経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
発達障害+毒親 辛さしかない
私は発達障害(自閉症スペクトラム)と診断されている。親ガチャを外したのか、両親、特に父親が元凶の毒親育ち兼虐待サバイバーだ。
私は、何も考えずに行動してしまうこともあり、その度に「なんで」「どうしてできないんだ」といった責められ方をされた。
父親に拳や物で殴られたり、足で蹴られたりといった暴力や、「クソガキ」「何もできない癖に一丁前に口聞きやがって」「出てけ」など暴言を吐かれたりされた。酷い時は本当に家から出されたりもされた。
母親は止めなかった。私が小学1年生の頃に、母親に連れられてシェルターに逃げ込んだようだが、結局離婚しない事を選んだ。私が酷い目に遭うことを1ミリも想像せずに。
父親が自衛隊の人間だったから、仕事でいない日以外ほとんどは虐待を受けていた。私も普通の学校に行っていたから、支援にも繋がれなかった。
高校2年生の頃に、背中に大きなアザができていたのを友達に見られたことで初めて、友達や先生に虐待の事実を伝えることができた。
両親に内緒で、スクールカウンセラーや児童相談所の人と面談も受けた。
11月のある休日に父親に頭をテーブルに打ち付けられた。その日、ようやく警察に助けを求め、私は保護された。
父親は逮捕されたが、その後不起訴に終わったらしい。(ちなみに、父親の逮捕に関しては同級生から『ネットニュースになった』と聞いた)
その後私は児童養護施設に送られ、ようやく虐待から解放されたものの、精神面で後遺症が見られるようになった。自傷行為もあった。何度死のうと思ったのかはわからない。
短大進学のために延長制度を使って3年半ほどお世話になったが、その間にも何回か両親に会う機会があった。家族といる時間が1番しんどかった。母親は私のことよりも私の「肌」の心配しかしなかった(私は当時、肌が荒れていたため)。
私には長らくお付き合いし、つい先月に結婚した夫がいる。
まだ籍を入れる1年半前に、その人との同棲を機に両親と絶縁した。支援措置制度もかけた。幸い、夫や義両親、そして私が勤めている会社の人たちに恵まれて何とか生きている。
私は両親に対して強いトラウマを抱えているから、自衛隊の人間も嫌いだし、迷彩柄も嫌い。豹柄も嫌い。家族写真なんて一枚もないし、唯一撮ってもらった成人式での家族写真も、両親の顔を塗り潰している。
今でも両親を殺したいぐらい憎い。私がこんなに苦しんでいるのに、あいつらは今でものうのうと生きているんだろうな。
感想2
経験談への投稿ありがとうございます。
現在、身を置く環境が安全になったとしても、過去のトラウマによって、今もなお、強く、あなたが苦しめられている様子がとても伝わってきたような気がしています。そして、あなたが親から受けてきた対応(虐待など)について読ませていただく中で、きっとここで挙げてくださったこと以外にも伝えきれない程の色んな出来事もあって、ツライだったり、悲しいだったり、そういった色んな感情を“1人で”多く経験されてきた、乗り越えてきたのかなと想像しました。
個人的に父親からの暴言・暴力についての描写自体も苦しい気持ちになったのですが、特に印象に残っているところは、「母親は私のことよりも私の『肌』しか心配しなかった」という描写で、私の中で心にズーンとくる感覚がありました。自分でもなぜそんなにも印象的なのか考えてみたのですが、今まで散々、父親からの虐待を見過ごしておいて、それなのに“親としてあなたを心配しています”というように、わかったような口ぶりをしてくる感じに、子どもの頃から全然本質を見ていないというか、本当の意味で自分のことを考えてくれていないのだと改めて、気づかされるような?裏切られた?ような気持ちにさせられたからでした。(なんだか、想像した自分の中であなたの母親に対し、ある意味、「あなたのことを大切にしてほしい」という想いがあったのかもしれません。)
だから、あなたにとって、虐待する“父親”だけでなく、それを見過ごす“母親”の両親ともに嫌悪感があるというのは私から見ても、とてもうなづけるような気がしましたし、あなた自身も1人で両親含む環境に立ち向かわないといけない状況下で心細かったのではないかと感じました。
