経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

逃げてばかりの人生

何か嫌なことやしたく無い事があったらとりあえず「だって」から始まる。課題をしろと言われてもやってもどうせ意味ないとか色々な嘘を言ってしない。ちっちゃい頃からそうだった。父親の機嫌を損ねると自分自身が危ないからと機嫌を良くするためにと嘘をつき続けた結果、今でもすぐ嘘をついて逃げてばかり。嘘をつくたび罪悪感や自分への嫌悪感が胸をつぶす。自分でも言っちゃダメだと分かっているけど、怖くなったり不安が絶頂に達するとつい嘘をついてしまう。人に嫌われるのが怖くて、相手の悪い所まで褒めて自分まで傷ついちゃう。どうやって生きたら逃げずに人生を歩めたのかな。いっそ全部捨てて死にたいな。といまだにと思ってしまいます。

感想1

私は自分を守るために嘘を重ね、重ねた嘘から逃げ出すことを繰り返してきました。
そんな人生を反省したことも多々ありますが、自分にとって必要な選択だったと後悔はしていません。自分を守るための嘘、逃げることは誰しも経験するし必要(反対意見も多いですが)なことだと私は思っています。

投稿者さんにとって父親との関係上、都度自分を守るために必要だったのではと私なりに想像しました。逃げられない、嘘がつけない状況、状態はただ苦しさ抱え続け、行き場のない怒りや絶望感、悲壮感にさいなまれ続けるのだと思います。

逃げられるから人は人生を改めて選び歩める、人と向き合うことを考えられるようになるのではと考えます。私の考え方は極端かも知れませんが「自分を守るため、守ってほしい」ということを伝えたく感想を載させていただきます。

感想2

経験談への投稿ありがとうございます。
文章を読みながら、「嘘」というものは何なのだろうかとあらためて考えてしまいました。私たちは、嘘は悪であり、正直であることは善だと刷り込まれるように教えられてきたように思います。「怖くなったり不安が絶頂に達すると」「人に嫌われるのが怖くて」と、思わず口をついて出てしまう瞬間について書かれていましたが、あなたの嘘は善悪に基づいた嘘というより、身体的な防衛反応としての嘘のように感じました。父親の機嫌一つで自分自身が危ぶまれるほどの状況は、常に緊張感がつきまといますし、自分の思いや意見よりも、相手の機嫌を損ねないための「嘘」が必要だったのではないかと想像しています。そうして自分を守る術として身につけた振る舞いだと私は思いました。そんなご自身に葛藤し、悩み苦しむ姿に、私は逃げているとはまったく思えず、むしろ懸命に向き合おうともがいているように感じました。長い間抑圧にさらされていたとすれば、自分の本音や、何をどう感じているのか率直に打ち明けることは怖いことでもあるように思います。せめてここでは、あなたの思いや考えを、誰の目も気にせず表明してほしいなと思っています。またよかったらお話を聞かせて下さい。

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