私は統合失調症だ。
もう発症してから14年もこの無駄と付き合ってきた。
幼い頃に親が離婚し父親に引き取られたが、
その父は精神的に負担を背負っていたのか、当時小学生だった私を毎夜暴行した。
生傷の絶えない私を見て、担任の先生は市に通報してくれた。
やがて私は祖父母が引き取られた。
祖父母だけでは負担は大きいと叔父も子育てに参加した。
中学生の頃に私はいじめを受けた。
気にしないふりをしても、心が受け付けてくれなかった。
今思えばそれが頭の中のノイズに繋がった気がする。
不登校になった私は叔父になぜ学校へ行かないのか?なぜ逃げるのか?
怒声と暴力でまたあの毎日を送るようになった。
幸い担任の先生は親身になって私の辛さと向き合ってくれて、定時制高校の道を示してくれた。
私の無気力や考えの纏まりのなさが一旦はなりを治めていた。
高校生のとき、初めて恋人ができた。
友人もたくさんできた。
でも些細なきっかけから喧嘩をしてしまい、私がおかしいのだと
お前は気が狂っているのだと言われ、パニック障害を起こしてコミニュティから疎遠になった。
それから私の頭の中では幻覚と幻聴が続いていた。
叔父からは相変わらずなぜ人と向き合わないのか?なぜ自立しようとしないのか?お前は頭のおかしなフリをしている、となじられ続けた。
19歳のとき統合失調症と診断された。
翌年、ケースワーカーさんから障害年金の受給を勧められた。
障害年金の加入が認められ、訴求請求が出来るようになった。
それまでのバイトなどでは手にしたこともなかった額面が通帳に振り込まれていた。
それを見た祖母は私に50万円援助してほしいと頼み込んできた。
私は祖母に今まで育ててきてくれた恩があるからと通帳を渡した。
年金を受け取ってから3週間後、私の通帳は空っぽになっていた。
私は祖母になぜこうなったのかを聞いた。
私の弟が未成年で無免許運転をして事故を起こしたから、
その賠償に50万円を充てたと言った。
弟が遊ぶ金欲しさに祖母を恫喝して残り全てを下ろさせたことも知った。
私はとても悲しかった。
何かしらこの苦しみに一歩踏み出せるきっかけがあるんじゃないかと、金銭ごときに浅はかな希望を抱いていた。
今まで耐えてきた気持ちが、一気に無気力となって体を襲った。
それから10年間、何も出来ずベッドの上でただ無気力に生きるか、自死を試みて失敗するだけの毎日を送った。
そんな状況を見かねた叔父はいよいよ私を家から追い出した。
今まで育ててきてもらったのだから、その金は感謝の気持ちがあるなら水に流すのが当たり前だと。
あれから少し月日が経ち、私はなんとか一人暮らしをしている。
がんばる自分を見繕って、社会に溶けこみ、仕事だけをして家に帰り眠るそんな生活。
毎日毎日、無理矢理生きようと自分に言い聞かせて、そして折れそうになっている。
何処にも行き場のないこの纏まりもなく、建設的にもなれない気持ちを吐き出したかった。
経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
自分の理不尽はまわりの人にとっては普通
感想2
読ませていただきました。感じたのは、あなたの人生における山と谷でした。それもやっと登れたと思える山の先から、突然、理不尽に突き落とされるような経験を何度もされてきたような印象を受けました。
両親の離婚、父からの虐待、祖父母に引き取られる経験、それだけでもどれだけ安心を奪われる経験だったろうと、そう思います。家にも学校にも居場所がない谷底の中、必死に居場所を探し、山を這い上がるようにしたのではないでしょうか。親身になってくれる先生、恋人や友人ができたのも束の間の出来事。
突き落とされた先は、おそらくスタートしたところよりも更に低い位置、山はより大きく見えたのではないかと、想像します。
それでも、一緒に山を登ってくれる支援につながりながら、希望を抱き踏み出そうとした矢先、それも「信頼や感謝」という文字から、「裏切りや憎しみ」にひっくり返ってしまうような出来事というのは、あなたにとって立ち直れないほどのことだったのだと感じました。
私はこのことに「お金」の問題ではなく、幼い頃から求めてきた「愛情や安心や優しさ」を奪われたということが問題だったのではないかと感じてなりません。
