中絶して、ずっと絶望から抜け出せません。
年明けてすぐに妊娠してた事に気付きました。
病院に行ったら3ヶ月でした。初期中絶するには時間は1週間も残されていませんでした。
中絶は、話し合いを沢山重ねた結果です。仕方が無いと、タイミングが悪いと、何度も何度も納得させようとしました。
産んで欲しい、堕ろして欲しい、何度も何度も相手の意見が変わったのがしんどかったです。
私は親とは絶縁してて頼れるのは相手の親のみでした。
相手の親も離婚していて片親。状況はかなり苦しかったです。
金は出すから、言う通りに動け、今思えばそんな感じでした。
私はずっと産みたかったです。ただこの中で決断をする勇気がありませんでした。
相手は学生、私は猫を飼っていて社会人。
でも実家には頼れない。その中で産んだとしても子供は幸せにはなれない、相手とも別れたくない、全部私のワガママのせい、弱かったせいで子供を中絶しました。
手術が終わって、涙が止まんなかったです。
痛いし、人生初めての手術でした。
血は止まらないし、お腹はぺたんこ、全部無くなったんだなと思いました。
何日間か仕事を休んで落ち着いた頃、お店の夜の締めを1人でしてました。
突然悪露が大量に出てしまい、当時の私は何が何だかわかんなくて泣きながらトイレに籠ってました。
血は止まらないのに誰も居ない、なのに終電、泣きながら帰ったのが懐かしいです。
帰ったらズボンにまで血がついてました。なんでこんな思いしなきゃいけないんだろう、ってずっと思ってました。
1番辛いのは生まれることも出来なかった子供なのに。
その後その職場で中絶の事に関して嫌なことを言ってくる同期(年齢は相手の方が上)が居たので退職してしまいました。
中絶してまだ日も浅く、耐えれませんでした私には。
その後鬱状態なのかわからないのですが、現在までろくに働くことができなくなりました。
最初の数カ月は涙が止まらなくて家事もままならなかったです。生理もとても重く動けませんでした。つい最近は単独事故を起こしてろくに動けなくなり、風邪を引いてしまい面接すら行けない状況になりました。
彼氏の家で暮らせど、生活が苦しくなってしまうため、病院、花屋、働いてみたのですが、自分のやりたい事も無い中で働くのはとてもしんどいと思いました。
今、私には何も残ってないです。
彼氏は大学も辞めずに通っていて、近くに友達もいる、職場もある、なのに私は仕事も無い、友達も近くには居ない。羨ましいです。相手が。
ないものねだりです。甘えなのかな。全部。
手術した時に子供と一緒に消えたかったです。
優しい子だったのかな、私だけは残してくれたの。連れてって欲しかったなあ。
感想1
文章を読みながら、胸の奥がずっと締めつけられるような、そんな感覚になりました。何度も「なんでこんな思いしなきゃいけないんだろう」という言葉が頭を巡って、その問いに、うまく答えられる言葉が見つからないままではあるのですが感想を書かせてもらっています。
中絶という決断は、あまりにも複雑で、誰かに簡単に「仕方なかった」と言われて済むようなものではないと私は思います。周囲の環境、経済的な事情、相手との関係、頼れる人の有無、そして「産みたい」というあなた自身の強い気持ち…それらすべてが入り混じって、それでも“決めなければいけなかった”現実。その重みが、言葉の端々に滲んでいて、あなたの抱える痛みがリアルに伝わってきました。
「全部私のワガママのせい、弱かったせいで子供を中絶しました」と書かれていましたが、そう思ってしまうのも無理はないと思いつつ、そんなことはないと思うと伝えたくなりました。あらゆる現実に向き合い、自分一人ではどうにもならない状況の中で、精一杯“最善”を選ぼうとした結果だったのではないでしょうか。そしてこれはあなた一人が背負うべき問題ではなかったはずです。それなのに結果的に最も深い痛みを抱えることになってしまったその不条理さ、理不尽さに、勝手ながら悔しさと何とももどかしい気持ちになっている自分がいます。「産んだとしても子どもは幸せになれないかもしれない」「相手とも別れたくない」その両方を抱えて揺れることは、決してわがままなんかじゃないと私は思います。むしろ、それが“人間らしさ”ではないかなと思いました。回復するには、精神的にも肉体的にも長い時間が必要だと言われています。それなのに、社会的にはあまりにも「なかったこと」のように扱われがちだなとも感じています。そもそもこうした経験について安心して話せる場所や、理解のある支援がまだまだ足りていない現実がありますし、そうした環境の中で“普通に生きる”ことがどれほど困難か、それは決して個人の甘えではないです。「彼氏は大学を辞めずに通っていて、友達もいて」と書かれていましたが、”私はあのとき、全部を失ったのに”という喪失感の叫びのように私は捉えました。失ったものがあまりに多く、まだ癒えることも整理されることもないまま、今も“ただそこにある”のだろうと感じました。
中絶という選択に対して、社会はあまりにも無関心である一方で、同期の心ない言葉含めて無責任に軽蔑の視線を向けることも少なくありません。その中で、女性がどれほどのものを抱えて、時に一人で、決断とその後に向き合っていかざるを得ないのか、その事実は、もっと社会全体に広く知られるべきことだとあなたの文章を読んで改めて思わされました。
「私には何も残っていない」という言葉、それでも、あなたは自分の感情に丁寧に向き合って、こうして言葉を綴っています。自分の感情を一つひとつ言葉にして吐き出せる力、それはあなたの中に確かに生きている力だと私は思いました。
今は無理に痛みや悲しみを何とかしようと思わなくていいと思います。綺麗事のように聞こえてしまうかもしれませんが、どうかこの経験を“誰にも知られずに終わっていった命”ではなく、“あなたと共に確かに存在していた時間”として、少しずつでも違う形で抱えていけるようになれたらな…と思いました。そのためにもこの先、あなたにとって安心できて安全と感じられるような場所や理解のある人と出会えることを願っています。そういった場所の一つとして死にトリがあれたらなとも思っています。また必要に感じられたらいつでも訪れてほしいです。経験談の投稿ありがとうございました。