経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。
人の顔色を窺わず自分の考えを伝えたい
大学院生です。いい年してこんな投稿してしまうことをお許しください。
今の悩みは2つ、人にうまく物事を説明できないことと、顔色を伺ってばかりしまうことです。
1つ目についてです。
昔からよく整理してから喋ってくれと言われることがありました。
頭の中で考えていることがそのまま口から出てしまうため、言葉の統一性のなさや論理の飛躍などがあったのだと思います。
小さい頃はただ嗜められるだけでしたが、だんだんとその程度では済まなくなってきます。
中高では同級生と話をしても、相手が一瞬戸惑った表情を見せて、私の話を「理解する」瞬間が見えます。
また、雑談じゃない真面目な話、例えば勉強など、でも要領を得た説明はできず、そのうち聞いてもしょうがないと言う扱いになってきます。
大学以前は1人で勉強さえできていればなんとかなっていましたが、
プレゼンなどはへたくそもいいところで、サークルの運営も、報告がうまくいかず、ミスなども多い性分なので迷惑をたくさんかけてきました。
また、4年生以降の研究室での報告の際には何度もうまくいかず、先生の苛立ちが手に取るようにわかりました。
私としても、お金や貴重な機会をいただいているのでしっかりとまとめて報告するべきだと思っています。
しかし、何度やってもうまくいかず嫌味まじりの指摘を言われる生活はもう5年を数えました。
最近では恐怖からか研究を進めるのが嫌になってきて、モニターをただ数時間見つめるだけです。
結局成果もなく、報告もさらにうまくまとめることができずしどろもどろでさらに怒られます。
なにより、仕事を碌に進めない無責任な自分がさらに嫌になっています。
この悪循環はどうやれば止められるのでしょうか。
そして仮に今の環境を抜け出したところで、この問題は私の性分によるものです。
結局は同じ問題に当たってまた苦しみ迷惑を多くの人にかけるのが目に見えています。
解決策はもう消えて無くなるだけだという結論しか見出せません。
2つ目についてです。
両親は気分屋だったので、昔からよく顔色を伺ってました。
特に離婚後は母親の元について行ったのですが、(1人で私の面倒を見てくれていたのもあり)疲れていることが多く概して機嫌は良くなく、つまらなく理不尽なことでしょっちゅう怒られていました。
なるべく怒られないように、そう言う状態を見抜くように心がけていたのですが、それを続けてきたせいか、親以外の人の顔色も伺ってしまいます。
それもあり、なるべく相手の意向に添えないことを言うのが怖くなりできない人間になりました。
そのため無理なお願いも引き受けて、後でなんとか帳尻を合わせるために苦労してきました。勝手に仕事を増やして、馬鹿みたいだなと自分でも思います。
また、子は親に似るのかどこか自分の中にも言わなくても自分が不機嫌(か困っている状態)であることを他人は察して見抜くべきだと思う瞬間があります。
顔色を窺わなければならない理不尽さをわかっているはずなのに、同じことを他人に課してしまう自分がとても嫌いになります。
他人の感情を想像して一喜一憂するのには疲れました。
以上に2点とも自身の性格によるもので、どうしようもないのかなと諦めていますが、ここに吐き出せてよかったです。
こうして書き出してみると、1点目の性質で仕事がうまくいかず悩んでいるのも、2点目にあるような人に怒られたくないという子供っぽい考え方のせいで余計に苦しんでいるだけなのかもしれません。
いつになったらまともな大人になれるのか、自問していきながら、今後も仕事をしていくほかないのでしょうね。
お目汚し失礼しました、ありがとうございます。
感想1
投稿ありがとうございます。
「うまく物事を説明できない」を全く感じさせない文章だなぁと率直に思いました。しかしそれはあなたが散々そのことで傷ついてきたからで、そうならないよう必死に努力してきた結果なのかなと勝手ながら想像しています。また、ここでは「人の顔色を窺わず自分の考えを伝え」ることができたかなぁ…とも思い、そのあたりをいつかお聞きしてみたい気持ちです。
2つの悩みが分けて書かれてあったので、私も分けて感想を書きたいと思います。かつて私も大学院生だったので、そのことを思い出しながら書かせてもらいました。
