経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生き延びることを優先してきた結果

幼少期から家庭は安心できる場所ではなく、小学校の頃から精神科に通い、母から殺されそうになる事や父からの比較・否定・決めつけの中で育ったため、人を信じることが難しくなりました。
中学1年の秋に母が突然亡くなったが実感は湧かず、悲しむよりも「これからどう生きるか」だけを考えて感情を止めて生き延びてしまいました。その後は転校して父方の実家で窮屈な生活を送りながらも中学・高校を卒業したが、正しさにしがみつく価値観から対人関係で衝突が多くなりました。兄弟それぞれが傷を抱える中で自分は家庭内でまず疑われる役割を担わされ、今も父は私のことを何も信じてもらえません。いじめで学校に行けなくなった過去も理解されず、「どうすれば良かったのか」「自分は弱いのではないか」と自責が止まりません。
最近は親友との関係の変化や父からの金銭的要求も重なり、強い孤独や無力感の中で、行きたい気持ちと消えたい気持ちの間で揺れており、自分のことが自分で決められず「もう一人の自分」に支えてもらいながら生きています。(幼少期の頃からずっと独り言を言っていたため変に身についたものですが、いつも助けてくれてとてもありがたいです。)
世界がもっと平等であれば生きやすかったのではないかと今でも考えてしまいます。
これは誰かに聞いて欲しかっただけなのかもしれません。
お忙しいところお読みいただきありがとうございます。それでは失礼いたします。

感想1

読ませていただきました。あなたの中にあるギュッと固まって重たいものと、ずっと抱えている生きづらさを同時に感じるようでした。学校での対人関係の衝突やいじめ、家族からの暴力や今も続く父親さんの決めつけによる心身へのダメージはとても大きいように思います。

驚かされるのは、あなたがあなた自身を俯瞰する力です。人を信じることが難しくなった要因や、母親さんを亡くしたときに悲しむよりも「これからどう生きるか」だけを考えていたこと、それらを言語化できるのは精神科の先生に話していたからなのか、あるいは「もう一人の自分」とお話ししてきたからなのか、聞いてみたくなりました。「自分自身が一番身近な自分の友達」という言葉がわたしは好きなのですが、もう一人のあなたがいつでもあなたを支えて助けてくれたことは良かったなと少し安心するわたしもいます。自責する気持ちは、なかなかいなくなりづらいものですが、あなたの頑張りも、学校へ行けなくなった経緯をもう一人のあなたは知っていてくれることでしょう。わたしも、これまであなたが疑われてきたこと、信じてもらえなかったことを受け止め信じる気持ちでいます。なかなか、感情で表現するのは慣れないことなのかなとも思うのですが、いじめも家族に信じてもらえなかったことも、とても辛かったんではないかなと思うんです。

タイトルの「生き延びることを優先してきた」と文中の「感情を止めて生き延びてしまった」というところに少なからず接点があるのかなと想像したのですが、人間感情や考えごとが飽和状態に至ると、脳が自分を守るために感覚や感情、思考力を鈍くするというお話を聞いたことがあります。もしかしたら、感情を止めたあなたは、あなたを守るためにそうしたのではないかなとそんなことも思いました。

また誰かに聞いてほしいと思うことがあればいつでも書き込みに来てください。

感想2

「命あっての物種」といいますから、多くの人はまず自分が生きることを第一にしているのではないかと思います。けれども、あまりにも過酷な環境で生き延びるために、あなたがたくさんのものを代償にせざるをえなかった事実、「生存する」という誰もに当然与えられるべき権利を行使するだけなのに、これはなんと不平等なことかと悔しく思いました。
あなたが自分の過去から現在までの状況を整理して、他者に分かりやすく表現することが上手であるのが文章から伝わりました。一方、いまの自分を構成する要素が明らかになっているだけに、やりきれない気持ちになることもあるのではと勝手ながら想像しました。
余談ですが、私も「もう一人の自分」たちと小さなころから一緒に暮らしています(てっきりみんないるものと思っていましたが、必ずしもそうではないらしいということを最近知りました……)。とても助かりますよね。私たちはしょっちゅう喧嘩していますが、あなたたちみたいな良い付き合いができたらいいなと思いました。「こんな感じでもうちょっと素直に支えておくれよ」と私の片割れに文句の一つでもつけてみたい気分です。

あなたの「世界がもっと平等であれば生きやすかったのではないか」という言葉、しっかり聞いて受け止めました。これは私も昔からずっと、今まで考えてきたことです。そしてこれからも、真の平等が達成されるまでしつこく考え続けて、地団駄踏んだり、文句を言ったりしているのだと思います。そして、ここはあなたと同じような考えを持つ人が集まっている場所で、私にとっては、あなたや死ニトリのみんなと同じ考えを持っていることがとても心強い支えとなっています。ぜひ、あなたのその考えや疑問をこれからも大切にしてくれたらいいなと思いました。

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