経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

色々

彼氏、彼女、交際、とか
どうしてそんなに形や名前を欲しがる?
友達、親友、とかもそうで
こんなにあやふやなものが当たり前のように認識されているのが悔しい
なんで人と付き合いたいとか、友達になりたいとか思えるの?
そう思えないし、思いたくない
所詮全部気持ちなのに?なりたい気持ちがあるなら、なれば良いじゃん
気持ちは嫌いじゃない
むしろ反射に近い部分あるから、色々とやりようがある
付き合う、の何が欲しいの?付き合う、が欲しいの?
付き合いたい欲、って気持ちがデフォルトで頭に入ってるの?
相手自身に何か思うことがあればそれだけで、わざわざ関係にしようとは思わない
無性愛者とかそういうのじゃなくて、そんな所詮気持ちが土台の名前がついた言葉じゃなくて、ただ自分
面白いのと楽しいのがあんまり好きじゃなくてどちらかといえばポジティブな意味で不機嫌気味だから、幸せ
今これ幸せだな
けど死にたい前向きな意味で
辛いとか苦しいとか、気持ちの死にたいじゃなくて
考え、目的の死にたい
死に期待しすぎなところあるよ大体
死が辛がってる人やらに都合良いとは限らないじゃん
死んだことないから分かんないけど
だから私は死にたい
程度やら実態やらを知りたい
でも死んだとて知れるとは限らないから、期待しすぎているのかも
なら命に抗いたいかもなあたった今思ったけど
生きる、でも死、でもない状態になるとか
話戻すあでも愛は好き
愛は幅を広く取れる
だけど相手が存在してしまうと、愛もなんか汚い
相手に対して思うことには、名前とか付けたくない

感想1

確かに、どうして名前がつくことに価値を感じるのでしょうね。個人的なイメージではありますが、名前がつくとなんだか安定感があるような気がします。友達や恋人など、近い関係性の人にしか入れない”枠の中”に入ったような気持ちになるというか…。それもあって、単なる知り合いにはしないような親しみを込めた振る舞いの理由にもなるのかなぁ、など考えました。だからと言って関係性の安定や永続が保証されているわけではないので、形や名前に胡坐をかいていたり、形式ばかりに囚われて互いの姿や気持ちが見えなくなってしまっているのであれば、違和感を抱きます。
逆に、言葉として定義づけられることで、事実や経験によって形成されたイメージを突き付けられることに耐えかね、関係性に名前がつかないよう、曖昧なものであろうと、回避してしまうケースもあるように思います。
関係性(の先にある行動なのでしょうか)と感情は、「死にたい」と一緒で、手段と目的がぐるぐる入れ替わったり、バランスが崩れてしまいやすいものなのではないかなと想像しました。
そして、日常に落とし込まれるほどに見えてくる具体性が、かえって安っぽい印象を与えることもありそうです。
特にあなたがおっしゃっていた愛について、たしかに愛は幅を広く取れるし、抽象的だからこそ保たれるアストラルなイメージがあると感じました。古代ギリシアには8種類の愛の分類がありますが、私が理解できない、実感できない領域は、私にとって崇高なままです。エロース(性愛)やフィラウティア(自己愛)といった具体的に想像しやすいものになると、途端に「それだけのこと」でしかないと思えてきてしまいます(本当はそんなことないのかもしれないですが)。でもこうして考えていると、やっぱり名前がついていた方が分析しやすいなと感じます。共通認識があるからこそ、単純に便利なのかもしれないと、書きながら思いつつ、だからこそ、細部まで同じ認識だと思い込んで相手に押し付けたりしない、”個別具体性の高い関係”のためのすり合わせが大事なのかなと思いました。

感想2

あなたの経験談の中の問いを読みながら、ほんとうに、なんでだろうなぁと思っています。世の中では、みんなわりと名前をつけるのは好きだけど、名前の付け方が雑だなぁと思うことが多いです。たとえ親しい人が5人いたとしても、5人に向ける私のそれぞれの感情も、それぞれの人との関係性も異なるのに「友達」「恋人」などなどとくくるのって変だなぁと思っています。その中でも「恋愛」っていうのは世の中の一大流行りコンテンツなんだと感じています。私は「付き合う」とか「結婚する」というのはハッピーセットや福袋みたいなセット商品だと思っていて、本当はお互いのニーズは違ったりすることも多いけれど、「セットだから」という理由で選ばれている感じがしています。ますます不思議だけど、多分、言葉をじっくり考えたり、自分にとって一番納得のいく言葉を使ったりしたい気持ちが多くの人にはあまりないんだろうなぁ、と30年くらい生きていて最近気づいてきました。あなたは多分、あなたにとってしっくりくる感覚を自覚したい気持ち、納得のいく言葉で輪郭をつかんでいきたいような気持ちがもともと強い人なんじゃないかなと想像しています。だからこそ、世の中の様子は自分の実感とあまりにかけ離れているということなのかなと思ったのでした。ちなみに私の周りには、私も含め、納得のいく言葉をていねいに探していきたい人や、「それってどういう意味?」「そもそもどういうこと?」を問うのが自然な生き方という感じの人がたくさんいます。だからちょっと勝手に、あなたに仲間意識をいだいていました。

「死に期待しすぎなところある」というのは興味深くて、あなたの話をもうすこしくわしく聞いて見たくなりました。私の中では生と死は対立関係にはなくて、「生」がはじまって、終わる、その終わりの部分に死があるような気がするので、死は生の中に含まれているような気もしています。

「相手に対して思うことには、名前とか付けたくない」という最後の一文は、想像ですが、あなたの中の他者や存在への尊重のような感覚や美学でもあるように感じました。たとえば「みかん」という言葉を一つとってもそれぞれ絵に描いてみれば少しずつ違うものを描くように、言葉は通じるようで一人一人違う意味を持っているものなので、ある意味で、言葉との関わりは孤独なところがあるように思います。私はすべての言葉は「(仮)」で永遠に確定しないものを、しかたなく、言葉にしているところもあるように思うので、私は多分一生言葉の手探りをしながら生きていくのだと思いますので、その中で、またあなたの考えていることに触れられたらうれしいです。また気が向いたらここに書きにきてください。

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