兄弟を亡くしました。最期に言われた言葉は「お前はいいな」でした。私は毎日その真意を考えています。今の私の状況を見ても同じ言葉をかけられるものか聞いてみたい。もともと何でも上手くできた兄弟。一方、私は人ができることができず人一倍苦しんだ人生。明るい場所に立つ兄弟、私はいつも日陰を歩いている感じでした。その中で私なりに努力してきたつもりです。日々不安に苛まれながらも、もがいてきました。今もその不安が消えることはなく一層ひどくなっています。朝が来るのが怖く、朝から始まる社会生活を送るのが怖く、夜になればまた明日を憂い、常に私は未来を恐れ、今ここを生きている実感が持てません。そういった中で最期にもらった言葉に私は苦しみ続けています。私はどうすれば兄弟を助けられたでしょうか。兄弟を助けることができなかった私が悪いから、今の私はこんなにも苦しみ日々希死念慮にとらわれているのでしょうか。小さい頃は、なんの利害もなく私は兄弟を慕い、兄弟は私を受け入れてくれました。できることならばその当時の関係性に戻りたい。大人になってからの関係性のようにお互い競うのではなく、自然な関係性に戻りたい。成人してからのほうが兄弟と過ごした時間は長いですが、思い出すのは、子供の頃の楽しい思い出ばかりです。そういった関係に戻りたくても、願いはかないません。苦しみが続いています。この現実から抜け出したいのですが、難しいのです。いっぱいいっぱいなのです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
答えが出ない
感想2
身近に関わっていた兄弟の死があなたを強く揺さぶっていることを感じました。水が波紋をなして振動するような状況では、余波がなかなか去らずに、あなた自身のこともわからなくなってしまいそうなほどの気持ちなのかなと思います。
小さい頃から、大人になるにつれて関係性が変わってしまうことはありますが、それでもあなたの中には幼い頃の記憶が強く残っているのだなぁと思いました。とくに亡くなってからは、そういうあたたかい記憶を思い出すことも多いのかもしれません。だからこそ、あなたにとっては兄弟のさいごの言葉を反芻しつつ、記憶に潜りつつ、……その中で、どういうふうに泳いでいけばいいのかわからないような、なんだか溺れてしまいそうな心地の中にいるのかなと思いました。過去も未来も、どう考えていいかわからなくなってしまうことがありそうです。今ここを生きている実感がわからなくなるのも、ある意味で自然な心の動きの中のことなのかなぁと思いました。
感情を整理することも、記憶を整理することも、かんたんなことではないと思います。こうやって言葉にすることも、躊躇われる部分もあるのかなぁと想像しました。命は不可逆で、それはとても寂しく、心許ないものだと思うことがあります。その中であなたがもがきながらも、兄弟のこと、そして自分の思いや苦しさを言葉にしていくことは、なにかとても大事なことのようにも感じました。苦しい日々の中で、答えが出ないままのあなたの思いを投稿してくれてありがとうございました。
感想1
誰かの死はそれだけで「どうしたらよかったのだろう」「あの時こうしていれば」と何度も何度も答え探しや後悔を考えてしまう出来事のように思います。そして、自分にとっての存在が大きい相手であればあるほど、気持ちの整理には時間がかかるような気がしています。
最後にあった「いっぱいいっぱいなのです」に全てが込められているように感じました。考えても答えが出ない、そして考えるのも時には辛い、日々を生きることにすら不安で、どうしていいかわからないし、なにかするエネルギーもないそんな想像が浮かんでいました。答えがあるのかないのか、見つけたほうがいいのかそれは私にもわからないですが、一人で考え続けることはとても苦しいことだと思うので、その時々で思うことをこうやって吐き出す時間は必要な気がしました。投稿ありがとうございます。