経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

嗅覚過敏の悪さ

発達障がいを持つ方には、感覚過敏が存在している事があると聞く。私はその中の一種である嗅覚過敏を患っている。私の場合は料理の匂いや火災感知に繋がる煙のにおいなどは問題ないのだが、感受性が大きくて困るものが、「香水や高残効性の柔軟剤の匂い」である。それを使用する事自体、個人のアイデンティティだから強制的にやめさせられないのは百も承知だ。しかしほんの少しのものでも勝手に体が反応してしまう。そうなったが最後、体の底からえづきたくなったり吐き気がしてしまったり、下手をすれば頭が混乱してしまい、一瞬でも息を止めるほどの状態になるのがつらい。
どうするべきか私には分かっていても、それより先に反射的に反応が出てしまう。自分にとってバスなどの交通機関や施設といった閉鎖空間での香水や柔軟剤の匂いは、私をキルしに襲いかかるガス剤のようにしか感じてならず、生活の上で非常に堪え難いものなのである。だからこそ暑かろうが寒かろうがマスクをし続けるということにしてしまった。
今の社会に生きる「普通」の人は、香水などの匂いがつらい人がいるという事を理解しているのか、私は疑問で仕方が無い。目の前にそういった問題があることも知らずに、香水や柔軟剤でも匂いが強い物を使わないでほしい。もしそれを使うにしても、他の方には体感しにくいものにしてほしい。柔軟剤も匂いが取れるまで洗い流してほしい。そうしてほしいと思うほどまでに、普通の人ならそういった心地良く感じる匂いでも、私のようなものには本当に重い負担になり心の底から辛くなるのだ。これぞまさに香りの害、「香害」である。
ASDというだけでも普通に生活できない場合があって、生きるため必死になっているのに、そのたった一つの匂いによって、嗅覚過敏であることもあって、体調を狂わせられる事が多々ある。思いたくはないが、それを感知するほど、自分が持つASDと嗅覚過敏が憎くなって死にたくなる。
ASDと感覚過敏持ちの生きにくさを綴ってみた。
これを読んだ方がこの事に共感あるいは香害について理解し、少しでも我々のような人が生きやすくなるように、香水や高残効性の柔軟剤に対して、そういったものを苦手としたり、使用できないのに我慢しなければならなかったりする人がいる。そういった方へ配慮が当たり前となる時代や社会、「香害」のない社会が来てほしいと切に願ってやまない。

感想1

私は家族に香りを指摘されていても、柔軟剤を使い続けていました。にもかかわらず、苦手な香水があり、その時には相手に断りをいれたうえで同じ空間にいる時に距離を取るようにしていたこともあります。そんな私にとってあなたの経験談はヒリヒリとした痛みを感じるとともに、自分のこれまでの行動について考えさせられました。そして、ドキドキしながらも感想を書くことに決めました。

なぜ自分が柔軟剤を使いたかったのか考えてみると、「周りのみんなが使っていて、使う方がよいものだと思っていたから」という理由でした。でも、それは何の筋も通ってない理由で、苦手な人がいた時にその人を差し置いて優先されるべき理由ではないと思います。なんて自分勝手なんでしょうね…。香りを指摘した私の家族はあなた程体調が悪くならなかったこともあり、私はそれに甘えていたのもあると思います。書くほどに恥を晒していそうです。反省とともに考えているうちに、「真のダイバーシティをめざして」という本を思い出しました。マイノリティ側がいかに不利益を被っているかだけ教えるのではなく、マジョリティ側が苦労することなく得ている特権について気づき、意識を変えることが必要だと書いてある本です。不利益を被っている人の話を聞いても、自分事として捉えられなければ、「そういう人もいるんだね、大変だね」と他人事で終わってしまう、だから自分の特権に気づくところが大事ということだと私は理解しています。この本でいう特権は性別や年齢、国籍や障がいの有無などでしたが、今回の「香害」の話やアレルギーなど社会のいたるところで起きる問題にも通ずるように思いました。様々な人がいる中で、全員にとっての幸せを実現することはすごく難しいことなのかもしれません。だからこそ、無自覚だった私があなたの思いを知り、それを踏まえて色々なことを考えたこの時間がすごく貴重だと思いました。投稿ありがとうございました。

感想2

読ませていただきました。私も香水や柔軟剤(化学物質)の匂いが苦手なので、あなたの苦しさについて共感を覚えながら読ませていただきました。

嗅覚や視覚はなかなか未然に防ぐための対応が難しいなと思っています。油断している時に、どうしても不意を突かれてしまう辛さは大きいなと思います。私の考えるところですが、強い香水や柔軟剤を使えば使うほど、匂いに鈍感になっていき、より強い匂いでなければ分からなくなっていくのではと思ったりしています。自分の家の匂いが感じられないみたいな、それは「慣れ」と呼んでも良いのでしょうかね。(慣れは恐ろしいですね。)

聴覚などがデシベルなどの騒音に当たる数値的な基準があるのに対して、なかなか数字で測定しにくい特徴もあるのでしょうか。調べてみたら、臭いも「臭気強度」と呼ばれる6段階で評価される数字などがあったりするのですが、騒音に比べてメジャーじゃない気がしています。

感覚過敏の個人差はもちろん、匂いは遺伝子レベルでの快不快があると聞きますから、数値を基準にできない難しさもありそうです。

自分が苦手なところには近寄らない、ことでやり過ごしていますが複雑な気持ちもあります。もともと備わった感性や感覚であって、具合悪くなってしまうのは、あなたが悪いわけではないのに、自分自身を責めたり、生きづらさを感じるのはもどかしい話です。

少しずつ「香害」の認知度が上がってきているようにも報道されています。消費者がそれを必要としなくなる、企業が開発をしなくなる、販売しなくなる、様々な角度で「香害」が引き起こされない社会になって欲しいと私も切に思います。

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