今精神疾患で鬱を1年ASDと難病を抱えています私が精神疾患患ったのは家庭環境が元々悪く父親は居なく母親と二人の人の兄弟で暮らしで母親は怒ったら物に当たったり男の人と遊ぶ毎日で私が小学4年生の頃再婚しました。その相手はDVをする人でよく母親は殴られるそんな毎日で自分と妹は罵声を浴びせされ反省を意味もなく無理やりさせられるそんな家庭環境でした。学校では転校きっかけに馴染めず場面緘黙症を発症して小学4年から中学1年までいじめを受けてました。親は中学2年になって離婚してまた遊ぶようになり
そのタイミングで学校に余り行かなくなり
担任から毎日理不尽に怒られたり無理やり教室に連れて行かれたりしました。中学3年からは担任も変わり母親も落ち着いてそこからは何もなく高校1年になりました。場面緘黙症も徐々に治って2年生まで楽しい学校生活を送れていました。3年生に上がり友達だった親友はいきなりお金をたかるようになり半年間毎日奢るようになり断ったところいじめを複数人から受けることになりました。その後卒業して、短大に行き新しい環境で変わるつもりでした。友達もできた頃自分の事を気に食わない人が周りの人と一緒にいじめするようになりました。それがきつくて中退して19から仕事を始めました。そして去年20の時難病と原因の分からない病気に二つかかり突然眼球が針を刺したような激痛があり今の一年間毎日60回ほど発作がおき朝の8時から夜の11時まで落ち着かない日々が続いていて目が開けれないほどでテレビも動画も見れず毎日耐えています。仕事も出掛けることもテレビを見る事も出来ず激痛耐える日々で早く楽になって死にたいです。なので生きる意味も見出せずいつ死ぬかだけ考えています。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
死にたい
感想2
あなたが逃げ場のない中で生きてきたことを感じました。家庭環境は不安定なものだっただろうと思いますし、本当であれば、あなたと妹も、母親さんもそれぞれがサポートを必要としている状態だっただろうと感じています。でもそれがない中で、あなたも暴力の中にいるしかなかったのだと思います。
私はADHDの診断を受けていますが、発達障害といわれる多くの子どもにとって学校は過酷な場所だと思います。そこでも本当ならあなたはサポートを受けたり、安全に過ごせるような調整が学校側で行われたりしていたら、すこしはよかったのかなと思うのですが、不十分な中でなんとか日々を過ごしてきたのだろうと思います。
痛みについての文章を読み、苦しい気持ちになりました。私も同じではないのですが慢性疼痛があり、とくに眼痛がひどくなると薬も効かないことがよくあります。そうなるとましになるまでの数日は横になり目を閉じているしかない感じです。私も原因がわかるまでに数年かかったのですが、わからないことは対処が難しく、とてもきついと思います。(私は首への負荷がいちばんの要因になっているようでした。)
あなたはひどい眼痛が日々原因もわからずに襲ってくるということで消耗してしまうことだろうと思いました。私自身は通院、服薬、低周波治療器、慢性疼痛向けのマインドフルネスなどなどをためしたり、いろいろ気をつけて生活していますが、それでも痛みそのものに持っていかれる体力や気力は半端じゃないなと思います。
痛みがひどい時は外部刺激にいつも以上に敏感になることもあるのかなと想像しているのですが、手触りのいい毛布や好きな音など、なにかあなたの感覚をすこしでも守ってくれるものがあったらいいなと思いました。
感想1
経験談への投稿ありがとうございます。
過酷な生い立ちを背負いながら、深い孤独の中で毎日必死に痛みと戦っていることを思うと、早く楽になりたいと願ってしまうのも無理のないことだと感じてしまいました。
文章は出来事が中心でしたが、どこにいても安心して過ごせる場所がない状況の中で、当時のあなたがどんな思いで日々を過ごしていたのだろうかと、想像しては胸が詰まるような思いで読みました。
身体のどこかが常に痛い状態は、それだけで心身を消耗し、あらゆる希望を奪われることだと感じます。「どうして自分が・・」といった悔しさもとうに通り越して、今は死を意識することが、壊れそうな身体と心を守る唯一の術になっているのかなと感じています。
テレビや動画も見れないほどの痛みと書かれていたので、今回文章を書くこともかなり大変だったのではないかと想像しています。
想像を絶するような痛みに耐えながらいることを思うと、あなたの切実な「死にたい」に対して、簡単に言葉を返せずにいる私がいます。
あなたの苦しさがここに確かにあることを、しっかり受け止めたいと、そんな思いでお返事を書いていました。またよかったら、あなたの声を届けてほしいなと思っています。