経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

辛い現実

 私は生きていない方がいいのかもしれない。最近はそんなことばかり考えてる。
 去年の秋頃から希死念慮がすごく強くなった。おまけにイライラしやすくなった。
最初は親も親身になって寄り添ってくれた。でも、最近は私のその現状がめんどくさくなっているらしく、「はいはい怒らないの〜」とか「だめだめ、イライラしないの〜」とか「話の辻褄合ってないんだもんww」と笑いながら茶化すようになってきた。
私にはその笑いがメンタルにすごくくるようになった。親の笑ってないとやってられないって言う気持ちのもわかる、でもなぜ悩んでる本人の前で大笑いしながら言うんだろう。
 さらに、最近親の疲れ切った顔がイライラしている顔に見える。親だって疲れてるのはわかるけど、家に帰ってきてあからさまにめんどくさい感を出しながら接せられても怖い。でも、疲れてるのに明るく振る舞ってなんて言えない。
 あとは学校のことで親と口論になることもある。最近自分はイライラしやすく喧嘩っ早くなってるので、すぐに揉める。自分だって休みたくて休んでるわけではないのに、親は行けって言う。学校に行くことは当然のことだってわかってるけどしんどい。いろいろと親と揉めてるとどんどん自己肯定感と希死念慮が強くなってくる。そのせいでどんどん体が動かなくなってきて、学校に行けなくなる。辛いよ、でもこれが現実なんだなって。
 私は生きてちゃダメだったのかもしれない。親に迷惑をかけたくない。それには自分がいない方がいいんだ。親にこれ以上負荷をかけたくない。親だって歳だし、メンタルだって脆い。だからこれ以上負荷をかけると親自身が壊れてしまう。それだったら、自分が壊れた方がいい。生きててごめんなさい、迷惑ばかりかけてごめんなさい。辛い現実を見てると、生きてるのが辛いです。

感想1

気持ちも考えも100%他者に伝わることはない、かりにそうだとしても「この人には分かってほしい」、そう思う相手に本当の意味で中々伝わらないどころかどこか軽くあしらわれる、そんな憤りとも寂しさとも違うような複雑な感情の中に投稿者さんが今身を置かざるをえないように文章を読ませていただいて想像していました。

希死念慮を抱くにあたったのには何かきっかけがあったのか、はたまた何もなく突如浮かんできたのかということが個人的には聞いてみたくなりつつ、誰かに抱えたつらさや気持ちを伝えることには勇気が必要と思える中で、強くなっていく希死念慮を親御さんがどこか蔑ろにしていった経緯があったことは投稿者さんを追いつめ、落胆させるものであったように思えました。

もちろん親御さんには親御さんで親として、いくつもの出来事を経験してきた人間として、投稿者さんの気持ちを受け止めてその重さを軽くしようとしてとっていた反応だったこともあるのかもしれません。ですが、(私自身もそうですが)自分が意図していた、あるいは一緒に考えてほしかったことをどこか「先を生きている先輩」としてだけの言葉や態度で軽く反応されることは、「親にされたこと・言われたことを子はずっと覚えている」ではないですがいつまでも心の中にしこりとなって残ってしまうことに繋がる気がしています。

学校に「行け」と言われることも、「学校に行くことは当然のことだってわかってるけど」という考えも、どこか投稿者さんの気持ちを横に置かれ親御さんが求める行動やそれに伴う価値観の話にすりかわってしまっているように私には思えました。だからこそ余計に「どんどん身体が動かなくなってきて、学校に行けなくなる」という自身が思うこととは逆の現状になっていってしまう辛さがあるのかなと。。。

そして、ひとつ、綴られている言葉を読んでいく中でとても印象的に感じたのが、親御さんが投稿者さんに対してとった反応や言葉がより希死念慮を強くしたように読み取れた中で、投稿者さんが「迷惑をかけたくない」や「負荷をかけたくない」と年齢や精神的な脆さも考慮しつつ、相手を気遣ってある種の“優しさ”ともとれる気持ちを持ち合わせていたところでした。それは誰にでも出来ることではないように思えますし(少なくとも私にはできませんでした)、自身の希死念慮をどこか軽く扱われたことがあった中でも他者のしんどさや負担を想像できることは安易なことではないように私には感じられました。

もしかしたらそれは「親に迷惑をかけるぐらいなら…」と今の投稿者さんが自身に矢印を向けてしまうことになっているともいえるのかもしれません。ですが、投稿者さんの人生を生きるのは親御さんではないですし、親御さんの求める行動の先に投稿者さんが望む人生があるわけではないと私には思えるので、抱えている気持ちや辛さに蓋をせずに、近しい人に限らず信頼できる人などに話したりすることなどもしながら、自身の胸に耳を傾けてあげてほしいなと勝手ながらに思いました。

投稿ありがとうございました。

感想2

投稿ありがとうございます。
投稿者さんが「現実」として目の当たりにしている光景を強くイメージしながら、読ませていただきました。親の態度の変化、疲れ切った顔、学校に行けと繰り返される言葉…。同時に、投稿者さん自身のやり場のない苛立ちや、親に対する感情、体の重さ、学校への焦燥感といった「自分の調子」もまた、重くのしかかってくる「現実」であるのかなと想像しています。

親の顔色や態度が「自分のせいで起きていることだ」と思い続けることは、言葉で書く以上に息苦しく辛いことだと感じます(詳細は省きますが、私自身親に対して気を遣い続け、自分の振る舞いによって親の調子が変わるんだと信じて過ごしてきました)。今、投稿者さんは家にいる時間が長く、親と顔を合わせて話す機会も多いようにイメージしているので、余計に(表現が適切ではないかもしれませんが)親の機嫌から逃れられない状態ではないかと思います。「親と自分」という、どうあっても対等にはなりきれない関係性の中で、ひたすら自分を責め続けるのは、やめようにもやめられない、けれどとても辛いことだと私は感じます。死にトリはもちろん、どんな形でも「家の外」に投稿者さんの気持ちを吐き出してもらう機会を今後も持っていてほしいと、心から思っています。

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