私は、親から暴力を受けています。母からです。掃除をしないと「しね」と言われたり、殴られたり蹴られたりします。3歳から、今までずっと続いているので慣れていましたが、やはり蹴られると痛い、悲しいなどの感情が出てきて、虚しくなります。でも、私の家は祖母、祖父、母と住んでいて、父がいません。母は私と一番気が合う人で、一番話しやすくて面白いけど、暴力を振るわれると怖くて、すごく落ち込みます。もちろん私も悪いことをしたりしている自覚はあります。父は少し遠いところに住んでいて、話しにくいです。学校の先生に話しても、変な気持ちになるし、友達に話すこともできないし、もうどうすればいいのかわかりません。この前、『家族での喧嘩はそんな言葉使わない』ということを友達と話していて気付かされました。周りでは虐待、虐待と言われて、でも家では当たり前。まだ小学生なのでよくわかりませんが、やっぱり周りに話した方がいいのでしょうか。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
親から暴力
感想2
自分でもどうしていいのかわからない、言っていいのかも迷ってしまう、そんな気持ちの狭間で勇気を出して書き込んでくれたのかなと想像していました。
3歳から今にいたるまで続く暴言や暴力の数々はとてもあなたの心も身体も傷つけてきたことだろうなと思っています。それは、“日常の出来事としては”「慣れ」という形である意味であなたを守っているのかもしれませんが、心で感じる痛みへの恐怖や悲しさはどうやってもごまかせずに、誰かに話したい、聞いてもらいたいという気持ちが確かな疑問となって心を覆っているように私には感じられました。
また、暴力を受けているという認識がありながらも「自分と一番気が合う人」と思えることが、よりあなたの気持ちに答えを持ちづらくさせているのかなとも思えます。話しやすく面白いと感じる瞬間もあるからこそ、暴力や暴言という行為に感じる気持ちを見えにくくしているのかなと…。それもあって友達からの「家族での喧嘩はそんな言葉使わない」という言葉は驚きと気づきが芽生える瞬間だったと言えるのかもしれません。
個人的には、心にしても身体にしても、親からの何かしらの行為によってあなたが傷ついたり、「痛い」「悲しい」と感じたならそれはもう虐待とよんでいいと私には思えます。ですがそれは、第三者に言われたからといってすぐにどうにかできる簡単なものではないと思いますし、また違う一面を感じているからこそ心には複雑な葛藤も出てしまうようにも思えます。
ただ、ここにあなたが文章として気持ちを書いたこと、先生や友達に話そうとしている自分の気持ちを大切にしてほしいと思います。個人的には一緒に住んでいる祖父母さんは「どう思っているんだろう?」などということが気になりつつ、話すかどうかはすぐには決めないにしても、まずは「この人なら信頼できるかも」と思えるような大人を見つけるためにも周囲を見渡してみてもいいのかなと思いました。
感想1
投稿者さんの受けてきた身体、心の痛み、傷付きを言葉にする事は凄く大変だったと思います。
家族のことを話すことは勇気がいることだと思いますが、これからの自分、家族の為にも話せる人が見つかればと思います。話す、伝えることですぐにどうにかなるとは言えませんが、一人で悩み抱え込まなくて良いんだと思える安心感にはなるのかなと私なりに思います。
気が合う、話しやすい人(家族、友だちなど)からの暴言・暴力って、心へのダメージが余計に大きい、違い(普段と暴力・暴言の時)に戸惑い抱え込みやすくなるのではないかと個人的に考えました。どうにかしたくても、どうしていいのか分からない、どうSOSを出せば良いのか、どこに出せば良いのか分からず不安、孤独感だけが大きくなっているのではと想像しました。
投稿者さんや母親の気持ち、考えを聞く事と同時に、祖父や祖母の気持ちを聞ける環境、時間、人がいればいいのになって思いながら読み、感想を書いてます。投稿者さんにとって自分の気持ちを話しやすい人っていますか?思いや状況を誰かにはなすことって凄く難しい、学校では周りに知られてしまうかもしれないなど色んなことを考えてしまうと思います。言葉にする事が難しいときは、文字にして誰かに伝えるのもありなのかなと。例えば学校の担任や担任以外の先生、職員、児童相談所なども選択肢としてあるように思いますが、一番は投稿者さんが話しやすいと思える人ですよね。
言葉にし伝えることが難しい悩み、苦しみを抱えている人にとって、聴いてくれる、寄り添ってくれると思えるような場所が増える、情報発信できる世の中が当たり前になってほしいなと切実に思います。