経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

普通の定義で生きたいのに

小学生の頃から思い通りにいかないことが多く、集団生活にもなじめません。友達も離れていき、心を許せる人は身近にいませんでした。父が家庭内暴力を振るい、三人兄弟の二番目である私が標的でした。探し出されてまで殴られたり暴言を吐かれたりするので、家にいるのがつらかった。同年代にもいじめられることを恐れ、自分を過大に見せたりして嫌われていました。そのくせが抜けないのかパーソナリティ障害のような症状があり、堅実ではない果たせなさそうな現実的でない目標を立て、挫折しました。周りからは私が変人で面倒くさい人と思われて辛いです。大人になっても仕事が定着せずに転職を繰り返し詰みました。友達もいないし、家族にも嫌われているし・・・。
妙に繊細なので相手の言葉やしぐさの裏に隠されている部分が分かってしまうため、嫌われる前に距離に保つ努力をしています、皆が快適に過ごせるように、自分が原因で回りが嫌な思いをしないようにと、意見を言ったり、したいことを我慢してきました。最近、それが出来ずに未成年の親戚の言動にたまってきたストレスが漏れ出してしまい家族の前で大泣きしてしまいました。原因を作っている本人から「答えが出ないことに心を使っても意味がない」と言われ、言われた言葉そのものを受け取ればいい、その裏を探る必要はないと言われましたが、それが出来たらやっています。大げさだ、過敏な反応と言われても、それを理解できる人は周りにはいないので一人で泣き続け、お金を浪費したり、食べれない量のお菓子を買ってしまったり(食品棚に置き場がなくなりました)買い物依存?食物依存?摂食障害?何が起きているのかわかりません。嫌な思いをさせたくないと努力してきたのに自分の我慢の限度が低すぎて崩れてしまい、すべて終わった感がぬぐえず、生きているのが嫌になりました。この気持ちの重さを理解されない辛さ、給料が少なく、経済的にあまり余裕がない状態で社会的に受け入れられていない、欠陥品扱いをされている感、私は休日に予定もなく、少し遠出して見知らぬ土地を歩き、カフェでゆっくりするのが好きですが、それを誰かとやりたいと感じません、一度ご一緒させてほしいと言う人がいたので、誘ってみると、苦痛でしかありませんでした。私は人間ですか?群れることに違和感があり、またその中で自分の存在価値がなくなっていく感覚があります。自分は何にもできない人間なのに、誰かの助けを必要としているのに、人とのつながりを持つのが苦手で、うまく距離を取りにくくある程度限界を感じるとドアスライディングをして完全に関係を絶ってしまいます。それを続けた結果、仕事以外でラインを受け取ることがなくなりました。生きてる価値、ないですよね?

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。脅かされる経験が染みつき、今も理解のない関わりをされる中で、あなたの心や存在が擦り減って悲鳴をあげているような印象を受けました。あなたが自分のやれる範囲で精一杯やってきたことが伝わってきましたし、その頑張りが報われないしんどさはとても重たいものだろうと私は感じます。
経験談にあった「私は人間ですか?」という問いの文脈とはズレてしまうかもしれませんが、環境の影響を受けて合理的ではない行動をしてしまう(記憶や感情の存在が大きい)のは心のある生き物の一つの大きな特徴だと私は思うので、「あなたは人間以外の何者でもないのでは?」という言葉を返したい気持ちになりました。

探し出してまでの暴力や暴言から、「逃げなくては」「身を守らなくては」「いつ攻撃されるかわからない」といった危機的な状態があなたのデフォルトになってしまったのではないかと私は想像しました。それは理屈ではなくあなたの心身に刻み込まれて、今もあなたの思考や行動に影響を与えている…そんなイメージです。だから、あなたが悪いわけではなく、あなたにもどうすることもできない、裏を探ってしまう対人パターンについて、ただ正論で「こうすればいい」と言うのはとても残酷なことだと私は思います。自分でもどうしようもないことを責められるのは、人を依存や絶望に掻き立てる、苦しい出来事だと経験的にも感じます。

人とのつながりを欲することと、カフェでゆっくりする時間を人と一緒に過ごしたいかは、私はまた別の話だと思っています。私は一人の時間が好きですし、これは一人でやりたい、ということも多いです。誰かと一緒にカフェに行くのが好きな人もいれば、一人で行くのが好きな人もいて、案外このあたりの距離感や趣味が合う人は少ないようにも感じます。あなたの対人への葛藤やしんどさについては、カフェの話以外にもいろいろな経験を総合して語られているとは思うのですが、カフェについては「わかる、一人で行きたいよね」と勝手ながら私は共感してしまいました。(そういう話じゃなかったらすみません)
人とのつながり方は様々で、こうやって経験談と感想での応答も一つのつながりだと私は思いますし、合わないつながりは自分を擦り減らすだけの場合もあって…本当に全く一筋縄ではいかないと思います。そういう一般論のレベルを超えてあなたが苦しいのも伝わってきていますが、うまく距離をとれず人間関係リセットは私も繰り返してきているのもあり、おかしいことでは全くないと思っています。

感想2

幼い頃に父親の身体的暴力や暴言に晒されていたということで、それは無意識のうちに、まず危険を察知することを自分に教え込むような時間だったのだろうと思いました。しぐさに隠れた部分を察知してしまうというのも、そのころの経験から培われてきたものかなと感じています。危機回避が必要な危険な場所ではとても大事で、あなたが生き延びるために育ってきたスキルだと思うのですが、人間はさまざまな側面を同時に持っている中で、他の部分よりも、他者の「裏」みたいな部分だけがとりわけ見え続けてしまうということは、それだけでとてもしんどくなってしまいそうだと想像しています。

人に気を遣うのがデフォルトだと、人といることにリラックスできないのも自然だし、誰かと過ごしたいと思わないのも自然ではないかと思いました。むしろ、あなたがそういう自分の気持ちをわかっていて、カフェで一人で過ごす時間を楽しめているなら、それが一番だと感じました。
でも助けを求める感覚もあるからこそ、人間関係をどのようにしていけばいいのか迷う気持ちもあるのでしょうか。私自身も人にあまり相談できないことはカウンセリングやメンタルクリニックなどで話すこともあるし、死にたいけど身近に誰にも言えないとき電話相談などを使ったこともあります。それは既存の人間関係からは離れるからこそ、使いやすいタイミングもあるのかなと思いました。

これまで人との関わりの中で、たくさん先回りして、自分の心は押さえつけてでも我慢して合わせるようにしてきたのかなと思います。でもたくさん我慢し続けて、それができなくなる瞬間がやってくるのも無理もないと感じました。
私も買い物依存や過食などの経験がありますが、コントロールしなければと思うものがコントロールできないままならなさはとても苦痛だと感じます。でもあなたの経験談を読むと、むしろあなたは感情も自分自身の行動もこれまで自分の限度を超えるくらいコントロールしてなんとかやってきたからこそ、それが別の形で発散されているような部分もあるのかなと思いました。
そう考えると、これもまた自然なことと言えそうだし、そんなあなたを労わりたい気持ちになりました。カフェもそのひとつかもしれませんが、あなたがあまり我慢しないで、他の人の気を遣わないで過ごせる空間や時間があなたの周りに増えていったらいいなと思っています。経験談という形であなたの感じたことを言葉にしてくれてありがとうございました。

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