経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

なかったことにしたい

私はどうしても母の顔色をうかがって、学校や仕事を選択してしまいます。やりたかったことを素直な打ち明けた高校時代、猛反対をうけ母の許しを得れそうな内容の学校を選択しました。良い友達はできましたが、ただ大学に行っただけとなりました。「大学にいってからにしなさい」と言われた言葉を信じ、就職が決まらなかったこともあったので、再びやりたい事の相談をしたら激怒されここでも猛反対。結局燻ったまま諦め、なんとか地元で就職を決めました。12年働いて職場の環境に耐えられなくなり転職を決めました。母の説得にも成功しましたが、社労士事務所で働くのがいいのではないか、社労士の仕事があっている、勉強しなさい、としきりに言われ、自分もその方が良いのではとなぜかやりたくもないのにその気になりました。社労士事務所にはいらなければならないと思いました。転職でき、現在社労士事務所で働いて1年半くらいたちましたが、毎日が不安でしんどいです。私は要領も頭もあまりよくなく作業も遅い方なので、指導してくれる先輩をイライラさせるようで、時間がかかることを何度も指摘されます。また、手順が多く覚えきれずメモをしてもまとめきる時間がとれずたまっていきます。その間に別の仕事が増えていきます。来年同じことができる気がしません。教えてくれる先輩は産休にはいることが決まり来年はいません。不安で不安でしんどくて初めて心療内科を受診しましたが改善はありません。仕事のタスク管理表を自分で作ったり、エクセルスキルを磨くためにパソコン教室にも通っています。でも、仕事はうまくいっていません。仕事が合っていないのかなと思います。毎日毎日残業で、ほぼ毎日私が最後まで残っています。
もとをたどれば、母に相談などせずに自分で道を決めれば良かったと思います。でも、母に怒られることをどうしても考え、言わずにはいられないのです。怒られるかもしれない、いや絶対怒られる、それが怖いと思うのです。母に許してもらわないといけないとどうしても思ってしまう、母が良いといった仕事じゃないといけないきがする。そんなことはないとわかっていてもそうなってしまいます。結局うまくいかなくて、でも決めたのは自分なので誰でもない自分が悪いです。諦めたのも決めたのも私自身、今の仕事に変えたのも私自身、でも、仕事ができなくて不安でしんどい。甘い考えなのはわかっています、社会に出たのだから自分で決めるのは当たり前で、我慢することも当たり前、でもどうしても涙が出て心の重さがのしかかってきます。空にとけていなくなりたいと毎日思います。私の存在を最初からなかったものにして欲しい。人生にリセットボタンはないけど、最初からなかったことにしたい。

感想1

ただでさえ家庭という場所では、親の存在はこどもにとってとても大きいと思います。とくに、あなたの育った環境では、母親さんの影響力はとても強かったのだと思います。
本来であれば、こどもにも選択の自由はあり、親がすべきなのはサポートなのではないかと思いますが、長らくあなたの家ではあなたの母があなたの選択の主導権をにぎってきてしまったのかなと想像しました。ゲームをプレイするときにずっと指示してくる人がいると、自分自身でゲームを進めることが難しくなる…みたいな体験記事をつい先日読みました。親の「猛反対」や「激怒」の中で、こどもがそれに合わせることや、親の顔色を伺うことを覚えていくのはとても自然な生存戦略だと思います。あなたはその状態に違和感を持ちつつも、それ以外の方法を試してみる機会すら得られないまま生きてきたのかなと思いました。「母に許してもらわないといけないとどうしても思ってしまう、母が良いといった仕事じゃないといけないきがする」というのが、本当ならば自分の可能性のすべてではないと、頭では分かっていても、そうしなければとても不安な気持ちになってしまうのも無理はないように思います。
ただ、実際、母の言葉通りに進んできて苦難がたくさん訪れている中で、母の言葉に従い続けることもむずかしい袋小路のような感覚があるのだろうか、と想像しました。
自分を振り返って、「自分で決める」について考えると、大小さまざまな選択や決定が人生にはあるような気がしました。大きな選択というのは、あなたが書いてくれた学校や仕事などが当てはまるように思います。でもそうでなくても、たとえば、朝ごはんをどうするかとか、どの洋服を着るか、なにを買うか、今日はどの靴を履くかとか、どんなニュースを見るか、見ないか、どんな音楽を聴くか……そんなことも選択なのかなぁと思います。あなたはこういう日々のことは、どんなふうに決めているのかなぁ?と気になりました。それらは進路や仕事のようなものとはまったく違うかもしれませんが、地続きの部分もあるように思います。
もっと言えば、この瞬間にあなたが目を向けているもの、あなたが歩くときに目を向けたもの、聞き取ったもの、それから死にトリに投稿してくれたこと、それら一つ一つがあなたが辿ってきた道筋とも言えるかなと思いました。それは「選ぶ」というほど自覚的なものではないかもしれませんが、そういう中にも、あなたの母親さんだけではなく、「あなた」自身の要素がたくさん潜んでいるような気がしました。
私はあなたが死にトリを見つけてくれてうれしいです。経験談を投稿してくれてありがとうございました。

