経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

もういいや、なんて

受験のある今年に入って、急に辛い出来事が増えた。
推しの現場には迷惑行為をする人が増え、学校ではSNSのアカウントがバレていじめられ、1年以上ずっと憧れてきた志望校の制服が変わることになって着たかった従来のものを着られないことをつい先月知らされた。そのせいか成績も下がってきて自責の念が止まらなくなる。昨日も些細なことで両親が喧嘩してたくさん泣いた。父が急に関係ないことを喋りだして怒鳴ったのが悪いのに母に泣きながら謝られて、当の父は妻子が泣いてもお構いなしに平気そうな顔で酒を飲んで寝た。一番大切な姉はその時家にいなかったのでそれだけは救いだったが、泣いて泣いて呼吸も下手になった。ずっと抱えていたトラウマに克服への道を5年かけてやっと見つけたのに、その矢先にこの仕打ち。私は幸せになっちゃいけないのか。受験勉強や面接練習をする気力なんてもうないし、何もかもから逃げたくなる。それでも、命の恩人が与えてくれた夢のために受験を決めた手前諦めることはできない。自分一人じゃ何一つ成し遂げられなかったくせに責任感だけはあるから、どんなに辛くても逃げたり人に頼ったりがうまくできない。こんな私は、どこに行けば落ち着けるんだろう。

感想1

受験もある中で辛い気持ちになる出来事が立て続けに起こっている苦しさを、経験談から感じ取りました。推しの現場での嫌な出来事、いじめ、そして着たかった制服を着られないと分かったこと…。着たかった制服を着られないとなると受験勉強のモチベーションも下がりそうだなぁと思いました。そして何より、両親が喧嘩しているとなると家でも落ち着けないだろうなと感じますし、「もしかしたら昔から家がそんな状態だったのかな?」と思うと心苦しい気持ちになりました。あなたの心が休まる場所がないように、経験談からは見えました。
そんな大きなストレスが日常的にのしかかっている中で、受験という差し迫った現実と闘っているとのことで、まずはあなたの毎日にエールを送りたい気持ちになりました。エールといっても「もっと頑張れ」という意味ではなくて、毎日一生懸命生きている姿に敬意を示したい、ぐらいの意味合いです。きっと今はしんどすぎて「もういいや」って全部やめたい気持ちになることもあるのかな、と思います。
やめることも選択肢の1つではあるでしょうし、全部やめなくても半分やめる、ちょっとやめるっていう可能性もあるのかも、と経験談を読んで感じました。勉強をちょっとやめるということもあるかもしれませんし、勉強だけじゃなくて「本音を我慢するのをちょっとやめてみる」みたいなことも「ちょっとやめる」「自分の心が少し楽になる」に含まれるかもしれないと思いました。こう言うのは無責任なのかもしれませんが、逃げたり頼ったりすることもそこまで悪いことではないのかも?と思うところです。
せめてスクールカウンセラーの人とか辛い気持ちを話せる場所があるだけでも違うのかなとも思いました。死にトリもその1つとして活用してもらえたらと感じます。経験談を投稿してくださり、ありがとうございました。

感想2

「もういいや」という言葉が指すように、どこかもう疲れ果てて諦めたくなる気持ちを抱きながらも受験のことや将来のこと、夢のためにどうにかしたいと抗っているような投稿者さんの姿を想像しながら読ませていただきました。

受験というそれだけでも心身にかかるプレッシャーが大きいイベントを前にして、様々なことが矢継ぎ早に襲い掛かってくるかのようにやってきたことはとてもモチベーションやメンタルを削る出来事に感じました。キャパも抱えられることも限界がある中で、一つでも手に負えなさそうなそれらのことが泣きっ面に蜂のごとくふりかかってきたら受験への意欲や体力もなくなるのも当然な気がしますし、下がっていく成績を前に自責の念を抱いてしまうのも仕方のないことのように思えます。

また、学校や勉強の苦しみに苛まれる中で、本来なら家庭での安心や落ち着きを得たいところなのに、両親の不和や父親の機嫌に振り回されることはさらに投稿者さんの不安や悩みの種になってしまう気がしますし、現状を輪をかけて辛いものとされているような気さえしてしまうように思いました。ただ、そんな状況下で泣くほどの辛さを感じつつも、決して自分のしんどさだけとせずにお姉さんを慮れることは誰にでもできることではない気がしますし、自分も含めた周りの人の幸せを意識できる投稿者さんの姿があるのかなと私には感じられました。

抱えてきたトラウマや、5年かけて見出した克服への道、命の恩人や夢がどんなものなのかは私にはわかりませんし、簡単なことは言えないのですが、たとえ今逆境の中にいたとしてもその全てが閉ざされたわけではないと思わず伝えたくなった私がいます。

それは今すぐには吞み込めないことなのかもしれませんし、逃げ道がない現状で受け止めることすらも難しいのかもしれません。しかしながら、逃げたり頼ったりすることが難しい中で、ここに気持ちを書きに来てくれたのが「一つの頼る形」とするならば、全部は解決できなくても、こうして吐き出したり、整理したりしながらでも投稿者さんが求めるものを少しずつでも形にしていってほしいなと思いました。投稿ありがとうございました。

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