経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

矛盾ってなんですか

とある1人の友人に、「言動が矛盾している、防御線を張られているように感じる」と言われました。他の友達には言われたこともなく言われるまで考えたこともありませんでした。

何が矛盾しているかもわからず、その時その時の気分で答えているのがいけないのかなと思うのですが、じゃあなんて答えたらいいの?と思ったり。治したいとは思いながら、治すの無理じゃない?と思ったり。
矛盾した自分を否定すること、認めたくない、受け入れられない、そんな日々で早くしんでしまいたいな〜と思います。いざそうなると怖くなったり迷惑かなと思ったりして行動にも移せない。

結局自分は何がしたいのかも分からず、説明もできない、行動に理由もなく怒られてもあまり分からない、死のうと思うことが逃げなんだとは思っています。

でもじゃあどうしたらいいのって思いますが、人に聞くのは違うのかなと思ったり。

これを書いてる今もよく分からないし、何だかぼんやりしているなと思います。

どうしたら矛盾はなくなるのでしょうか

感想1

経験談の投稿ありがとうございます。
「言動が矛盾している、防御線を張られているように感じる」と自分が言われたらどう思うだろう?と想像して読んでいたのですが、どういうこと?と混乱して、ちょっと腹も立ちつつ、でもなんとなく凹んで、しにたいなーって感じるような気がしました。だからあなたの心境には、勝手ながら共感しています。

私は周りに言われたことをすごく真っすぐ受け取ってしまうタイプなのですが、最近それじゃ何か違うのかもな、と思っています。
言っている”内容”よりも、「なぜその人がそう思って、わざわざ言うという行動にまで出ているのか」という、言っている”人”に目を向けたほうが、適切に理解できるというのか・・・「あなたって○○だよね」と言われると「そうか、私は○○なのか」と思ってしまうけど、それは「あなたは○○だと”私は感じた”」という相手の主観の話だから、自分の問題というより、相手の主観の問題というのか・・・。うまく説明できてない気がしますが、そう感じています。
その切り口で考えてみると、問題はあなたの言動が矛盾していることではなく、その友人が「矛盾が気になってしまう」状態にあり、「防御線を張られていると感じる」、つまり防御線に何かしら思うところのある状態にある、という話になります。私は相手の防御線や矛盾を感じることは多いですが、どちらも人間の自然な心の働きだと思っていますし、相手に言うことはほとんどありません。じゃあ自分が相手に言うのはどういう場合だろう?と考えると、相手と仲良くしたいなどの望みや期待があるときか、何か思ったことを言わずにはいられない精神状態にあるとき(簡単に言うと調子が悪いとき)かなあ、とは思いました。

なんだか話がずれて、何も回答になっていないものになってしまいましたが、私はそう感じました。
あなたにとっては「矛盾」の話だったかと思うのですが、私は人間関係の話だと理解し、人間関係って難しい・・・と今しみじみ自分の経験も振り返りながら感じています。まとまらない感想ですみません。

感想2

投稿ありがとうございます。
友人の一言が妙に残ることってあるよなぁ…と思いながら、投稿を読みました。
あなたの友人はあなたの「言動が矛盾している」こと、また「防御線を張っている」ことを“指摘”に近いニュアンスであなたに伝えてきたのかなと感じました。あなたにとってそれは思いも寄らない=「考えたこともない」指摘だったのかと思い、さぞかし戸惑っただろうと思います。あなたの動揺やショックをまずは受け止めたいと感じました。

ここで少し私の話をさせてもらうと、私も実は「防御線を張っている」という意味合いで「よくわからない人」と周りの人から言われてきました。その都度、あなたと同じように「何が」そうなのか「わからず」「じゃあどうしたらいいの?」と思い、「それはいけないことなのか?」と考え込んでしまったこともありました。しかし、想像を膨らませてみると「よくわからない人」と私に言う人は、私のことをもっと「わかりたくて」そう言ってきたのかもしれないし、話したいのに「わからない」からうまく話せないんだと伝えたくてそう言ってきたのかもしれない…などと、いろいろ考えられそうだと私は思うようになりました。そう思うと、その人もある意味では「矛盾」した言葉を私にかけている(「わかりたい」のに「わからない人」と伝えてくるといったある種の「矛盾」)と言えるかもしれず、人間関係や生きるということは実は「矛盾」だらけなのかもしれない、「矛盾」だらけの世の中で私たちは生活しているのかもしれない、と私は考えるようになりました。
このことは「矛盾した自分」を「受け入れられない」と感じる(ということであってますかね。間違っていたらすみません)あなたにとっては少し苦しい話かもしれません。しかし、「矛盾」することは必ずしも「否定」しなくてもいい(される筋合いもない)のかもしれないと私は考えます。指摘されるとドキッとしますが、そもそも「無理じゃない?」と感じることは「無理」っぽいぞと放置するのもありなのではとも私は思いました。
「どうしたら矛盾はなくなるか」の回答に全くなっていない感想で申し訳ないのですが、あなたが聞いてくれたことで考えたことをそのまま書かせてもらいました。「人に聞くのは違うのかな」と思いつつ聞きに来てくれてありがとうございますと最後にお伝えして、感想を終えたいと思います。

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