経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

気にしすぎなのかも

私は今、中学2年生で生徒会長も務めています。元から正義感や責任感が強くてつい、自分を追い込みすぎることもあります。ですが、幼い頃から周りから「変わっている」という言葉を言われ続けているせいか、何かと周りの目もすごく気になってしまうようになり過剰に「今こう思われてるかも、こう言われているかもしれない」と不安な気持ちに襲われることが多々あります。最近ではちょっとした出来事などですぐに傷つき、「死にたい」「全てを投げ出したい」と思ってしまうことが多いです。例えば、この間は生徒会で作文?のようなものを読まなければいけなかったのですが、当日に私はインフルエンザにかかってしまって学校に行くことが出来ませんでした。代わりに女性の先生が代読して下さったそうなのですが、数日ほど経ち復帰したら、その女性の先生に呼び出しされて「代読してあげたのに、何か一言くらい言うのが常識でしょ?」と言われただけで、女性の先生が苦手になったり、常識について気にするようになりました。スクールカウンセラーの先生にも気にし過ぎだと言われて終わらされました。今後が不安でたまりません。もちろん自分のメンタルが弱いことは分かってます!でも少しだけ共感してくれる人がいたら嬉しいです。

感想1

揺れ動きやすい年齢や時期だからこそ、よくもわるくも考えすぎたり追い込みすぎたりすることもあるのかもしれませんが、でもそういう年齢や時期だからこそ繊細に感じ取った自分の感覚に対しての迷いや不安などがあるのかなと(私自身の10代を思い返しながら)想像して読ませていただきました。

自分の生来の気質とてして「何となくこういう部分があるな」というのは、誰しもある程度あるのかもしれませんが、自身で「正義感や責任感が強い」と認識しているなかで周囲から「変わっている」と見られてきたことはとても自分自身の考えや在り方に迷いを生じさせるもののように私には思えました。

それは、自分でとる自分の行動について「自身で責任を負う」というある意味当たり前とも言えることに対して、(「変わっている」という言葉がどういうニュアンスかわからないにしても)まるで「そこまでするなんて普通はしない」ともとれそうな対局の価値観に感じてしまいそうで、周りを気にするようになってしまったり、過剰に相手の気持ちを想像してしまうようになり不安に感じるようになるのも自然な気がします。

生徒会での作文の発表は生徒の代表として意見や何かを発信する、それこそ「責任感が必要な」出来事のように私には思えますが、たとえ当日病欠してしまったとはいえ休もうと思って病気に罹ったわけでは当然ないですし、代読という形でその場がなんとかなったのは投稿者さんが最初から最後まで本来自分でやり遂げようとして原稿を用意していたからこそと言える気が私はしました。

その出来事で先生からきつい言い方をされたのは、もしかしたら先に一言あってもよかった部分はあるのかもしれません(個人的には生徒のフォローに対してそこまで先生側から言わなくてもいい気はしますが。。)。ですが、何もかもを投稿者さんが投げやりにやったわけではないですし、結果的に最後は別の誰に任せることになってしまったとしても、それがこれまで言われてきた「変わっている」ということにはならないと私には思えました。

自分が大切にしていたり妥協できない価値観や考えに周りから違和感を向けられることには戸惑いも多いかと思います。ですが、責任感や正義感が強いということは決して悪いことではないと私には思えるので、その上で投稿者さんがギャップでしんどくならない距離感や付き合い方がこれから徐々にでも見つかってほしいなと思いました。

感想2

経験談を読ませていただきました。
周囲の目が気になると、毎日落ち着かなさそうだなと私は思いました。「気にしすぎ」と人から言われたとしても、今のあなたにとっては今悩んだり苦しんだりしていることがものすごく重要なんだろうなと感じます。「やめよう!」と思ってすぐにやめられるのなら気は楽なのだろうけど、今のあなたにとってはそうはいかないがために、日々の生活にストレスとしてあなたの中に存在し続けているのかなというふうに見えました。今後もこの毎日のストレスや考え方と付き合っていくと思うと、気が重くなるのも頷けるなと思いました。
また、「変わっている」と言われて周囲の目を気にするということが私としては印象的でした。なぜなら、「変わっている=悪いこと」「みんなと違う=悪いこと」という気持ちがあなたの中にあるように私には感じられ、あなたの考え方を窺い知れる言葉のように見えたからです。世の中には「変わっているって言われて嬉しい!褒め言葉だ!」と感じる人もいるかと思います。そもそも「変」ってなんだろうなぁと思いつつ、でもやっぱりそういうことが気になるときもあるよなぁと感じます。こういったしんどさには同調圧力的な風潮が影響しているのか?と思うところです。
あなたが日々感じているプレッシャーや不安を発散できる場所はあるのかと思いを馳せました。その1つとして死にトリを活用してもらえたら、と思います。経験談を投稿してくださり、ありがとうございました。

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