経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

『自由』≒『幸せ』

皆さんはタイトルを見て、頭に?は思い浮かびましたか?
…思い浮かんだ人も思い浮かんでない人も、どちらも等しく正解です。
ここから、私がこう思うようになったきっかけをお話しようと思います。
──────
あれは、確か小学5年生の頃からでした。
今までしていた習い事2つへのやる気が、急に失せたのです。誰かに話すのは気まずくて,なんか嫌で、自己解決していました。
「私ならできる!」とか「今は少し休憩が足りないだけ!」とか。
最初は、「今だけでしょ。気にしない気にしない!」と思ってたんですが、精神が急降下したのは、小学6年生の時。
【辞めたい?駄目に決まってるでしょ?】
私はどうしても辞めたい心を留めることができず、少しずつ少しずつ降下していったものをつい声に出し、
「習い事を辞めたい」
と母に言ってしまったんです。すると母は、さも同然のようにそう言い返してきました。
私は驚きましたよ。そして、怖くも感じました。
いつも優しい母が、まるで私を習い事を辞めさせないためにとでも言うように、
【あなたなら出来る。だって姉ちゃん達と同じように上手いんだから】
そんな、私を肯定するような言葉をかけてくれました。普通は喜ぶべきです。歓喜で涙が出てしまってもおかしくありません。ですが、私は恐怖で涙を流しました。本当に、怖かったです。
それから私の『自由』が狭くなりました。「今まで何でもできる!」と思っていた私が,「私は天才!」と自己肯定感が強かった私が、ネガティブになって,他人の目を気にするようになって,『自由がなくなった』と感じるようになりました。
そんな人生にも『幸せ』は勿論ありました。衣食住は保証され、好きな時に好きなものが買える。まさに皆さんが子供の時(大人の時でも)に望んだ親でした。
でも、親は頭のいい姉や兄,頭は悪いが違うことがずば抜けている姉と私を比べるようでした。
【〇〇でもいけたんだから】【〇〇も続けてたのよ?】【〇〇ならこんな点数取らなかった…】
私の心をズバズバとナイフで刺して、辛いという言葉以外浮かびませんでした。
「…私と姉兄が同じだと思わないで」
私がそう言えば、
【大丈夫、あなたは〇〇よりも──】
聞き飽きた言葉ばかりが、聞こえてきました。
なんの特技もない私よりも、正直言って勉強ではなく技術面で優れていた片方の姉の方が優れていると、今でも思ってしまいます。
他の姉兄と同じだろう、だからこれぐらいは普通だろうと思われているため『自由』は奪われ,私の願いを聞いてくれる家族と過ごせる『幸せ』。
『自由』であるから『幸せ』。
『幸せ』であるから『自由』。
そんな事は多分ありません。一つ一つ名前が違うのではなく、意味が違うのです。
……皆さんの人生に、いつしか『自由』=『幸せ』が常識となりますように。

感想1

投稿ありがとうございます。
まず、タイトルを見て私は「?」が浮かびました。ふんわりと自分の中で「自由」=「幸せ」だと認識していたんだなと気づかされました。けれど、なぜ「≒」なのか、考えるにつれて「?」が薄れ、次第に「なるほど!そういう考え方もある!」と新たな気付きを得られました。
習い事へのやる気が急に失せたこと、当時から投稿者さんは自分を誤魔化してギリギリでやりくりしていたんじゃないかな、もうすでに我慢されていたんじゃないかなって個人的に感じました。辞めたい意志がポロっと零れ落ちたように母親さんに伝わったことも、心の限界がすぐそこまで迫っていたからのように感じましたし、それほどに心の負荷を抱えているときにばっさりダメだと告げられることはとても苦しかったのではないかとも感じます。
「~でもいけたんだから」「~も続けてたのよ?」と誰かを基準にする励ましは「~にもできたんだから、あなたにもできるよ!」という意味合いもあると思いますが、投稿者さんを追い詰めるには十分な言葉だったのだろうと私は感じました。私が体験し感じたことですが、辞めたいと感じている側からすれば、たとえ同じ言葉でも「~はできたのに、あなたはできないの」と言われているように感じてしまうと思います。もしそうだとすれば、つらく感じて当然のようにも思えますし、お兄さんやお姉さんが自分よりすぐれていると感じている投稿者さんにとって、そのつらさを助長するものだったのではないかとも感じます。
「自由」≒「幸せ」がどういった状態なのか、いろいろ考えてみました。どちらも100%である(満たされている)状態が理想で、そしてその状態は「=」なのかな、と感じ、だとしたらどちらかが少し欠けている状態…?なにかしら我慢して、妥協して、そうして得られるものは「≒」なのかなと感じ、『「自由であるから幸せ」。「幸せであるから自由」。そんなことは多分ありません。』という投稿者さんの言葉が腑に落ちた気がしています。
投稿者さんを含め「自由」=「幸せ」がいつか社会に定着するといいなと私も強く思います。
改めて、投稿ありがとうございました。

感想2

あなたの経験は私がこれまで感じていたスッキリしない疑問を晴らしてくれるような気がしました。時々、「私の家は恵まれています。それなのに私はしんどくて涙が出てくるんです」という話を聴くことがありますし、経験談でも目にします。きっとそれは尊重されていないからだろうとぼんやりと私は感じていました。しかしあなたの経験から分かったのは、自由が狭くなること、自由を奪われることによる苦しさがあるのだということでした。ぼんやりしていた尊重されない苦しさの輪郭がはっきりしたような気がします。
こどもって小学校4年生くらいまでは、大人に守られた中での自由を感じているのだと思います。しかし小学校5年生くらいになってくると、「私」がどんな人間であるか理解し始めて、自分が自分であること、そして自分の自由を自分で決めたくなってくると思います。それがこどもから一歩大人に向かう「成長」なのかなと私は考えています。だからあなたが自分じゃない誰かと比べられたり、自由を狭められ、決めつけられたりすることに違和感を感じて大人との関係性が変わってくるのは自然なことだと思います。しかもそれをあなたは的確に感じて言葉にできているんですから、きっと自分の自由を勝ち取れるのではないかと思ってしまいました。
「自由」=「幸せ」が訪れることは私も本当に願っていますし、「自由」=「解放」=「幸せ」とか、「自分」=「自由」=「幸せ」=「安心」と連動して言葉がつながってきました。投稿してくれた文章からはあなたは自分を手離していないと思いましたし、ということはあなただけの「自由」も手離していないということに他なりません。
あなたが自分ではない他者(家族も含めて)からの価値観や評価から解放されて自由になることを願っています。

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