目の前に消えるボタンがあったらいいのに…。子供の頃…両親と姉の誰かしら毎日喧嘩の怒鳴り合い。13歳で叔母になり、なぜか私が甥の面倒を見ることに。18歳、住んでた家が燃えてなくなった。嫌いな親戚の家に行くことに…努力して自活できるようになったらストーカーのように父と親戚が追いかけてきた。お前だけ幸せになるなと、学費や居候費用も返せとさ。私が選択したことなんて何もない。あんな親や姉なんていらなかったし、甥の面倒なんて見たくなかった。親戚の家になんて行きたくなかった。でも未成年の私はなんの選択肢もなかった。
なのに今度親になったら…子供の行動、性格は親のせい?小学生から盗み、嘘やごまかしばかり。時間や約束が守れない…いくら注意してもなおらない。社会ではやってはいけないこと、ここだけは譲れないから叱ってる。でもやってしまった理由も話してくれない。だんまり。子供は何不自由なく好きなことして好きな場所で自由に生きてるくせに大変だアピールされてなぜか全部私のせい。今の時代はいいよね…毒親、ヤングケアラー…いつでも相談できる環境。…それ私経験してたよ。でも誰も助けてくれなかった。子供の時も大人になってからも誰も助けてくれない。今は子供の相談窓口ばかり。損な時代に生まれた私が悪い…あんな親の元に生まれた運の無さ。
楽しみなんてなにもない…早く消えてしまいたい。別にうつ病じゃない。子供の頃から消えたいって思ってた。だから性格なんだろうな。ネットで調べても病院へって出てくるけど、自分の病院行くお金あったら子供のために使いたい。どうせいなくなる私にお金使うなんて勿体ないよ…。このまま死ねたら…毎日そんなことばかり考えてます。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
しんどい きえたいな
感想2
幼少期の頃の環境が、出来事が、今もずっとあなたの中に深く刻まれ影を落としていることが伝わってきました。家庭の中で自分の意思は反映されず選択することも許されなかったこと、突然“大人の役割”を押しつけられたこと、住まいを失い追い詰められても自分の居場所を作ろうとしたらさらに親族に追いこまれたこと…その連続が、「早く消えてしまいたい」という思いに深く結びついているのだと感じました。きっと心休まることや安心を感じられることは、ほぼ無いに等しい状況だったのだろうと想像しますし、死に向かって気持ちが傾いてしまうのも無理はないことだと私は思います。
あなたの文章からはどこか消化しきれない怒りや、やるせなさを強く感じます。親や姉、親戚に対する「選択肢のなかった人生」への反発や、幼少時代の助けを求められなかった経験が、心の中で鮮明に疼いているような、そんなイメージを抱いています。今、子育てをしている状況の中で、子どもが嘘をついたり約束を守らなかったりするたびに、自分の中にある「無視されてきた感覚」や「押しつけられた経験」と共鳴してしまっているように感じました。嫌でも自分の過去と重なって映ってしまうことも多いのだろうと思いますし、それは単に子育ての難しさとかではなく、あなたがそれだけ自分を押し殺してここまで生き抜いてきた証で、勝手ながら労いの言葉を送りたい気持ちになっている自分がいます。
社会的にみれば、親に頼れない子どもが幼くして「大人の役割」を背負わされる現象は、今になってやっと「ヤングケアラー」として認知され始めました。けれど、その概念が言葉になる前に生きてきた世代にとっては、苦しみそのものが“存在しないこと”にされやすかったのではないかと私は思います。支援や理解の遅れは、ただの不運ではなく、社会の側が見落としてきた大きな課題でもあるとあなたの経験談を読んで改めて考えさせられました。
“生まれ合わせの悪さ”を自分のせいにしてしまう気持ちは、私自身もあなたとは異なる境遇ではありますが、家庭環境が決して良いとは言えない中で育ったので、理解できる部分だなと感じています。あなたが経験してきたのは“時代と仕組みが間に合っていなかった”という社会的な不整合でもあって、そこに歯がゆさは感じますが、あなたの声は、その見過ごされてきた部分を可視化し、社会に向けての貴重な声でもあると思いました。あなたのつらさは「性格のせい」だけに整理できるほど単純ではないと思います。過去の出来事や周囲の行動が積み重なって今の心の形を作っているところもあるということを、どうか自分に厳しく当てすぎないための一つの見方として持っておいてもらえたらな…と。楽しみがないと感じるのも、消えてしまいたいと考えるのも、長年の心の負荷による自然な反応です。押しつけられた役割や不当な扱いに対する怒り、そして自分を守りたいという気持ち、どれも真っ当な感情だと私は感じたということをお伝えして、感想とさせていただきます。投稿、ありがとうございました。
感想1
経験談を読み、今にもくずおれそうなくらい、疲れ果てたあなたの様子を想像しました。こどものころから、あなたの生活は安全安心とはほど遠い、緊張と苦痛と疲労の中にあったのだろうと思います。その中で、あなたの意思は多くのものを拒絶していても、それが叶うことのない状況があったことを感じました。本来、人権として、安全に生きる権利や、自分の意思で自分の人生を決める権利を、すべての人が当然もっていられるべきものだと私は思っていますが、実際には、いまだこの国でも、地球上のどこでもあまりにも十全とはほど遠い惨状があると感じます。あなたは環境の中でたくさん振り回されながら生きてきたのだと思います。
それだけたくさん頑張らなければいけやい状況が続いてきたら、しんどいのも当然だし、もう頑張りたくないと思ったとしてもなにも不思議ではないと思いました。
親の立場となり、子育て自体にも戸惑うことはたくさんあるのかなと思いますし、自分のこども時代と比べて、こどもの頃の自分の苦しさが生々しくよみがえり溢れてくることもあるのだろうと思いました。
あなたはきっとこれまでたくさんの苦痛を抱えてきていたし、その背景にはこども時代からケアを強いられてきたという面もあったと思います。本当なら、あなた自身がたくさんケアをうけてしかるべきだと私は思いますが、それが許されない状況のまま、子育てという形でのケアをする側に置かれている、とも言えるのかなと思いました。
ヤングケアラーはもちろんのこと、子育てや家事などの、多くのケアが、いまだにとても軽く評価され、それに取り組む人たちをないがしろにしている実情も少なからずあると思っています。
私は子育てをしたことがないので、勝手な立場でしかないのですが、子育ては2人の親がたくさん注力して取り組んでも、とても大変なものだと感じていて、親を支える人がたりなすぎるし、親の責任が重すぎると思っています。
あなたには休んだり、サポートやケアを受けたりする権利がありますし、個人的には、この経験談を読ませてもらうと、どうかあなたがたくさん労られてほしい!と願ってしまうのに、おそらくはそれがむずかしい日々なのだろうと思うと、勝手にくやしい気持ちになっています。
私自身、子育てのしづらいこどもだったと思うので、を見ていても、もっとさまざまな人がいる環境で、親は適度に自分のために時間を使えたり、こどもとは無関係なことをして過ごせたりしたら、親の人生の負担は多少はすくなかったのではないか…と思うことがあります。
感想が長くなってしまいすみません。息をつくひまもない日々なのかなとも思うのですが、もしまた気が向いたら、死にトリにきてもらえたらうれしいです。投稿してくれてありがとうございました。