経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

頑張るのに疲れた

小学生の頃にクラスの約1/4の人たちからいじめを受けました。母はわたしに「クラスで勉強する義務も、権利もある。どうしたいか?」とわたしに聞いたそうです。わたしは、「クラスで勉強したい」と答えたのだそうです。

思えば、この頃の経験が後々災いしたのではないかと思います。

「辛いことから逃げるのは悪だ。わたしはもっと辛い思いをした。けれど逃げなかった。わたしはまだ大丈夫」そう思い、かなりブラックな職場で自分に起きている体調不良や、精神的な負担に見て見ぬふりをし続けて精神疾患を患いました。診断がおりてから約4年、いまも闘病中です。

それでも、わたしは頑張るのをやめられませんでした。仕事にきちんと行くこと。仕事に全力を尽くすこと。家族の話を聞き、その負担軽減に努めること。
正直に言うと、その全てが苦痛でたまりません。出来ることなら、ずっと静かな布団の中で丸まっていたい。

でも、それは社会人なら皆当たり前にしていることであり、思っていることです。きちんと折り合いをつけていることです。それができないわたしには価値がない。だから、今のわたしは頑張ってなんかいないのです。頑張り続けなければ、わたしは人並みになれない。それらの板挟みになり続けています。

頑張れば頑張るほど、要求されるレベルは上がっていきます。頑張って背伸びしている状態がデフォルトと判断されるからです。そんなの、自分で自分を追い詰めているのと同じ。それでも、わたしは走るのをやめられないのです。動悸がひどくて血管に手を当てずにも指先で拍動を感じてしまっても。めまいがして地面がぐるぐると回っている感覚がしても。通勤中にに涙が止まらなくても。

先生は、「眠くて仕方なかったり、めまいがするのは心の症状が体に出ているから休みなさい」と言います。ですが、それでは頑張っているとは言えません。たとえ休んだとしても、サボっているという感覚が抜けません。

先生は「仕事に行けなかったとしても、遊びに行くのはマイナスな心をプラスに戻す行為だからしてもいいよ」とも言います。でもそうした結果、楽しかったのはその日だけで、残ったのは『やるべきことを怠けて遊びだけした』という罪悪感だけでした。

結局、わたしは自分が病気なのを理由にサボろうとしているだけなのです。だから自分をせき立てようとするのに、心は『頑張れ』と言われるのを拒否しているのです。

いまの職場はホワイトです。定時上がりで無茶な残業もないし、人間関係もいい。わたしの病気についても一定の理解を示してくれています。なのに、わたしはそこに迷惑をかけ続けているのです。頑張って人並みになって、やっとわたしは使い物になるレベルなのですから。

これをいま泣きつつ通勤しながら書いています。わたしは今日も頑張らなければなりません。エネルギーが足りません。それでもなお。

でも、「頑張れ」と自分に言い聞かされるのも、他人に言われるのも疲れました。八方塞がりです。どうにもなりません。楽になりたいです。

感想1

以前「頑張る」というのは日本特有の言葉で、英語には似たようなぴったりな言葉がなく翻訳が難しいと聞いたことがあります。似たような状況の時、つまり誰かが何かに向けて必死に邁進している際にかける言葉は、「力を抜いて」「気楽にいこう」「無理しないで」「結果を気にせず、今を楽しんで」などの方が多いと聞き、なるほど、その方がいいなぁと感じました。どうやら英語圏の文化では、最高のパフォーマンスを出すためには「余計な力を抜いて、自分らしくいること」が重要だと考えられることが多いようです。一方で日本文化は努力や忍耐が美徳だと考えられる傾向があるように私は思います。
あなたが「頑張るのに疲れた」と分かっていても、頑張らなければ…と思うのは何故なのか考えたときに、私たちを取り巻く環境や価値観、文化的な背景について頭に浮かびました。もしも、小さい頃からあなたが日々、英語圏の文化にあるような言葉をかけられてきたら、今の苦しさはどうなるのかなと考えています。人は周囲からの関わりやメッセージに影響を受けて、考え方や価値観をつくりあげて、行動指針にするので、きっと今のあなたとは違っているのではないかと思いました。私は英語が苦手でよくわからないですし、英語圏で生活したこともないですが、あなたには心の底から、英語圏の言葉かけをしたいと思います。そして、日本の謎の頑張れ文化のメリットとデメリットについて深く考えています。おそらく、集団を優先するか、個人を優先するかその違いがあるのではないかと思っています。集団も大切ですが、私はその前に一人ひとりの尊重が大切だと思います。今、あなたが頑張るのをやめる選択をするとしたら、それはあなたが怠けたり、サボることを意味するのではなく、集団よりも個人を大切にする社会を目指す行動だと私は思います。そして、頑張るのがどうしてもやめられないのなら、休むことを頑張るのはどうかと思いました。ずっと頑張り続けてきたあなたなので、頑張って休めると私は思いました。

感想2

 社会の中でこんなにも無理をしているあなたがいるのだと、心がヒリヒリする思いで読ませていただきました。本当によく頑張っていますねと労いたい気持ちでいっぱいです。
 そして心身を壊しても頑張りすぎるあなたになったのはなぜだろうと知りたくなりました。推測となりますが、母親さん(もしくはご家族)の規範意識があなたに大きな影響を与え続けているのではないかと想像をしました。ご家族の中に規範から外れると許されない空気感がある、もしくは精神的にケアしなくてはならないご家族がいらっしゃって、自分だけでもしっかりしなくてはならないと追い込まれているのだろうか・・・など色々と考えてみました。
 医者の先生や今の職場の方は、あなたの考え方とは異なる角度で、メッセージを発信してくださっているように感じました。それらの考え方や価値観を取り入れることができたら、判断の基準の幅が広がり、少しづつ心身が楽になるかもしれないと思いました。一方でそれらの新しい考え方を取り入れるということは、これまでのあなたの頑張りを否定することも意味するのかもしれず、受け入れがたいのかもしれないとも思い悩んでいます。

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