経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

ひとりのにんげん

怒られること叱られること
私には当たり前みたいだ
沢山言われることばかり
日常の景色に必ずあって
できること普通なことは当然で
褒められることはあまりない
そんなに言われない
何故なのか幼い頃から分からない
だけど褒められたい訳では無い
私に期待をしないで欲しい
勝手に理想像を持ってきて
出来なかったらまるで私を否定するかのように言われる
本当の声は相手に届かない
ありのままでも大丈夫と
そのままでいいのだと
私をわたしで見て欲しい
貴方の型にはめて見ないで
産まれてから出会う人達には届かない
この気持ちは届かない
ちゃんとするからさ答えるから
善し悪しを何も言わないで
もう嬉しくもない
出来ない時は教えて欲しい
感情をぶつけずに話し合い
これはおかしいのですか?

感想1

経験談を読ませていただきました。文章からおそらく投稿者さんは今厳しい環境にいて、誰かに伝えたい気持ちがあることが伝わってきました。それは投稿者さんの心の叫びのようにも聞こえました。そして文章の最後の「これはおかしいですか?」と問いに、私はじっくり読んで「おかしくないよ!」と言いたい気持ちになりました。怒られることや叱られることが当たり前の日々を想像すると、私はそんな日々から逃げ出したいと思ってしまいました。人は幼少期の環境がその人の人格を作ることに大いに影響している、という話を聞いたことがあります。文章から読み取ってみて、投稿者さんの幼少期はとても過酷な環境だったのではないだろうか?と想像しました。期待されること、勝手に理想像を押し付けられることはありのままの自分を否定されることだと私は思います。
文章の中の「ありのままでも大丈夫と、そのままでいいのだと、私をわたしで見て欲しい
」の一文が投稿者さんの切実な叫びに感じました。そういうことをしてくれる人が、自分の周りにいるか?考えてみたら私はよくわかりませんでした。ただ、そのような社会になってほしいと思いつつ、自分には何ができるか考えたいです。
そして文章の中の「出来ないときはときは教えてほしい」という一文から、投稿者さんの率直な願いが伝わってきました。率直に話し合うことが、大人になっても難しいと思うことが私はあります。文章を読んで、穏やかに対話ができる社会になってほしいとも思いました。
最後に。投稿者さんの思いをもっときいてみたいと思いました。投稿ありがとうございました。

感想2

他人から何かを要求され、強いられ、否定されることにはもう疲れてしまったんだと、そんなあなたの心の重さが文字越しに伝わってくるような感覚になりました。「ひとりのにんげん」というタイトルには、そういうふうに扱ってほしいという他者への訴えと同時に、あなたがあなた自身をそう扱うことで必死に自分の存在を保っているような印象も受けました。
これまで、誤解や理不尽を消化する機会もないまま積み重ねてきたからこそ、あなた自身に対する視点や他者に対するまなざしが整理されてきたところもあるのかなと想像しました。

できるか・できないか、善いか・悪いかといった極端な評価は評価する側の都合によって成り立っているものが多いような気がします。そこにあなたやわたしの「存在」はなく、対等ではないなあと感じます。一律の基準を持たず、感情だけで乱暴に進めない話し合いがしたいという思いはとても自然な一方で、そこに向き合う胆力や余裕を持てる人があまり多くない社会が続いているようにも感じながら読ませていただきました。

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