経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

全て私が悪いのです

母子家庭で育ち、育児ノイローゼになった母親。
私は物事着いた頃、なぜか母の友人に暴力を受けていた。

毎日しね、しね、お前が母親を苦しめてる、お前の性格終わってる、と言われ続け、殴られて、蹴られて…。

母はその光景をずっとみていたはずなのに…一度も助けてくれなかった。

だから、物心着いた頃から私は生きてるだけで迷惑、だから死ぬべきだと思うようになった。

虐待は、6歳まで続き、小学生時代はいじめに苦しんだ。

いじめの原因は私の自業自得。
友達の作り方、人との話し方がわからなくて、変人の嫌われ物だった。

母はいつも不在で、あまり喋った記憶もない。

家庭内では、私は祖母が親代わりだった。毎日理不尽に怒鳴られ、1日2時間は説教を受ける、そんな生活が5年続いて居場所なんて何処にも無かった。

中学になると、親が再婚。
母、義父、私3人の共同生活が始まった。

新しい父親とは馴染めず、私は引きこもって殻に閉じこもるようになった。

義父怖かった。
ずっと怯えながら生活していた。

その頃から、自傷行為が止まらなくなり、本格的に死にたくて死にたくて仕方なくなった。

幼い頃の虐待の記憶も癒せない、いじめやレイプの経験をして、塞ぎ込んで自殺未遂を繰り返し、死にたい殺してと叫ぶ私に…

母は、前を向いて生きろ。
よくある事、あんたは恵まれてる、甘えるなと、叱った。

それでも生きた。
20年以上経った今でも、幼い頃の記憶、感覚、感情が消えない。

長年鬱と戦い、希死念慮と戦い、それでもひたすら自己分析し、考えて考えて努力して生きた。

私は、人とせいにしたいだけ。
こうやってアウトプットする事で、私は悪くない、私被害者だとアピールして悲劇のヒロインになりたいだけ。

鬱もきっと、ただの甘え。
自殺未遂も、ただの構ってちゃん行為。

どんなに努力しても、直せない…。
性格が終わってる。

実際、私は死んだ方がマシ、人に迷惑をかけるだけの、邪魔な存在。
こんな構ってちゃんは死んだ方がいい人間。

なのに、本当は死にたくない。
幸せになりたい、生きたい。

そんな自分が嫌い。

誰かに私に、死ぬ勇気を下さい。
死ぬ為に背中を押してくれませんか?

こうやって私は、誰かに責任を押し付けて、自分を守ろうとする。

私が死ぬのは、私のせいじゃない。
背中押されたから死ぬんだ…。

勝手すぎる、自分が可愛くて仕方ない。だからずっと孤独。

感想1

投稿を読みました。あなた自身を否定する意図は1mmもないのですが、まず「全て私が悪いのです」というタイトルに対して、あなたが悪いなんてそんなことはない、そんなわけはないと思いました。
ただ、そう思わずにはいられない理不尽なことばかりの中で、そう自分に言い聞かせることは、あなたの心の痛みをすこしだけでも遠ざけるものでもあったのだろうか……とも想像しています。また、自分が悪いとするのではなく、一つ一つの原因や問題を考え続けることには、とても気力が必要で、織り重なる悪いことの中では、そんなことをし続けられない、という実情もあったのではないかと思いました。

小さいころからの虐待、逃げ場のないなかでの暴力と暴言はあなたの心身を大きく傷つけてきたことだと思います。さらに学校でもいじめがあれば、こどものあなたには本当に居場所というか、気を抜いて過ごせる場所がまったくない中だったのではないかと思います。その中を1人生き延びてきてたというのは、とても大変ですごいことだと思いました。それは、あなたの体験を勝手に美化したいということではないのですが……

あなたはたくさんのトラウマティックな記憶の中で、心身休まらないまま、自分を見つめ、どうしたらいいのか考え続けてきたのかなと思いました。それは甘えでもかまってちゃんでもないと言いたいし、むしろ本来であればたくさん人に甘えていいし、人を頼っていいはずなのに、あなたは1人で頑張らざるを得ない中でやってきたのだろうと思いました。
これも私の勝手な思い出しかないのですが、私は、あなたが生きていてくれて、あなたの言葉をここに寄せてくれたことがうれしいです。あなたが当たり前に思っていいはずの「生きたい」や「幸せになりたい」を阻んできたさまさな暴力や社会制度にくやしい気持ちでいます。それから、あなたがこの経験談の中に、さまざまな思いを書いて教えてくれて、そこからいろいろと思いを巡らせる機会をもらえて、ありがたいです。
あなたがそこに生きていること、生きてきたことを教えてくれてありがとうございます。死にトリという場所に、よかったらまた立ち寄ってもらえたらうれしいです。

感想2

 幼い頃からの環境がどれほどその後の生育に影響を与えるかは植物を観ていると明らかだと感じます。ほとんどのことが(成人)になる前に決まってしまいます。しかし、それでも植物は必死に陽を探し曲がりくねっても伸びようとします。
 あなたの文章から感じたのはそのような光景でした。必死に自分の身に起こっていることを捉えようと言葉を探してこられたのではないでしょうか。最後まで自分を否定してしまうことも含めて、その藻掻きのなかに人間の命を感じながら読みました。
 
 私はあなたと同じ体験や気持ちを抱いたわけではないので、あなたの苦しみを分かり切ることはないと思います。ただただ想像し、しかしそれでも全く足りないだろうなと思います。絶対に知りえることはないと思います。人間はなんと孤独なんだろうと思います。
 しかし、なぜかどこかで通じているような気もします。こんなにも人間が自然からかけ離れて、苦しめあっている世の中で、誰もが本当は孤独な世の中にあって、人間を本当の意味で結びつけるのは、もしかしたら絶望とか痛みとか身体にある感覚かもしれないと。あなたの文章から私が感じたのはそんな感慨でした。
 
 思い込みのようなものかもしれませんが、あなたが感じた様々な感情や苦しみややるせなさや絶望はあなただけの物でもなく、人間の身体に確かにあるものだと思うし、表面的には誰とも分かり合えることはないとしても、どこかで人間の奥に繋がってある絶望な気もしました。あなたが言葉を探すのはきっとあなただけの為ではないような、そんな気さえしました。
 書いてくれてありがとうございます。あなたの体験やあなたの中にあるものは、私の感じている絶望と同じでないし、私のそれも分かってもらえないだろうと思いつつ、こうして文字を交わせたことをどこか嬉しく感じています。

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