私自身も、あなたとは同じ環境ではないのですが、親から暴言と暴力を受けて育ってきた身として、突如自分を「過去」が襲い、しんどくなったり、過去が影響してできないことがあります。そして、その中で「なぜ生まれてきただけなのに親ではなく、自分が大打撃をうけないといけないのか」と自分の境遇を受け入れられなかったり、両親に対して強く嫌悪感を抱く自分がいます。
個人的に過去のトラウマは簡単には消えないものとは分かりつつも、受け入れたくない自分もいるので、今後もハードモードの人生なのか?と嫌になる自分もいますが、そんな時吐き出せる場があると少しは和らぎそうだとも思ったので、またあなたも過去についてしんどくなった時、吐き出しに来てもらえたらと思いました。
改めて、経験談の投稿ありがとうございました。
感想1
投稿読みました。過酷と一言では言い表せられない環境の中で何とか生き抜いてきて、今は物理的にそうした環境から離れられてはいるものの、両親に対して湧いてくる感情や死にたさと葛藤しながらも生きている苦しさが切実に伝わってきました。
「なんで」「どうしてできないんだ」と問われ続けた幼少期、発達障がいという特性に対する理解や配慮がなされないまま、暴力と否定で支配された家庭の中で、あなたが身につけたのは、恐怖への過剰な反応や、自分を守るために自分を押し殺すことだったのではないかと私は想像しています。そうした状態が長く続くと、“助けを求める”というごく自然な行動ですら、容易にはできなくなってしまうものだと思いますし、例え社会が支援の仕組みを用意していたとしても、それが届くまでには、あまりに多くの壁があるように思います。高校2年生の頃に友だちやスクールカウンセラー、警察の人などに助けを求められたことは、できて当たり前なことではないと私は感じていて、きっと助けを求めたり、人(SOSを出した相手)を信じたりする怖さもあっただろうなと思いますし、傷つきながらも「自分を守る」という判断ができたのは紛れもなくあなた自身の力であると思いました。だからといってそれを手放しに良しとすることはできないなとも思いますが、それでも支援に繋がり環境から解放されたことは正直に「よかった…」と思う自分がいます。
両親への憎しみや怒り、その感情が一層強くなるのは、あなたが心の底から「安心して生きたかった」「ちゃんと愛情を受けて育ちたかった」などと願っていた裏返しのようにも感じました。(違っていたらすみません)傷つけた側が社会の中で“何事もなかったように”存在し続ける一方で、被害を受けた側がずっと心の奥で闘い続けている現実は、深く根の張った社会的な課題でもあるように思います。虐待や家庭内暴力の後遺症は、保護されたその瞬間から魔法のように癒えるものではないですし、その後の人生にも影を落とし続けるものだと、あなたとは過ごしてきた環境は異なりますが私自身も決して良いとは言えない家庭環境で育ってきて大人になった今でもその時の傷があらゆる場面で支障をきたしているので、そう思うのでした。けれど実際、支援に繋がったことで状況が改善されると「もう大丈夫だろう」と思われることも少なくないですし、そうした風潮が被害について可視化されにくくさせているのかもしれないなとも思ったりしました。
あなたは今、自分の居場所を自分の力でつくろうとしていて、夫さんと義家族、職場の人たちと共に築いている生活は、過去からの脱却ではなく、過去を生き抜いた自分が、自分の足で選び取った時間のはずだと思います。絶縁や支援措置制度をかけたという選択も、覚悟や痛みは生じたかと思いますがそれを自分のために選べたことは、あなたが決して“折れていない”ことの何よりの証拠だと私は感じます。
「迷彩柄が嫌い」「家族写真がない」「残っている写真も両親の顔は塗り潰した」といった描写にも、恐怖と怒りが鮮明に記憶に刻まれているのだと思いました。そう簡単に記憶を消すことはできないですが、こうしてこれまでのこと含めて言葉にして自分と向き合う時間があなたにとって抱いているものをほんの少しでも軽くするものだったり、何かしら役に立つと良いな…と感じています。両親に抱いている感情も含めて、否定せずに、そのまま持っていていいと私は思いますし、あなたの抱く思いは確かに届いたし静かに受け止めたいと思ったということをお伝えして感想とさせていただきます。経験談の投稿、ありがとうございました。