経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

とにかく目先がしんどくて死にたいをどうにかしたい

社会人4年目、ITの仕事を続けています。
うつのため毎日薬を飲みながら生活していますが、それでもやっぱりしんどくてもう死んじゃいたいな!辞めたいな!楽になりたいな!!!の気持ちです。

目標もなく、なりたい姿どころか目の前の仕事すらそつなくこなすことも難しく、本当にしんどいです。

出来ないことばかり、コミュ力があっても、肝心の技術的な基礎が足りない部分が多く、全く貢献できていません。

元々パソコンを触るのは好きで、やってても苦じゃないことの方が続くだろう、という背景からこの業界を選びました。
ありがたいことにお金もそこそこもらえて、比較的好きな分野の仕事で就職できて、土日祝休み、なのに、なのに辛いんです。しんどいんです、もう自分が出来ることなどありません。楽になりたいです。

真面目すぎ、働く上でどうしたい、もなく、ただ「帰りたい」「働きたくない」ばかり考えてしまいながら働くことも辛いです。
死んでも辛いことが終わるとは思っていません。死ねないことも辛いかもしれませんが、現状が辛いだけで、楽しいことがあるのも分かっているけどただただ辛い労働と向き合うことも、改善するために自分がどうしたら良いかもわからなくなってしまいました。

寒くなってきました。どうぞこれを読んでいる皆様も身体を大事に過ごされてください。

感想1

読んでいて、世の中には「これくらいのことでつらいわけない」「この程度大したことない」といった生き物としての人間を丸無視した価値観が蔓延っている、その社会の問題をたくさん感じています。つらいと感じた時に、あなたは、さらにそう感じる自分を責めなければいけないように感じてきたのかなと思いました。そんなふうに思う必要は本当はまったくないのに、そう思わせる価値観に、なんだかすごく悔しくなってしまったのでした。
個人的には目標もべつになくてはならないものではないと私は思います。それから、働かなくてもいいと思います。そう思うのは、労働や仕事が先にあるのではなくて、あなた自身が先にあるからです。あなたが苦しくて楽になりたいと思っているなら、辞められるものなんか全部辞めてしまってもいいし、それでも大丈夫だと個人的には思います。

私は学校卒業後のこの10年くらいのあいだに休職、退職、転職をくりかえして今に至るのですが、今は自宅で働いたり働かなかったりしながら自分にとって過ごしやすい生活を模索しつつ暮らしています。希死念慮はいまもありますが、会社で意味不明に涙が出そうだった頃よりは、いくぶん時間や過ごし方に余裕があるように思っています。(というか正直、世の「フルタイム」って時間取られすぎだなぁって思います。もちろん、人にもよるし内容にも環境にもよるとは思うのですが。)
文章から、あなたはもともと素直な感性の持ち主で、人と関わったりなにかを好きになったり楽しんだりする力のある方なのだと感じました。それがのびのび発揮できなくなっているなら、どうにか仕事や職場や現在の生活とすこしでも距離を取る方法がないものだろうか…と考え込んでしまいました。

「身体を大事に」と書いてくれていましたが、本当に自分を「大事に」するのって簡単じゃないなぁと思います。だからこそこうやって言葉を交わし、投稿者さんの言葉や思いに触れながら、どんなふうに自分が感じているのか自分でも知ろうとして過ごす時間は大切なものだと感じています。どうしたらいいかわからなくなっている苦しみの中で、死にトリにあなたの率直な言葉を寄せてくれてありがとうございます。

感想2

ぜんぶ手放して楽になりたい気持ちを、目の前にある生活と「生きていくならば…」という理性が必死に繋ぎとめているように想像しました。個人的な体験もふまえてにはなるのですが、全部やめたいときって、今あるものか何もないかの2択しか考える余裕がないくらい追い込まれているのだと思います。だからこそ今と違う道に進むイメージも湧かなかったり、今いる場所のマシな部分をどうにか見つけてやり過ごしたりしていくんじゃないかなと。

一方で、そんな理屈以上に、あなたが毎日の仕事に行くこと、そして職場で辛い気持ちに耐え、かえりたいと思いながらどうにかその場で踏みとどまっている、そのたびに消耗していく心を想像すると、一旦休みませんか…と言いたくなってしまう私と、いやでもそう簡単じゃないですよねと思う私がいます。簡単じゃなくさせているのは、私でもあなたでもなく社会なのですが…。
人それぞれに、「働く」ことそのものがしんどかったり、やり方によっては働けたり、今は難しいけど働きたくないわけではなかったり。どれも間違っていないはずなのに、「働く」に絶対的正解があるような気がしてしまうなあと思います。もっといろんな「働く」が広がっていったら、「働く」ことに対して自分の心身を費やさなくても、ただ「生きる」ことが出来るのかなと感じました。

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