経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

生まれてきたくなかった

生きづらい。この生きづらさは、生きていることの苦しさは、どこから来るのだろう。
家族のせいだろうか。友達のせいだろうか。
そうやって他の人のせいにしようとするが、結局は、自分のせいだという結論に落ち着く。
私がネガティブなのが悪い。努力できないのが悪い。弱いのが悪い。暗い性格なのが悪い。だから鬱になるんだ、、、。
考えれば考えるほど、自分が悪いのだ、生きていてはいけない人間なのだ、と思う。早くこの苦しさから解放されたい。そう思えば思うほど、私は死ぬしかない、自殺するしか楽になれる方法がないのではないかと思ってしまう。
だが、死ぬのは怖い。そんな勇気はない。だから、生きるしかない。でも生きているのも怖い。どうしてこんなに生きづらいのか、、、と、ぐるぐると一生結論がでないことを考え続けている。そんなことをしたって、この生きづらさや、希死念慮はなくなりはしないのに。
生きるのは苦しい。死ぬのも怖い。どちらも選びたくない。けど、選ばなくてはいけない。どうしようもないこの辛さを、私はどうしたらいいのか。死ぬ勇気も、生きる勇気もない私は、どうしたら幸せになれるのだろうか。

感想1

つらさも苦しさもハッキリとしているのに、それらが輪郭を形作らずただ“結果としての思考の終着点”として「自分のせい」と向けられている、どこか手につかない投稿者さんのつらさを想像していました。

理由があることでハッキリすることやそのつらさもあれば、理由がなくふわふわと宙に浮いているようなつらさもまたあるように考えることが私はあります。それは、直接的には何かの因果はないのかもしれませんが、よくよく考えてみたり時間が経ってみたりすると、人間関係や環境、社会通念や経験や常識など、様々なものに影響を受けて形成されていることもあるのかなと(私自身のこれまでを振り返っても)思います。

それで言うと、「家族のせいだろうか」「友達のせいだろうか」と投稿者さんが考えや思いを巡らせているように、それらの影響だと言い切れないかもしれないけど、自身の中に何かしらのささくれのように傷つけられてきた経験などももしかしたらあるのかなと勝手ながらに考えしまった私がいます。

もしかしたら本当にただ漠然と、抽象的に感じていることもあるのかもしれませんが、それでもそのつらさや苦しみに対するアンサーを全て「自分のせい」として心に持つことにはとても大きなしんどさが伴うように感じられます。

自分の中に答えや理由を持てない気持ちや考えに対してとっかかりを手繰り寄せるには時間がかかったり、何かしらの変化が必要だったりするのかもしれません。しかしながら、絶え間なく自分で自分に向けられる気持ちに向き合い続けることもまたつらく苦しいものだと思うので、こうして書きにきてくれたように、何かを吐き出したり整理してく中で今の投稿者さんのつらさや苦しみに対しての何かしらの綻びが見つかってほしいなと思いました。

感想2

「ほとんどの人の悩みは、人との間に生まれている」そんな言葉を何かの本(曖昧ですみません)で読んで衝撃を受けたことがあります。一見「自分の中だけの悩みに見えるもの」でもよくよく目を凝らして人の話を聞いたり、自分の悩みを紐解いてみるとそこには「他者」が現れるのです。「他者」とは家族や友人であることもあれば、不特定多数の(いわゆる世間と呼ばれるような)実態のないものである時もあります。

あなたの文章からあなたの繊細さや敏感さを奥の方に感じながら、人のせいにするよりも自分のせいにする結論に落ち着くという言葉に共感を抱いています。わたしにもあなたにも、自分のせいにすることによって乗り越えてきたことがあるのかもしれないなと思います。

人のせいにするより楽かもしれない。それでも、「人から言われたら辛い言葉」を自分自身に言い続けるのは、知らない間に自分自身を傷つけ続けていることにもなりうるかもしれません。

「死ぬしかない」と思うまで追い詰められ、ご自分を責め続けられているのかな、と思うと胸が痛む思いです。身体中にできた傷の手当てもすることも忘れてしまっているのかもしれない。あなたの生きづらさについて、紐解いたり、傷の手当てをしながら、あなたが癒しや幸せを感じる瞬間はどんなものなのかやりとりしながら見つけてみたい思いです。投稿もまたお待ちしています。

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