を潜めながらも心の底に横たわっていることを感じています。パートナーさんを大事に思うからこそ、心配をかけたくない思いもあるのでしょうか。
ここでは、周囲には言いづらいことも含めて、あなたの声に耳を澄ませていたいなと思っています。またよかったらお話を聞かせて下さい。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。
文章全体を通して、途方もない絶望や虚無感があなたを覆っているように感じました。
「生きる意味」という言葉は折に触れて耳にすることがありますが、人を支える力になることがある一方で、置かれている状況によってはとても受け入れられない言葉のようにも思います。
たとえ衣食住が整っていたとしても、過酷な経験によって受けた心身のダメージと記憶は、今もずっとあなたの心の中を漂っているように思います。
父親からあらゆる暴力をふるわれた日々は、あなたからたくさんのものを奪ったように感じました。当時の記憶は、忘れたくても忘れられない出来事になっていると思います。
自分ではどうにもならないことを侮辱されたり嘲笑われることは、心に深い傷を負うことだと思います。父親の機嫌が悪いタイミングでは身体的な暴力もふるわれたと書かれていましたが、いつどこで爆発するか分からない不安と緊張感が常にあったのではないかと想像しています。
家庭の中で起こる暴力や抑圧は密室化しやすく、子どもが親に抵抗することや、外部にSOSを求めることはとても難しいと思います。医師が異変を察知してくれていたらと、私も思わずやるせなさを覚えました。
自分の中に怒りと無力感を同時に内包することは、幼い子どもが背負うにはあまりに酷なことだと私は感じました。複雑な感情は澱のように積み重なって、あなたの力を削いでいったように思います。恐怖と混乱の中を、なんとかしのぐことで精一杯だったのではないかと思っています。
取り柄だった勉強がうまくいかなくなったことは、拠り所としていた自己像を折られたような経験だったことを感じました。
もしかすると、父親と離れてようやく安全を感じられるようになった頃に、それまで抑え込んでいたダメージの影響が現れてきたのだろうかと考えました。
思うように過ごせない苦しい日々は、とにかく自分を責めるしかやり場がなかったように想像しました。
分かっていても、他者の視線や一挙手一投足が気になって仕方ない状況は、とても大変なことだと思います。トラウマの反応の一つとして醜形恐怖症が現れたのかもしれませんが、常に危機状態に晒されてきたあなたにとって、他者からどのように認識されるかが脅威になってしまうことは、無理もないことのように思いました。高校を卒業するまでの間には、たくさんの苦労があったことを想像しています。
現在は信頼のおけるパートナーさんと出会い、あなたが安心して過ごせる環境を整えて生活を共にしていることに、少しだけほっとしました。
一方で、拭えない自責の念や、寄る辺ない不安が、息を潜めながらも心の底に横たわっていることを感じています。パートナーさんを大事に思うからこそ、心配をかけたくない思いもあるのでしょうか。
ここでは、周囲には言いづらいことも含めて、あなたの声に耳を澄ませていたいなと思っています。またよかったらお話を聞かせて下さい。