経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

「あなたのせい」の呪縛

初めて「死にたい」と思ったのは11歳の時だった。
11歳の時だったという記憶だけで、何が原因だったかはよく思い出せない。
クラスで始まったいじめの標的にされたからか、自分が割と人に嫌われていることに気づいてしまったからか、よく分からない。
ただ、その頃には孤独をずっと胸の中に蓄えて生きていた。
「帰りたい」とよく呟いていた。家にいるのに。
いじめの標的にされたまま、中学生になった。知らない小学校の子とも一緒になるから、救われるかもしれないと思って、私らしからず「友達になって」と言いに行ったこともある。
でもそれは正反対の効果を私にもたらした。中学校でいじめは酷くなった。人としての尊厳を破壊されて、私には鬱の症状が出始めた。
いじめを母に告白したことがある。
その答えは「あなたが変わらないと周りは変わらないよ」という、「あなたのせい」と言わんばかりの言葉だった。
他にも、鬱の症状でシャワーを浴びるのも辛くて、頭からシャワーを浴びるだけで済ませていたら「あなたちゃんと頭洗ってる? 臭いからいじめられるんだよ」と、言われたのだ。
言われた言葉は正確ではない。ただ、その言葉が深く深く心に突き刺さって、今も抜けない。
要は「いじめられるのはあなたのせい」という認識が、母の中にはあったのだ。
中学を卒業して、高校生になって、私はやっと「空気」になれた。誰の毒にも薬にもならない、卒業したら忘れられるような存在。
高校は上手くやった。恋愛に関して反対されはしたけど、大したことではなかった。
しかし大学に進学して、私はおかしくなった。
なんでだかよく覚えていないのだが、自分の太ももをカミソリで切るクセができたのだ。
ろくに寝ず片道2時間の距離と、苦手な人混みに負けてしまったのかもしれない。
私は18歳にして、重度の適応障害を診断され、大学を休学し、後に中退することになった。
休学している間のことはよく覚えていない。後で知ったのだが、鬱の初期は記憶が抜け落ちることがあるらしい。
私がようやく自分を取り戻せたのは、のちに結婚する男性と出会った頃からだ。
その頃も、まだ太ももは傷だらけで、私は彼に謝った。「汚い体でごめんなさい」と。
彼は真剣な目をして「汚くない」と言ってくれた。
彼とは3年付き合って結婚した。
しかし私の適応障害……もう既に診断名はうつ病になっていたが……は治ることはなかった。今でも通院している。
ある日彼と喧嘩した時、気づいた。
私には物事を「誰のせいか」で考えるクセがある。
責められれば自分のせいだと思うし、彼に落ち度があると思えばそこを執拗に責めている自分に気付いたのだ。
それは間違いなく、母との間にあった「いじめられるのはあなたが悪い」という認識であると今なら分かる。
辛くても相談できずに主人との間でトラブルになったこともある。これも「相談して「お前が悪いんじゃないの」と言われるのが怖い」という感覚があるからだ。
自分の中で全てが繋がった。繋がったからと言って、何の解決にもならなかった。
私は今の自分に対して、そして過去の自分に対して、「死ね」と呪詛を吐いている。鏡を見て自分と目が合うたびに「死ね」と。
この経験談を通して何が言いたいかというと「子供の頃親に突き放された経験は、25年以上経っても消えない」ということだ。
親は、全面的に子供の味方をするべきだ。多少モンペと言われようが、学校に乗り込んでいって教師に問いただすくらいはしてもいい。
子供の辛さは、親の想像を絶することがある。子供同士なんて残酷なものだから。
苦しむ子供が減りますように。
だから、私は子供を作らない。
苦しむ人生を送らせたくない。
それは私にとっての、自分の子供への愛情である。

感想1

「あなたのせい」という言葉が持つ圧力と重さについて考えながら読みました。
「いじめの標的」と表現されるように、おそらくいじめには理由も道理もないのかな…と私は思っていますが、受けた側からすればそんなことは関係なく、「自分が周りからどう見られているか」「どう思われる人間なのか」ということが容赦なく刷り込まれていく構図が「いじめ」なのではないかと捉えています。そんなふうに個人と構図を結びつけてしまうのが「クラス」や「学校」といった環境が閉鎖的であることの怖さなのかなという風にも感じます。親や先生といった大人にはその構図を断ち切る役割があると思うのですが、断ち切るどころか押し付けられた「あなたのせい」というメッセージは、「個人(私)に問題があるのだ」という思考を強化し、加速させるものだと思いました。
私は、個人に原因を求める価値観はすごく他人軸的なものだと考えています。「自分のせい」だと誰かに思わされたり、「~のせい」と誰かに原因を求めることでその状況を理解しようとしたり、といったイメージです。勝手な印象ですが、どちらもが投稿者の今に続く苦しみの下地になっていて、まさしく「呪い」としてあらゆる思考に横たわっているのかなと想像しました。他人軸が良い悪いという話ではないと同時に、いじめはそんな他人軸が積み重なって起きていくものかもしれない…とも書きながら推測したところです。