1つ目の悩み「うまく物事を説明できない」について
冒頭に書いたように、正直この悩みにピンとこなかった私がいますが、「頭の中で考えていることがそのまま口から出てしまう」ことであなたが苦労してきたことが伝わってきました。いわゆるお口の多動と言われる傾向があなたにはあったのかもしれませんが、人によって特性は多様で、得意不得意も当たり前にあるものだと私は思います。そのことで「嫌味まじり」に「怒られ」ては堪ったものではないだろうな…と率直に思い、私がもし大学院生の頃にそうした経験をしていたら(これまでの積み重ねも経験していると仮定して)人や研究室にいる(行く)ことを怖く感じるだろうと思いました。そのため、あなたが「恐怖から」「研究を進めるのが嫌にな」るのも無理はないと私は感じます。
自分の考えを言葉にする=説明する行為は、自分の身体の中だけで完結する行為に見えるので、努力不足かのように認識されやすいのかなと私は考えました。しかし、よくよく考えてみれば、自分の身体や気持ちはままならないものですし、何より、説明は伝える誰かがいて成り立つ行為なので、他人や環境の影響を受けないわけはないと私は思います。あなたは「仮に今の環境を抜け出したところで、この問題は私の性分によるもの」と書いていますが、あなたの特性的なものはあるとしても、環境の問題は大きいように私には思えました。研究の世界は業績などがあり、競争の論理が働く世界かと思いますが、苦手や弱さを分かち合い、協力しながら研究ができれば新たな視点も生まれそうなのに…と思いつつ、あなたには少しでも安心できる世界(環境)にいてほしい気が私はしました。
2つ目の悩み「顔色を窺ってばかり」について
「気分屋」の「親」に振り回されては「相手の意向に沿」うことしか言えなくなってしまったり、察知しないといけないと感じたりするのも当然であり、それはあなたの生きる処世術なのだろうと私は思いました。それがうまくいかないと「怒られ」るから、さらに顔色を伺うようになり…といった連鎖があなたを覆っているようにも見えました。これは常に緊張状態にいることと同義だと私は思うので、相当「疲れ」るだろうと思います。この連鎖を断ち切るのは容易なことではないと思いますが、個人的には「怒られ」るが間に挟まることがネックに思えたので、あなたの気持ちを「怒られ」ることなくそのまま言える(聴いてもらえる)機会が大切なのかなと感じました。「ここに吐き出」すことがそのひとつとなっていたらいいなと思いますし、「人に怒られたくない」のは「子供っぽい考え方」ではなく、「怒られ」ない環境は誰もが必要としているものだと私は思います(そもそも「子供っぽい考え方」をしてもいいと私は思います)。
最後に、2つの悩みで共通しているのは、あなたがたくさん「怒られ」る経験をしてきたということのように私は感じました。そのことの「恐怖」や傷が「説明」の悩みも「顔色」の悩みも生み出すことになっているのかと想像します。「怒られ」るのは「怒られ」る側の問題とされがちですが(こどもの頃は特に)あなたの文章を読む限り、あなたに問題があるという話ではないように私は思い、そのダメージをまずは労わってほしいなと思いました。これからのあなたの道を陰ながら応援しています。またよければ書きに来てください。
感想2
経験談の投稿ありがとうございます。
スラスラと読めて、かつあなたの状況をしっかりと想像できる…そんな文章だったからこそ、「人の顔色を窺わず自分の考えを伝えたい」というタイトルに少し驚いている自分がいました。(しっかりとあなたの想いが伝わってきましたからこそ…の気持ちでした)
そして私も、人の顔色を窺って会話するたびに疲れてしまうような性格なので、勝手ながら「通ずるところがあるかも…」と思い、何度も頷きながら読ませていただきました。
「考えていることを発してしまうこと」「周りに合わせてしまう事」、”消えてなくなるだけだ”と思うまでに、沢山あなたの持つ悩みと向き合ってきたのだと想像しています。
私は、あなたが幼い頃から親の顔色を窺いながら生活してきたからこそ、「相手が今どう思っているのか」「相手が何を求めているか」などが、人一倍わかる性格(分かってしまう…と言うべきでしょうか)なのではないかと勝手ながら思っています。だからこそ、同級生のいつもと違う反応や、先生の苛立ちを感じとった時も、より自分自身を責めてしまう、責めざるを得ないような…、そんなことを想像していました。(私も、相手のことを気にして行動してしまう性格なので、”人の反応センサー”のようなものがいつも発動してしまい、生きづらいなぁ…と常々感じてしまいます)
