経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
誰かに聞いてほしいけど誰にも話せないことがあって・・・。
もしよかったら誰でもいいんです。聞いてください。
20代後半でもうすぐ30代になる男です。
10代の頃から漠然と死にたい思いがあって、今もずっと
死にたい消えたい気持ちが無くならないんです。
そんな思いを抱えるきっかけもあったけど、今となってはどうでもよくて、
ほとんどの人間はきっと本気で死のうか悩んだり、自分がそもそも
この世界に生まれなかったらよかったのにとか考えることは
ないんでしょうね。
10代の頃から自分が長生きしている姿が想像できない。
きっと自分はふと、ひっそりと、この気持ちを誰にも
共有できないまま、この世界からいなくなってしまうんだろうな。と
ぼんやり思っています。それが今日なのか明日なのか十年後なのかわからないけど、
この思いを自制できなくなったら終わってしまうんだろうなと思います。
ジェットコースターのように感情が乱高下してとてつもなく死にたくなったり
だけどやっぱり死にたくない。誰かに冷たくされて絶望して、だけど誰かに感謝
されて嬉しい温かい気持ちにもなる。もっと人の優しさに触れたいと思う。
耐えられないときは車の中で絶叫したり、何にもないのにぼろぼろ涙を流したり
客観的に見るとドン引きですね。笑
感情に振り回されて人生がままならない自分自身に嫌気が差すんです。
死にたいけど生きたいけど死にたいけど生きたいけど・・・・・・・
答えが出ない考えがまとまらないずっと同じ思考がぐるぐる回ってて疲れてくる。
なにもかも早く解放されて楽になりたい。しんどい。もう終わりにしたい。
けど終わりにする方法が分からない。
また結局答えが出せないまま。だけどいつか終わりになる日がきっと来る。
ここまで見てくださって聞いてくださってありがとうございました。
共感してくださる方がもしいたら少しは慰めに、楽になるかもしれません。
お互いつらいですね。だけどきっと楽になる日がきてほしいです。
感想1
漂うように書き綴られた文とその内容には、あなたの中にあるハッキリしているようでそうでもない、けれど確実に根付いている「死にたい」と「生きたい」という、掴めない逃げ水のような気持ちがあるように読んでいて感じました。
私の場合は20代の頃、社会との接点のなさや流れに迎合できない気質や性格から割と死にたい気持ち強く過ごしていましたが、30代を目前にしたあなたもどこかやなにか同じような部分があるのかと想像しています。
「今となってはどうでもよくて」という、思いを抱えるきっかけになったということが「どんなことだったんだろう?」と個人的には気になりつつ、おそらくそれはあなたの中では「死にたい」や「生きたい」の気持ちに紐づく全てではなく、(もちろん全く関係ないということはないにしても)他にもたくさんの傷つきや自身の中で起きた“揺らぎ”と向き合い続けてきた結果形作られていった今に繋がる気持ちだったのかなと考えています。
ただ、どこか達観したようにも漠然としているようにも見えるあなたが抱えている「長生きしている自分が想像できない」という気持ちや未来を生きている自分への不透明さに対して、「ジェットコースターのように乱高下する感情がある」というのは、それだけあなたが日々や日常で多くのことやものを受け止め感じながら生きているということでもあるのかなと私には思えました。
それは自分のコントロール下を離れてままならないと感じさせられるものにあなたをしつつも、それがあるから引き出される「死にたい」に対して強くエネルギーを伴って反発する「生きたい」という気持ちのように勝手ながらに考えてしまった私がいます。
絶望することも、嬉しい温かい気持ちになってもっと人の優しさに触れたいと思うことも、死にたいけど生きたいと思うことも、どちらが良い悪いではなくて、どちらもきっと今あなたが率直に思っている本当の気持ちなんだろうと私は思っています。激しく乱高下する自身の感情の狭間に立たされながら、そこに折り合いや「どちらの気持ちも自分なんだな」と俯瞰して佇むことは中々難しいことなのかもしれません。ですが、文末にあなた自身が自分ではない他の誰かに投げかけているように、あなた自身にも楽になる日がきてほしいなと思わず伝えたくなりました。
感想2
共有できないまま抱えてきた思いや感覚を送ってくれてありがとうございます。「ジェットコースターのように感情が乱高下」、個人的に身に覚えのありすぎる感覚の描写だと思って共感しながら読みました。私の場合は気分障害とADHDの診断をされているし、幼少期に家庭内で受けたダメージをひきづっているところもあると思います。あなたの人生がここでくわしく語られているわけではないですが、あなたのこれまでの人生にもさまざまな苦労があったのだろうなと想像していました。周りの人を見ていると、感情の感じ方と表出の仕方には、人それぞれとても違いが大きいことを感じます。あなたはおそらく、受け取るものも大きいタイプなのではないかと思いました。
