私は一人っ子で育ち回りからは甘やかせられていると思われていました
1番幼い記憶は3歳くらいの時母親がふざけて
チューってしてきたので私も唇を尖らせて
チューしようとしたら寸前で「汚い!」と言われ少なからずショックを受けました
思春期には「き〇がい!」と罵られ酷い喧嘩ばかりでした
大人になっても「ジーパンは履くなどんなに寒くてもミニスカートを履け嫁に行くまでは商品なんだから」と強要されました
結婚して娘が出来たのですが夫のDVに耐えきれす離婚、嫌嫌ながら実家に身を寄せていました。その頃父は他界していたので女3人の
ヒエラルキーが出来上がりました
当然母親が王様娘はお姫様私は奴隷でした
実際母親は孫娘に対して「〇〇ちゃんは早く結婚して奴隷を産むと楽よ」と言ってたのを
娘から聞きショックというよりやっぱり…
という気持ちでした
娘が高校3年になろうという時母親から
「あんた達の面倒みるのはもうたくさん!私の年金いっぱい使いやがって!出ていけ!」と言われ私は正社員で働き給料もボーナスも母子手当も全部母親が管理していたのに
「これからあんた達月2万ずつ私に返せ!」
と言われましたが役所に相談したりして
「善意で返すならいいが生活に支障が出るくらいなら返さなくても良い」といわれ振り込みをやめたら私達の家に来て暴れ警察を呼びました
手錠を掛けられたらしいのですが私は悲しくて見ていません。私は鬱を発症して働けなくなり娘が就職をきに住所を変え市役所に住民票閲覧制限をかけ母親を捨てました
これでやっと母親からの呪縛から解放されたという思いと(親を捨てた)という思いで
死にたくなります。幸い娘が私の全面的味方なのでどうにか踏ん張っていますが
希死念慮が消えず辛いです。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
母親を捨てた
感想2
経験談への投稿ありがとうございます。
「どうしてこうなってしまったのだろう」という内なる声が、どこからともなく聞こえてくるような思いで読みました。
途方もなく長い間、繰り返される心無い言葉や理不尽な態度に傷つき、振り回され続けてきたことを感じています。
奴隷という言葉はあまりにもつらく、こちらもやるせない気持ちで思わず拳に力が入ってしまうようでした。
手錠をかけられた姿を見れなかった瞬間は、言葉にし難い感情に覆われたのではないかと感じています。
ようやく安心や安全を少しずつ感じられるようになったいま、これまで押し込めていたダメージの数々が死にたい気持ちとなって湧き上がってきているのだろうかとも想像しています。
心の内で拮抗する苦しい葛藤を想像しつつも、あえて率直な物言いをするならば、私にはあなたが「親を捨てた」とは思えませんでした。
母親と距離を置くための決断は、奪われてきた自分を取り戻すために起こした、勇気ある行動だと私は思ってしまいます。
おそらく何度もためらいながら、押し寄せる罪悪感と向き合った末のことだったように感じています。
苦労を背負った側の判断を否定的に捉えてしまうような意味合いではなく、何か別の表現があるのではないかと、一緒に言葉を探してみたい気持ちでいます。
あなたが生き延びてきた過程や、その後も続く苦悩を率直に吐露してくれたことは、同じように親との関係に悩む仲間にとって助けられることだと感じました。
死にたい気持ちはそう簡単に拭えないかもしれませんが、思いを吐き出す場所として、引き続き死にトリを利用してもらえたらと思っています。
よかったら、またお話を聞かせて下さい。
感想1
「自分の権利を侵害したり、不当に傷つけてくる人とは距離を取る」という自分の心や体を守るための行動が、家族に対してだとどうしてこんなに難しいのだろう、と考えながら読みました。
(幼いときは特に)生きるために、子どもの立場で親から離れることは難しく、また社会も家庭に対して基本不介入なので、親子関係のいびつさはそのまま家の中に封じ込められてしまい、子ども側が大半の割を食うことになると感じます。そのときに受けた傷やパワーバランスが大人になっても残り続けた上に、母親さんの偏った認知が相まって、強制力を持って関係を切らざるを得ない結果になったのかなとイメージしました。
「親を切り離すこと」は、社会から否定されることはあっても肯定的に語られることはほとんどないと感じますし、わたし自身いち「子ども」である立場から考えてみても、言い得ぬ罪悪感や、後ろめたさ、自分が酷いやつなのではないかという様々な気持ちがわいてきて、すっきりしたとは到底思えなさそうです。ただ、親子関係のなかで、親の持つ役割や立場性、引くべき線を先に踏み越えたのは母親さんのほうであって、それを適切な距離感に修正するための手段が今のタイミングでの住民票閲覧制限だったのではと私は思いました。
冒頭に書いたような、自分の心と体を守るための行動が当たり前にできる環境ではないこと、その中でどうにか環境に適応しようと無理を重ねてきたことが、長く続く希死念慮のベースになっているように想像しました。そんな強く深い苦しみが、合わないからといって離れられない、切っても切りきれない相手である家族との関係性の中で生まれてしまったことが悲しいです。完全に気持ちが晴れることはないのかもしれませんが、あなたが「解放」を少しずつでも感じ取って休めるように、勝手ながら祈るような気持ちです。