感想2

読みながら「自分の選択権が繰り返し取り上げられてきた」ことについての重さを考えさせられていました。子どもの頃から母親の反応を基準にして道を選び、やりたいことを諦めさせられる経験が積み重なると、外では自分の判断に自信が持てなくなり、内側には常に誰かの顔色をうかがう癖が残り続けるものだよなと、自分自身を振り返りながらも思うことですが、あなたはそれが今、職場での不安や疲労として頭の中で大きく響いていることが伝わってきます。あなたが「母の許しがないと動けない」と感じるとき、その背景には怒りや恐怖だけでなく、繰り返された条件付きの愛情や評価が染みついているのではないかなと想像していました。そうした条件づけは簡単に消えるものではなく、むしろ人生の重要な選択を迫られる場面で繰り返し顔を出してくるものだと感じますし、あなたの混乱や自責も無理もないことだと私は思いました。
仕事の場面でのつらさも、ただ能力不足だからとは限らないように私は思います。長年の緊張状態や自分を責める習慣は、集中力や記憶、手順の整理を難しくするものだと思いますし、先に先に別の仕事が積み上がる職場の仕組みや、教える側の余裕のなさも影響しているように感じました。あなたが早く終わらせようとがんばればがんばるほどミスを恐れ、結果としてまた時間がかかるという悪循環に入りやすいのではないでしょうか。産休で先輩がいなくなることへの不安は、その不安の中で「次に失敗したらどうしよう」という予測が大きくなっているからで、これは個人の性質だけに原因を追及されるものではないのではないか…と私は考えてしまいます。社会的にも、強く親の影響を受けている人は少なくないですし、家族内での権力関係が選択の機会を奪う構造が根強く残ってるように感じています。職場側の体制やタスク配分の不備、長時間労働を当然視する文化も、個々の苦労を見えなくしてしまう現実もあるように私は感じます。あなたが「甘い考え」と感じて自分を批判してしまう感情は、社会的な期待やしきたりが内面化した結果でもあり、それをあなた個人の失敗というだけで判断されるのはあまりに酷なことだと強く主張したい気持ちになりました。
あなたが毎日感じる「消えてしまいたい」「最初からなかったことにしたい」という思いは、あなたの弱さや性格の問題ではなく、長年にわたるストレスと選択することを奪われてきた環境、そして報われない努力が作り出した深い疲弊ゆえの表現だと私は思います。涙が出てしまう瞬間や、息が詰まるほどの重さを抱えている自分に対して、どうしても厳しい評価を下してしまうこともあるかもしれませんが、その評価の根底には長年積み重なってきたものが要因でもあることを頭の片隅にでもいいので、忘れないでいてほしいなと思ったりしました。あなたが取ってきた行動や、諦めてきたことは、例え後から見れば別の選択肢があったように思えても、その時々で最善を模索していた証だと私は受け取りたいです。
こうして死にトリに経験談を投稿しようと思い、実際に声を届けてくれたことは誰かが決めたことではなく紛れもなくあなたの意思だと私は思います。大きな決断は難しくても、日常のほんの小さな選択肢から少しずつ自分の気持ちを反映させられていけるようになれたらな…(そう簡単なことではないかもしれないのですが…)と思いました。また死にトリが必要な時はいつでも訪れてほしいです。投稿、ありがとうございました。

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