あなたが揺れている土台の上、しっかり立つということは人一倍大変なことで、たくさんの支えがあってこそだと思います。そんな中、「育ててくれた恩」をもてる人から傷つけられるということは、あなたには「恩を感じる人を失う」ような経験だったのではないだろうかと思います。
「お金を失う」ではなく、「恩を感じる人を失う」ことは人生において、簡単に水に流せるような問題ではないと感じます。「失う」だけでなくもしかしたら、悲しみの向こうに、本当は「憎しみ」もあったりするのかな。
どこか消化しきれない思いを抱きながら今日、一人暮らしをされているとのこと。どこか、俯瞰されて書かれたあなたの経験談に、距離を取らないと、感情に呑まれてしまいそうだったりするのだろうかと思いながら、一緒に理不尽を、わめき散らしたい思いもあります。
まとまりがなくても、建設的でなくても、またいつでも気持ちを吐き出しにきてください。
感想1
投稿ありがとうございます。
あなたがしてきた経験は、タイトルの通り「理不尽」なものばかりだったのだな…と痛いほど感じました。それが当たり前といった生活を送ってきたことも読み取れたため、「まわりの人にとっては普通」と書かれていることにも納得といいますか、あなたがいかに「理不尽」な「普通」の中、孤立無援状態で生き延びてきたのかと想像せずにはいられませんでした(想像できないほどの経験だと思いつつ…)。「吐き出したかった」という気持ちを抑え込まずに、ここに書きに来てくれたことに心からの労いと敬意を表したい気持ちになっています。
両親の離婚後、父に「暴行」され続けた日々は体だけでなく、心に深い「生傷」をつけただろうと想像します。担任の先生が通報してくれたことはよかったなと思いつつ、引き取られた先で叔父によって再び「怒声と暴力」の日々が訪れたことには、悔しい気持ちと無力感を私は覚えました。学校での「いじめ」は結果的に今のあなたの「ノイズ」につながると思えるほどのものであったにも関わらず、そこから(きっと無意識に)身を守るための「不登校」を叔父に否定されたことには、勝手ながら怒りの気持ちが湧いてきます。わからないだけだとは理解しつつ、あなたの話やSOSが少しでも拾われていたら…と非常に歯がゆい気持ちになりました(ただでさえあなたは父による暴行で傷ついて叔父のもとにたどり着いたはずなのに…とどうしても思ってしまう私がいました)。
定時制高校での「喧嘩」は、良好な人間関係を築くことができた分、あなたにとってショックが大きかったのではないかなと想像します。ただ、あなたが「言われた」ことだけを見れば、一方的に人格を否定されるような文言にも思えたので、本当に対等な「喧嘩」だったのかな?と、少し私としては疑問に感じました(「喧嘩」は対等な関係で起こるというイメージが私にはあります)。いずれにしても、深い傷を負ったあなたを前にして、叔父は再び「いじめ」の時と同じように反応したのだなと思い、二重にも三重にもあなたは傷ついただろうと感じます(実際、こうしたことは「二次・三次加害(被害)」などと言われるものだと思います)。
その後、あなたはお金をめぐっても「理不尽」な思いをしてきたのだな…と思いました。私の話で恐縮ですが、私の周りにもお金をめぐって人間関係や生き方を崩してしまう人がおり、それを見て(あなたの言葉のまま)「私はとても悲しかった」とただ立ち尽くすしかできなかった経験があります。その時に感じたなんとも言えない脱力感や虚無感は、もしかしたらあなたの言う「無気力」と近いものだろうか…と勝手ながら思いを馳せています。そう思うと、傷だらけだったあなたにとって、それが決定打となって限界を迎えたのも無理もないと私は思いました(むしろよくここまで耐えてきたなと心から思います)。
そして今あなたは「なんとか一人暮らしをしている」とのことで、その力はどこからきているのだろうと聞いてみたい気持ちに私はなりました。「折れそうに」なりながら必死にやっているだけ。そうせざるを得ないから「無理矢理」そうしているだけ。もしかしたら、そういう状態なのかもしれないなと思いつつですが、こう問われてあなたは何を語るだろうか…と気になりました。あなたのしてきた経験は言葉では簡単に言い表せないものだと私は感じます。しかし、ここまであなたが言葉にしていることを含めて、あなたの言葉をまた聞きたい、一緒に考えたいと強く思わされました。よければまた必要に合わせて書きに来てください。改めて、投稿ありがとうございました。