私は、特に最後の一文が心に鋭く飛び込んできました。私自身、全く同じ状況ではないですが、親の一言や態度から受けた傷や呪縛を抱えて生きています。要素は色々ありますが、投稿者さんと近からずも遠からずかも?と思うのは、親に突き放された(と感じた)上で自分あるいは他人に原因を求めがちな他人軸が強く根を張っているように思える部分です。そんな苦しさや呪縛を抱え続けながら「自分の子ども(親としての自分)」を仮定する考え方にも、共感を覚えました。私は、親が子どもである自分を理解してくれなかったことが、自分が子どもに対峙するときにも必ず影響すると思っています。それが未経験の事柄に対する難易度的な話なのか、自分がしてもらえなかったことはできないという感情的な話なのか、私自身もわかりません。しかし部分的にでも、投稿者さんの中にある「子どもをつくらない」という気持ちに通ずるものがあるような気がしていますし、同じく子どもを求めていない私にとって、「自分の子どもへの愛情」という逆説的な表現はとても新鮮に映りました。そして(これは脱線かもしれませんが)私は時々、自分の中に「傷を癒されていない子どもの私」を未だ抱きかかえているのではないかと考えることがあるのですが、投稿者さんはどうでしょうか…と、聞いてみたくもなりました。

自分にかけられた呪いを解く方法を持ち合わせてはいないのですが、まずは呪いが「ある」ということを認めていけたらいいのかなという気持ちになりました。よければまた、お待ちしています。

感想2

経験談の投稿ありがとうございます。
「『あなたのせい』の呪縛」というタイトルに心が動きました。
過去のいじめはあなたの心を強く傷つけ、どんなに大きな苦しみを与えたのだろうかと想像し、読んでいて苦しい気持ちになりました。
読み進めていくうちに、特にお母さんからの言葉に心が締め付けられました。最後の方に「親は、全面的に子供の味方をするべきだ。」と書かれているのは、あなたの願いだったり、お母さんに伝えたかった想い(叫びのような)なのではないかと切ない気持ちになりました。

「あなたのせい」というのは本当に呪いだと思います。
自分の話をして恐縮ですが、私も過去にいじめを受けた経験があります。
いじめられたことを友達に相談したときに「あなたにも落ち度があったんじゃないかな。」、「もっとうまくやれたらよかったね。」と言われました。あなたがお母さんに言われた呪いを私は友人から受けました。
そういわれて私の心がどんどん弱っていったのを覚えています。なぜ私はみんなのようにうまくできないのか、みんなはどうやって生きているのか、まわりの人の表情や行動をよくみて空気になれるように必死だった日々がありました。
あなたの「高校生になって空気になれた」という文章に、空気になろうと必死だった日々があったのではないかと当時の自分と思わず重ねてしまいました。
いじめられていた当時の私は自分を責めるのと同時に、心の奥の方では「友達に味方でいてほしかった」という悲しみでいっぱいでした。友人にまた「うまくできないあなたのせい」と言われそうなので、自分が頑張れば解決するはずだと思い込み、相談しなくなっていきました。あなたの「『相談して【お前が悪いんじゃないの】と言われるのが怖い』という感覚がある」というものに通ずる気がしています。
いじめが続き、授業にも出れなくなった時期に「どんな理由があったとしても、だれかを傷つけていい理由にはならない」という言葉をくれた先生がいました。人権のことを教えてくれた先生でした。傷つけられていい人間なんていないと教えてもらって、自分を責めることが少し減った気がします。

あなたの太ももを切るという行動は、辛い気持ちや苦しい気持ちを和らげるために(生き延びるために)その時のあなたにとって必要な行動だったのではないかなと思いました。その生き延びてきた証を受けとめてくれる人が現れたことが「ようやく自分を取り戻せた」につながっていくのかなと想像しました。ただ「あなたのせい」の呪いが降りかかってきて、相手を大事にできない(相手の落ち度を執拗に責めてしまう)自分を責めたり、苦しい気持ちになっているのかなと思いました。

この呪いはなかなか厄介で解くのは難しいものだと思います。私もまだ呪いが完全に解けたわけではないですが、先生からの言葉が呪いを解く鍵の一つになったような気がしています。そして今も鍵をずっと探しているような気がしています。あなたにとって経験談への投稿がその鍵の一つになることを願っています。よければ、また投稿しに来てもらえると嬉しいです。

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