自己紹介を簡単に
私は30代の男性です。
現在正社員雇用で働いている、片耳の聞こえない人間です。人間かどうかはさておき、人間の形をしています。
私は10代の頃からすでにうつ病だったのでしょう、何に対しても興味がありませんでした。
1つ興味があったことは、自己の無限の拡張、でしょう。
本、アニメ、漫画、新聞、創作表現、そしてネット、自己拡張のツールは事欠きませんでした。
10代の思春期に、私は強烈な影響をある作品から受けました。
察しの良い方は、タイトルでおわかりになることでしょう。
本題に入ります。
私はその名通りcopy cat、模倣者です。偽善者です。
模範解答と呼ばれる事を(そう思い込んでいた)を全てにおいて実行し、その結果自己という存在を欺瞞して生きてきました。
そしてそれは、職場においても、人間関係でも、男女関係でも、同じです。いわゆる「イイヒト」を演じています。
先輩の裏切りによって、紆余曲折を経て、私は一度命を断ち、copy cat としての生き方を捨てたはずなのに、それがまた繰り返し、私を苛むのです。
だってそのほうが、周りは簡単に、私を、偽りの私を、受け入れてくれるからです。
模範解答による、模倣的存在、偽善にも似た、社交辞令による、コミュニケーション。
疲れました。生き延びるためには自分を偽らねばならないのです。
しかし、偽りには限界があります、特に「現実の世界」では。
我々はロボットではありませんから、力作業や、電子計算等、姿形の造形には限界があります。
しかし、現実は、会社は、社会は、それをもとめるのです、人間に。
そして現代、ネットが星を被い、電子や光が駆け巡っても国家や民族が消えてなくなるほど、情報化されていない近未来になりつつあります。
私は、ネットの海に漂う模倣者で、現実の世界で、搾取される、弱者なのです。
他人を尊重し、迎合し、すべてを譲って、模範的に生きてきた結果、得たものは、仮初の報酬でした。
安い給料、少ない休日、うすっぺらい信頼。「イイヒト」というレッテルによるパートナーの欠如。
「優しい嘘」を重ねてきた結果、それが私を食いつぶしたのです、「優しい嘘」を真に受ける、バカのせいで、私は、壊れたのです。
その食いつぶしてきた対象は、消えました。
消えましたが、私の脳は壊れたままです。
明日もまた、会社に行くでしょう。
本当の自分を偽りながら。
そして
自分にないものを持っている「ニンゲン」に憎悪を抱きながら、焼かれながら、仕事をするでしょう。
「普通の人」とは、なにか、私は「普通の人」ではないらしいですからね。
それが、私の希死念慮の本質なんだと思います。
とりあえず、ここまでです。
最後に一言。
I am a copy cat.
But I am a real human.
What is the true, no one find them, any time, any where.
I’m in the depth of longing that.
So I follow my ghost whisper.
感想1
人間性が形成される時期に自己拡張を繰り返し、自分の中に一定の世界観と価値観が出来上がったであろうあなたが、社会への適応に全振りしたのはなぜだろう?と考えながら読みました。望んで全振りしたわけではなく、社会のしくみや人間関係の難解さを乗りこなすために必要な判断としてそうなったのかもしれませんが、だとしたら今あなたが「人間としての限界を感じている部分」にこそあなたの作り物でない面が詰まっているような気もします。同時に、その面を表に出すことを恐れるような気持ちがあるのかなと想像したりもしました。「普通」の「人間」らしくありたいという思いが、模倣のはじまりなのでしょうか。「自分」を前に出すことで傷ついたことがあったのでしょうか。自己拡張を繰り返し、周辺世界を概念的に捉えているあなたにとっての「自己」や「普通」とはどういうものなのか、深めてみたい私がいます。
あなたが捉えている「現実」はあなたの経験に基づくものとして受け取りつつ、同時に社会全体を覆う問題として存在しているものだとも思いました。自分を偽ることを推奨されはしないですが、暗に求められているような。社会の型にハマりたいとは思わないのに、適応しないと孤立してしまう、そんなジレンマを抱えているような感覚があります。そうした現実の難解さと折り合いをつけるための発想が、創作物による自己拡張であったり、自らを模倣者として位置づける事だったりするのかなとイメージしました。
概念的な表現が多くみられる文体ではありましたが、その核となるところには「ありのままの自分を見て(認めて)もらえないか」という率直な願いと悲しみがあるようにも思えます。自分と周辺にある距離を冷静に眺めることで自分のことを省みることができる側面もあると思いますが、一方で、取り留めなくともあなたが温度をもって語れる平易な感情、今度はその語りを聞いてみたいと思います。