経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

希死念慮と向き合うのに疲れた

「死にたい」「消えたい」
そういった気持ちを抱えながら生きることに疲れた。
いっそのこと死んでいなくなりたい。自分の存在なんかなかったことに出来ればいいのにって何回そう思ったか。
小学生の頃、人間関係のトラブルで自殺を試みたけど死ねなかった。
それから今日に至るまで、ずっと死にたい気持ちを抱えながら生きてきた。たまに衝動的に自殺を決行しそうになることもある。
今は社会人4年目だけど毎日しんどい。空気を読んで人の顔色を伺って、いつ怒られるのかビクビクしながら生きてくのが辛すぎる。
仕事が辛いことを上司にも相談したけど「みんな辛いんだよね」と言われてから「もう誰にも弱音なんか吐きたくない」と思って生きてきた。
誰も助けてくれなくていいから死なせて欲しい。楽になりたい。
ただそれだけ。

感想1

タイトルを読んで、勝手にわかる…と思いながら読みました。かんぺきに同じ気持ちということでもないと思いますが、私もずっと希死念慮があり、同じ言葉が頭をよぎったことが何度もあります。
あなたは小学生の時から今に至るまで、長い年月にわたり、「死にたい」とともに生きてきたのですね。人間関係に苦労してきたなら、学校でも、仕事の中でも、人との関わりで緊張を感じ続ける生活が続いてきたのではないかと思います。
あなた自身の辛さを打ち明けることも大変なことだったのではないかと思います。
「みんな辛い」という言葉は、本来なら、それによって他者とつながることができる可能性ともなりうる言葉かもしれない、とも思いつつ、相談したときにそう言われてしまったら、それぞれの違いを集約し辛さをひとまとめにしてしまう暴力的な言葉として機能してしまうと思いました。それぞれの人間に辛さが存在することは同じだとしても、それぞれの辛さの度合いや、感じる切実さはまったく別だと思います。それを受け取ってもらえなかった経験の中で、弱音を吐きたくないと思うのは自然な心の動きだと思いました。
その中で、経験談を投稿することにも、不安もあったのではないかと想像しています。その中で、投稿してくれてありがとうございました。人間の中でリラックスするのは中々むずかしいことだなぁと思います。私自身も、他者との距離や、自分自身の感覚や思考との距離にずっと悩んでいるように思います。あなたがあなたの生活の中で、息を吐ける瞬間はあるのだろうか…と気になっています。希死念慮の中で、ゆっくりすることもままならない時間が続いているのかもしれません。あなたの心身が少しでも休まることを願っています。そして、これは私のわがままにすぎませんが、またよかったら、あなたの言葉を聞かせてほしいです。

感想2

経験談への投稿ありがとうございます。
あなたの「死にたい」「消えたい」は、どんな佇まいであなたの側にいるのだろうかとイメージしながら読みました。静かにひっそりと隣にいるのか、あるいはふとした時に顔を出すのか・・どうやって付き合いながら生き延びてきたのだろうかと、聞いてみたい気持ちになりました。からだもこころも死にたい気持ちに飲み込まれてしまう瞬間は、内側から燃え上がるような苦しみであったり、冷たい雨に打たれ続けるような孤独の中にいることを感じています。それらがこの先も続いていくのではと思うと、絶望してしまう気持ちも無理のないことだと思っています。
お返事を書いている私も、過去に友人から「みんなもつらいんだよ」と諭されるように言われたことがありました。当時は「自分はつらくて仕方がないのに、大したことないってこと?」と怒りが湧いてきて、悔しさや孤独感に苛まれていたことを思い出しています。今でこそ、苦しさやつらさは人と比べられるものではないと確信を持てるようになりましたが、使い方によっては相手を深く傷つける一言になり得ると感じています。
他者への不信感が拭えない中で、こういった言葉をかけていいものか戸惑いもありますが、もしよければ、ここでは死にたい気持ちについて率直に語ってもらえたらと思っています。またよかったらお話を聞かせて下さい。

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