またあなたの場合は「誰にも話せない」という感覚がとても強くて、きっとそれは、社会的に我慢しなければいけないという圧力もたくさん感じてきたからなのだろうと想像しました。感情などについての社会規範の浴び方はジェンダーにより異なる状況があるように思います。(男性は「泣いてはいけない」と言われがち、女性は「笑っていろ」と言われがちとか。私はそれは単に抑圧で、変わっていってほしい価値観だと思っています。)
我慢し続けて噴出する感情は、ペットボトルや缶のコーラが爆発するときみたいなイメージかもしれないと思いました。中にはたくさんのエネルギーがあるから、こらえきれなくなって噴出するみたいなイメージです。でも本当は、無茶な扱いをしないで、無理に蓋をしたままにしないでいれば、そんなことにはならずにおいしく飲める、みたいな感じです。 (へんな例えですみません。)
そう考えると、「耐えられないときは車の中で絶叫したり、何にもないのにぼろぼろ涙を流したり」がドン引きされる必要ってなくない?むしろあなたなりに感情を取り扱ってきたということじゃない?と思えてなりません。車の中は他の人に聞こえないための配慮なのかなぁと思ったし、扱いのむずかしい感情をどうにかするためのライフハックのようにも感じました。また、私も理由があってもなくても、さまざまな感情によって涙を流すことがありますが、それはそれで我慢し続けるよりよほど健康ではないかと思います。でも、社会の眼差しはとても強烈なので、あなたは自分の中にバーチャル社会の眼差しを置いて「こんなことはダメだ」「ドン引きされるだろう」と自分を監視してきたのかなと思います。それは自分の心身を引きちぎるような苦しいことのように感じます。私自身の中にもバーチャルな社会の目はあり、元気な時にはそれと戦うのですが、元気がないときや疲れて希死念慮が高い時には、言いなりの気持ちになってしまうことがあります。
共有できない感情はとても重たくなってしまう気がします。でも「誰にも話せない」をただオープンにするのもむずかしいと思うので、よかったらまた死にトリにきて、言葉を置いていってもらえたらと思いました。とりぱーくというアプリからだと、掲示板に毎日投稿もできます。よかったら、あなたの生活の中でやり場のない感情が生まれた時、なにか言葉にしてみたい時などがあれば活用してほしいです。
感想1
漂うように書き綴られた文とその内容には、あなたの中にあるハッキリしているようでそうでもない、けれど確実に根付いている「死にたい」と「生きたい」という、掴めない逃げ水のような気持ちがあるように読んでいて感じました。
私の場合は20代の頃、社会との接点のなさや流れに迎合できない気質や性格から割と死にたい気持ち強く過ごしていましたが、30代を目前にしたあなたもどこかやなにか同じような部分があるのかと想像しています。
「今となってはどうでもよくて」という、思いを抱えるきっかけになったということが「どんなことだったんだろう?」と個人的には気になりつつ、おそらくそれはあなたの中では「死にたい」や「生きたい」の気持ちに紐づく全てではなく、(もちろん全く関係ないということはないにしても)他にもたくさんの傷つきや自身の中で起きた“揺らぎ”と向き合い続けてきた結果形作られていった今に繋がる気持ちだったのかなと考えています。
ただ、どこか達観したようにも漠然としているようにも見えるあなたが抱えている「長生きしている自分が想像できない」という気持ちや未来を生きている自分への不透明さに対して、「ジェットコースターのように乱高下する感情がある」というのは、それだけあなたが日々や日常で多くのことやものを受け止め感じながら生きているということでもあるのかなと私には思えました。
それは自分のコントロール下を離れてままならないと感じさせられるものにあなたをしつつも、それがあるから引き出される「死にたい」に対して強くエネルギーを伴って反発する「生きたい」という気持ちのように勝手ながらに考えてしまった私がいます。
絶望することも、嬉しい温かい気持ちになってもっと人の優しさに触れたいと思うことも、死にたいけど生きたいと思うことも、どちらが良い悪いではなくて、どちらもきっと今あなたが率直に思っている本当の気持ちなんだろうと私は思っています。激しく乱高下する自身の感情の狭間に立たされながら、そこに折り合いや「どちらの気持ちも自分なんだな」と俯瞰して佇むことは中々難しいことなのかもしれません。ですが、文末にあなた自身が自分ではない他の誰かに投げかけているように、あなた自身にも楽になる日がきてほしいなと思わず伝えたくなりました。