人と違う能力があって
生まれてきた
同じ能力で専門職に就く人も身近にいる
子供の頃から人と違うことで
親からも周りからも苦しめられてきた
何度も死のうとしたけど助かってしまって
今はこの能力を生かして医療従事者
でも、誰にも理解されないから
本当のことを言うと人間として扱われない
普通に生まれたかった
誰が信じてくれる?
数秒あれば病気の原因がわかるなんて
あくまでも記憶力、いわゆるカメラアイ、昔の自殺未遂、昏睡後、カメラアイだけは失われたけど
山ほど読んだ論文をデータベース化して即座に呼び出せる方に変わった
海馬のダメージを前頭前野がカバーしたのかな?
そしてバラバラの情報の中から整合性のとれるモデルを瞬時に複数シュミレーションして最適解を出してるだけ
これは一族みんな持ってる
でも一族と違うのはみんなは数学脳
わたしだけなんの役にも立たないよくわからない能力
一歳半の記憶すら鮮明な映像記憶
それも姉が父親から激しいDVうけてて、母親知らん顔
叔父が止めに入ってるって記憶
カメラアイは魔法でも超能力でもない
でも普通の人には理解できない
だからずっと傷つけられてきた
例え今仕事で人を助けたとしても
なにか占いの類だとか、怪しい宗教だとかも言われたし
すぐ手のひらを返したようにね私を攻撃する側に回る
どうして普通に生まれてこらなかったんだろ
わたしは普通に生まれたかった
辛い
異質なものを人間は排除する
それが人と違う能力を持った人間なら尚更
養父と今暮らしているけど
養父はどれだけ口止めしても私の周りや患者たちにまで話す
結果わたしは友達を失い、変な噂を流され
これがもう10年以上養父に口止めしても口止めしても
悪いとも思ってない
わたしは普通になりたいの
誰にも知られずに
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
人と違うこと
感想2
「人智を超えたもの」という表現が、あり得ないものやオカルティックなものの表現として使われることはよくありますが、多くの人が知覚できる範囲なんてとても狭いと私は感じています。以前見た文化人類学的な研究に基づく映像で、ある森に住む部族の人には、葉の表面を舐めて食べて人体への良し悪しを判断できる人がいるということでした。私はそれを体感的に理解することはできないけれど、そういうこともあるのではないかと思います。
文章を読んでいて、あなたの場合は先天的要素に加え、幼少期の危機的な経験やダメージの中で、あなたの身体や脳が生き残るために要請された能力という部分もあるのかなと想像していました。でもそれによって、大人になった現在も、日常的に苦痛を感じたり疲労したりする部分もあるのではないかと思います。
私もあなたと同じでは全然ないのですが、私なりの知識と経験と感覚から、なんとなく実感したりわかったりする感覚がいくつかありますが、その瞬間に理解されないことは多いなと思っています。 ただ、数年後に結果的に「本当にそうだったね」と言われることはあった気がします。
視覚重視の社会だと言われていますが、それでも私たちが見ているものすら実はとても大きく異なるように思います。でも「一緒のものを知覚しているはず」という幻想がないと不安を感じる人がいるから「異質なもの」を排除したくなるのかなぁ……もしそうなら、その不安はどうしたら変えられるのかなぁ、と考えていました。
人との違いが目立つことで、あなたがたくさん苦労してきて、しかもその苦労さえ理解されづらい中で生きてきたことを感じました。噂などの中で人間関係を窮屈にされてしまったら、普通になりたいと願うのも自然なことだと思いました。
でも一方では、あなたがあなたのままで過ごせるような場所はないのだろうか……と考えてしまう気持ちがあります。さっき見ていた映画で「なんで人はそれぞれ違う顔をしていると思う?違う人生を歩むためだよ」というようなセリフがありました。どんなにそっくりな部分があっても全く同じ顔の人はおらず、全く同じ人生はあり得ない中で、私やだれかが窮屈に身を縮めて普通に埋没しようと努力しなくても、自分なりの歩幅と速さと方角で歩くことを許されたいと私は思っています。そんな願いも、いまそれが叶わないでいるあなたに伝えることは勝手すぎることなのかなとも思うのですが……。そういう世の中にすこしでも向かうためにも、さまざまな違いが現に、すでに存在していることを言葉にしていきたいと思いました。
せめて人間関係のしがらみと関係ない死にトリの中では、あなたがあなたの言いたい時に、思いを語ってもらえたらと思っています。
感想1
人の脳は使える機能のほんの少ししか使っていないということを聞いたことがあるので、あなたの他の人とは違う能力について聞いて、少しの驚きと「そういうのもあるんだ」と思いました。経験談を読んだだけで実際にその能力についてちゃんと理解はできていないのですが、周囲にはわからないことが数少ない情報でわかってしまうということなのかと私なりに理解しています。もしそうだとすれば、確かに他の人たちと関わることや、社会生活を送るうえで想像できないほど、大変なことはありそうだと想像しています。私たちは、物事を見たり聞いたり、感じたりしながら世界を理解していきますが、その理解がある程度の範囲内で共有しているからこそ、意思疎通ができ、安心感や連帯感を感じることができるのだと思います。それが、理解の範囲が大幅に違うのであれば、安心感や連帯感を感じられず、不安や孤独を感じてきたのではないかと思います。
また、クリアに残っている子どもの頃の映像記憶が暴力のシーンであることは、ずっとダメージを蓄積しているようにも思えて、心への影響が気がかりになります。人よりも多くの映像や情報を処理することは、ひょっとして相当疲れるのではないか、いや処理する基準がそもそも違うのだから、それほど疲労にはつながらないのかもしれないとあなたが感じてきたことや苦労について思いを巡らせています(心の中でいろいろと質問をしています)。
私はあなたの「人と違うこと」を全面的に信じます。それがどんなものかは分からなくても、あなたが書いてくれたことやその違うことによって苦しい経験をしてきたことも、そのまま受け止めています。なぜなら、人は私たちが思ったよりもとても多様であり、本当はもっともっといろんな人がいると思うからです。ただ、知らないうちに、人はこういうものとか、普通はこうだとか、こういうものだという枠を勝手に決めてしまい、そこからズレると排除されたり、理解されないことが多くあるため、たくさんの人たちが本来の姿を隠したり、見えないようにしたりして暮らしているために、いろいろな人がいること、特に他の人と違うところがある人は本来の姿を隠していることが多いのではないかと思うのです。「信じられない」という人の心は私たちの固定概念や知らないうちに作っている枠によってもたらされ、それが差別や無理解につながっていると私は思います。だから、私はこうして、あなたがあなたの感じることをそのまま教えてくれたことに敬意を抱き、ありがたいと感じています。こうして書くことが何か役に立ちそうならまた、いつでも書いて送ってください。