経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生きるのに疲れてしまった

私は双極性障害を患ってから4年目です。今も病状は安定しておらず、薬を変えては副作用に悩み…と続いています。
その上で、高校からの友達と相談していたのだが、3人のうち1人は私が死にたいと言ったら話も聞かずに縁を切られ、私が支えるから!と言ったもう一人は双極性障害の病状を説明しただけで私じゃ役たたずだから!と言って離れられ、最後の一人は話を聞いていた途中で連絡が帰ってこなくなり……
あーやっぱり障害者は一人で生きていくものなのかなと思い始めています。

今はもう友達じゃないなら私が死んでも関係ないよね、責任も後悔も何もないよね!と言う精神でギリギリラインを生きています。
両親がこれが原因で本当に死んだら私達が悔しい思いをするからと言われているので本当にギリギリで生きています。
私だって好きでなった訳じゃないのに、と思ってます。

時が来たらまた話そう、今は自分を休ませようと言い聞かせているのに気持ちは焦る一方で落ち着かずな状態です。
戻れるのなら病気になる前に戻りたい

感想1

現状から一歩踏み出したいという前向きな気持ちと、過去の出来事を度々思い出して焦ってしまう気持ちにてんやわんやするあなたの姿が頭に浮かんだような気がします。
お友達の「私が支えるから!」からのいざ話してみると「私じゃ役立たずだから!」の流れは、あなたにとって頼っていいと思える、その一部になり得る希望に近しいそれが打ち砕かれたかのようで、よりあなたの心にダメージの残るやり取りのように思えてしまいました。「お友達の最初の言葉には嘘はない」「二言目の言葉も善意に寄った言葉ではないか」と思う反面、「半端な希望を持たされた上でそれが打ち砕かれるより、何も言ってくれなかった方が気持ちが楽だった」とも個人的に思えてしまいます。

あなたの言う通り「好きでなった訳じゃない」でしょうし、「好きでそう生まれた訳ではない」という方もいるだろうと個人的に感じているから、むしろそういった障がいのある方々を受け入れる体制ができていないことが私にとっては気になっているところで、この現状が「障がいのある人は一人で生きていくもの」だと感じさせているのではないかとも個人的に思っています。

休もうとする間にも焦りや自責といった自分を追い詰める思考はあらわれてしまうものだと思います。休むって文字や言葉でみると簡単そうなのに、実際は本当に難しいものですね。。。
早いうちにあなたに合ったお薬に出会い、あなたの望むその時を万全で迎えられるといいなと思いました。本当の意味であなたが目いっぱい羽を伸ばして休める環境を切に願います。
投稿ありがとうございました。

感想2

友達の様々な反応と、それに対するあなたの率直な気持ちがつづられていて、私も「あー」と言いたくなりました。あなたは「あー」に続けて「やっぱり障害者は一人で生きていくものなのかな」と書いていますが、そう思ってしまうのも無理もないと感じました。私は「あー」の後に、「理解がないってこういうことなんだろうな」と思いました。かといって、私には理解がありますという意味ではなく、自分が分からないことがあれば、分かったような気にならずに、相手と話し合って少しでも理解をしたうえで、自分がどうしようか考えたいと思いました。だから、「あーこうしてあなたが本音を書いてくれてよかった」と思う気持ちもあります。
短い文章なのですが、私はあなたの物事の本質を鋭く突いている感性やそれを端的に少しのウィットを含みながら言葉にする表現力を感じています。今までの友達とは疎遠になったかもしれませんが、今のあなただからこそつながる人間関係もあるかもしれないと思います。あなたとはちょっと立場は違いますが、私には重度の障がいがある子どもがいて、その子が生まれる前と、生まれた後では人間関係ががらりと変わったように思っています。確かに理不尽なこともたくさんありますが、だからこそ得られたこともあると感じています。だからと言って、選んで生まれてきたとか、この子がいたからとか、生まれて来てくれてありがとうとか…そんなふうに思いません。ただ、自分が想像していない物事が起こると価値観が揺さぶられて自分が進化したような気にはなります。自分の経験とも重ねながら、また、あなたの声を聴いてみたいと思いました。

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