経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
今日、自分は心が止まった。
様々な種類の問題が自分であったのだろう。
人との関わりが取れないとか、以前楽しめていた趣味も楽しめなくなったりとか、結果が出ないとか、就活が思うように進まないとか、自分の長所を書けとか。
周りを見ると突然悲しい気持ち何もかもに何か嫉妬なのか周り二怒りが湧く事もあった。
書いている自分も脳内に湧く感情についていけなくなり遂に心は停止した。
地球の出来事全てがしょうもなく感じ意欲も湧かない自分に嫌気を指してきて自分でもよく分からない
今自分は布団にくるまりこれを書いている。
ずっと悲しいし涙も出て水っぽい鼻水もずっと垂れてくる。
やっと鬱というのがわかった気がする
いわゆる人形
肉体から飛び出で上からラジコンでも糸でも引いてみて
その日の事イベント起こる場所に向け、目的地まで上から命令だし
動かし歩かせる。
電車で乗っている時間は眠ったりして何とか目的地着いてもやるべきことは何も出来ない
自分が人形の命令をしても複雑出来ずイライラしたり劣等感が流れ悲しむ 今日やるべきことは頭がまとまらず進まないし上手くいかない
家から帰ってきても気力も体力がなくそのまま寝落ち。
そのまま頭も痛くなり、
悪循環に突入してどうしようもない。
それでこれ何書いてるの?
自分でも何書いてるのかわかんないしなんで書いているんだって思うし
わからないや
感想1
心が動かなくなった反面、思考だけがカラカラとまわり続けている(回さないと生活できない)、そんな状態を想像しながら読みました。「やらなければ」という気力だけがかろうじて残っている状態なのかなと思うと、実際の動きが思うように伴わなかったり、複雑なタスクは処理できないというのも、無理はないことだと感じました。
今は就活をしている時期なのかなと想像していますが、就活はまさに「やらなければ」というタスクと社会のプレッシャーのオンパレードという印象があります。そこにどれだけ興味が無くても、何らかの行動と意思が要求されるというか…。せわしくて、しんどくて、きついのに、結果が出るかどうかは自分でコントロールできず、そのうえ絶えず誰かと比べられる。とても苦しい時間だと、自分の就活を振り返ってみても感じるところです。
一方で、私はあなたが書いていた「しょうもない」という言葉が妙に腑に落ちた感覚がありました。その言葉になぞらえて、世の中で「必要」「絶対」だと思われているような価値観をイメージしてみると、どれもこれも「たしかにしょうもないなあ」と思えてくる私がいます(それ自体を頑張ったり取り組んだりすることを否定する意図はありません)。
「しょうもない」は「仕様もない」が変化した言葉らしいのですが、就活、人間関係、成績や評価、メンタルのバランスなど。自分が頑張る余地がないわけではないけど、どんなふうに着地するかを操作する術は無いに等しいよなと。相手次第だったり、自分では選べない環境要因も多くあると思うので…。でも、世の中には「自己責任」の風潮が相変わらず強かったり、特定の属性や状況を非難したりと、なんというか、表面的なことがものすごく権威を持っているように感じます。本質的に自分がどうしたいかより、敷かれたレールに乗り遅れないことが最重要されるような感覚があります。
そのレール自体がしょうもないのかもしれないと感じつつ、それに「乗らない」決断をするのもいろんな要素がありすぎて難しいと強く思います。今、就活をするタイミング、つまり学生というレールを抜けて良くも悪くも自分のことを自分でどうにかしようともがくタイミングは、自分自身の課題以上に、世の中で「当たり前」とされていることのしょうもなさが壁として立ちふさがる時でもあるのかもしれないと、そんなことを考えました。
感想2
涙と、水っぽい鼻水は自分にも覚えがあるなあと、あの瞬間の状況と感情をどう表現すべきだろう。鼻を噛む気力もなく、ただただ呆然となんとなく涙を堪えてみたり、流してみたりしていらっしゃったのだろうか。
その涙と鼻水が、案外自分のこころの指標になったりして。頑張りすぎたり、思い出す景色や風景に遭遇したり、こうするとこんな風になるのだなと自分の最も辛かった泣き方というのに助けられたりする。感情には追いつかないけれど、整理もできないけれど、こうして体が勝手に反応するのかもしれない。
あなたが、ああこれが鬱かと腑に落ちた、真っ暗闇を頭が整理できなくても、しっかり体が反応している。涙も鼻水も出るあなたの体、こころ。
就活って地獄の成れの果てみたい。多くの人を、あなたを問答無用に苦しめる。決まれば楽になれるのか、決まれば決まったでその先に型にハマった辛さが待っているのか。もっと自然な形の生き方があってもいいのにな。乗る乗り物の形に自分が合わせるのじゃなくて、自分の形に合わせた乗り物が欲しい。乗り物がないなら、自分の足でもいい。
ちゃんと涙も鼻水もでるじゃないか。整理しきれないまま、あなたの体とこころが教えてくれる、苦しい形、快い形。人と違って当たり前の、あなただけの形で、布団にくるまったり、息をしていてほしいと思いました。
感想1
心が動かなくなった反面、思考だけがカラカラとまわり続けている(回さないと生活できない)、そんな状態を想像しながら読みました。「やらなければ」という気力だけがかろうじて残っている状態なのかなと思うと、実際の動きが思うように伴わなかったり、複雑なタスクは処理できないというのも、無理はないことだと感じました。
今は就活をしている時期なのかなと想像していますが、就活はまさに「やらなければ」というタスクと社会のプレッシャーのオンパレードという印象があります。そこにどれだけ興味が無くても、何らかの行動と意思が要求されるというか…。せわしくて、しんどくて、きついのに、結果が出るかどうかは自分でコントロールできず、そのうえ絶えず誰かと比べられる。とても苦しい時間だと、自分の就活を振り返ってみても感じるところです。
一方で、私はあなたが書いていた「しょうもない」という言葉が妙に腑に落ちた感覚がありました。その言葉になぞらえて、世の中で「必要」「絶対」だと思われているような価値観をイメージしてみると、どれもこれも「たしかにしょうもないなあ」と思えてくる私がいます(それ自体を頑張ったり取り組んだりすることを否定する意図はありません)。
「しょうもない」は「仕様もない」が変化した言葉らしいのですが、就活、人間関係、成績や評価、メンタルのバランスなど。自分が頑張る余地がないわけではないけど、どんなふうに着地するかを操作する術は無いに等しいよなと。相手次第だったり、自分では選べない環境要因も多くあると思うので…。でも、世の中には「自己責任」の風潮が相変わらず強かったり、特定の属性や状況を非難したりと、なんというか、表面的なことがものすごく権威を持っているように感じます。本質的に自分がどうしたいかより、敷かれたレールに乗り遅れないことが最重要されるような感覚があります。
そのレール自体がしょうもないのかもしれないと感じつつ、それに「乗らない」決断をするのもいろんな要素がありすぎて難しいと強く思います。今、就活をするタイミング、つまり学生というレールを抜けて良くも悪くも自分のことを自分でどうにかしようともがくタイミングは、自分自身の課題以上に、世の中で「当たり前」とされていることのしょうもなさが壁として立ちふさがる時でもあるのかもしれないと、そんなことを考えました。