普通の人間になりたい、ただそれだけだったんだ。それでも、普通がわかんなくなってきたんだもん。親に、普通になりになりなさいと言われた。けど、普通が分からないから、自分なりに普通を演じてた。演じてても、バレないけど、自分の素を出せなかった。自分だけの家が欲しくて、居場所が欲しくて、家出をしたことがある。その時は、親に鬼電されて、場所まで見つけられた。だから、場所まで見つけられたから、また鬼のような家に戻された。警察も味方じゃない。もう嫌だ。これ以上私を殺さないでって思う。けど、世の中不平等だ。いい家に産まれた人は幸せに生きて、好きな時に好きな時をして、何にも縛られずに生きていくんでしょう。私は、それでも、それでも!縛られたくなくても!普通に縛られてる。なんで?縛られたくないんだよ、私は。運命には抗えないの?なんで?日本が嫌いだ。安楽死が認められてない。この際いっそ海外に行ってもいいかもしれない。って、何度考えたことか。同じことを思う友達がいたら、一緒に家出できたかもしれない。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
普通の人間になりたい
感想2
私を殺さないでという一文から、日頃から様々な感情や思い、行動を「普通」という物差しで測りながらズレていないか確認し、自分の本当の思いを無かったこととしようと懸命になっているあなたを思い浮かべ、胸が苦しくなりました。そして、あなたの心に重たくのしかかる「抗えない運命」とは、生きる事自体へのしんどさを表現したものなのかと、絶望のようなどうしようもなさに日々苛まれているのではとも想像しました。「普通の人間になりたい」と書かれていましたが、親や周囲が良しと求める人間像と本当の自分は違う、だから自分は普通の人間ではないという孤独さえも感じていることが伝わってきました。
私自身の話をさせてもらいたいのですが、幼少期の私は平均的な学生の体重よりもずっと大きく、いつも小さく見せようと背中を丸めて歩いていました。ある時、親の知り合いの大人の方から「海外にはもっと体格の良い人たちがたくさんいる、海外に行けば何も気にならないわよ」と言われたことがありました。単純に体の大きさだけでは無く、生活する環境や文化が違えば価値観も大きく異なるのだと、その言葉にすがるように「大きい自分は悪くない」と言い聞かせていたような気がします。
世の中には、「みんなが」「普通は」「常識」など目に見えないけれど、とても強く自分を引っ張り評価の台に乗せ、しまいには「良い悪い」という審判までされる(審判された気にさせる)ことが、たくさんあるように思っています。苦しみながらも普通を疑うことができるあなたに、未来を感じずにはいられません。投稿いただき、ありがとうございました。
感想1
普通ってなんだろう?誰かの思う、考える普通が自分と同じなのか?
学校、親、社会から、みんなと同じように考え、行動できないと「普通じゃない」と言われる、見られる世の中に嫌悪感を感じています。それぞれの普通が当たり前にあって良いはずだし、誰かの普通を押しつけることがあってはならないと強く思います。投稿文を読みながら、みんなが当たり前に使っている、思っている「普通」という言葉の持つ意味を自分なりに考える機会になりました。
普通という名の縛り、自分の素が出せないような場所は安全じゃないと思うし、自分の普通が脅かされる場所からは逃げたくなるのは当たり前のように私は思いますし、その時は逃げることが自分を守る最善だったのではないでしょうか。
親の立場から言う普通になりなさい、縛るような行動、言動はあなたを守るためという見かた、考え方もあると思いますが、そのことに苦しんでいる、逃げたくなっているあなたの状態を親を含めおとなたちに理解して欲しい、気持ちに寄り添って話を聞いて欲しいなと思いました。
平等、不平等は切っても切り離せないのが人間社会だと思いますが、そんな中でも人は抗うことで何かを手にするし、失うモノでもあると学んできました。(失うと言っても抗った課程があるので後悔は少なかったようにわたしは思います。)
抗い方、普通の違和感、縛られずに生きていく事などを話し合える人や場所があれば苦しむ時間が少しは緩和されるのではと思います。