ですが、私はあなたの抱えている苦しい気持ちは「あなたの責任ではなく、社会の責任なのではないか…」と勝手ながらお伝えしたい気持ちです。
得意なことや苦手なことって、私は”人それぞれ”だと思っています。だからこそ、その”人それぞれ”な部分を「理解してくれる環境かどうか」はすごく重要なのではないか…と思っています。
プレゼンやサークルの運営なども、「できなくていい」「ミスして良い」という環境であれば、あなたはもっとのびのびと取り組めたのではないか、研究に対する恐怖の感覚も感じずにいられたのではないか…なんて勝手ながら思っていました。
もちろんこの思いは、私の理想論でしかない…と言われればそれまでだとも思います。あなたがこれまで耐えてきた苦しい気持ちや自分との向き合い方、生きづらさは変わらないかもしれません。
ですけれども、私はどうしても、あなたが抱えている苦しい気持ちは、あなたの責任にしたがる”社会の責任”なのではないかと思ってしまいましたし、得意なこと、苦手なことを補い合えるような…そんな理解のある社会にしていきたいと強く思いました。
幼い頃の家庭環境の在り方は、人格形成に大きな影響を及ぼすと思っています。
実際に私も、常に怒鳴り声が飛び交う家庭で育ってきたため、自分軸ではなく他人軸として生きている自分に、「また周りを気にしている…」と、自分の行動に心が疲弊してしまいます。だからこそ、「一喜一憂するのには疲れた」というあなたの言葉に、何度も頷きたくなる想いでいました。
「生きづらいなぁ…」と日々感じてしまいますが、あなたが最後に綴ってくれた「ここに吐き出せてよかった」という言葉は、心に刺さるものがありました。私も人の顔色を窺って疲れてしまったときは、文字に書いて頭を整理する時間をつくりたいと思いましたし、もしあなたも、「また書いてみようかな…」と少し思ったときには、また文章を読ませていただきたいな、と思いました。
感想1
投稿ありがとうございます。
「うまく物事を説明できない」を全く感じさせない文章だなぁと率直に思いました。しかしそれはあなたが散々そのことで傷ついてきたからで、そうならないよう必死に努力してきた結果なのかなと勝手ながら想像しています。また、ここでは「人の顔色を窺わず自分の考えを伝え」ることができたかなぁ…とも思い、そのあたりをいつかお聞きしてみたい気持ちです。
2つの悩みが分けて書かれてあったので、私も分けて感想を書きたいと思います。かつて私も大学院生だったので、そのことを思い出しながら書かせてもらいました。
1つ目の悩み「うまく物事を説明できない」について
冒頭に書いたように、正直この悩みにピンとこなかった私がいますが、「頭の中で考えていることがそのまま口から出てしまう」ことであなたが苦労してきたことが伝わってきました。いわゆるお口の多動と言われる傾向があなたにはあったのかもしれませんが、人によって特性は多様で、得意不得意も当たり前にあるものだと私は思います。そのことで「嫌味まじり」に「怒られ」ては堪ったものではないだろうな…と率直に思い、私がもし大学院生の頃にそうした経験をしていたら(これまでの積み重ねも経験していると仮定して)人や研究室にいる(行く)ことを怖く感じるだろうと思いました。そのため、あなたが「恐怖から」「研究を進めるのが嫌にな」るのも無理はないと私は感じます。
自分の考えを言葉にする=説明する行為は、自分の身体の中だけで完結する行為に見えるので、努力不足かのように認識されやすいのかなと私は考えました。しかし、よくよく考えてみれば、自分の身体や気持ちはままならないものですし、何より、説明は伝える誰かがいて成り立つ行為なので、他人や環境の影響を受けないわけはないと私は思います。あなたは「仮に今の環境を抜け出したところで、この問題は私の性分によるもの」と書いていますが、あなたの特性的なものはあるとしても、環境の問題は大きいように私には思えました。研究の世界は業績などがあり、競争の論理が働く世界かと思いますが、苦手や弱さを分かち合い、協力しながら研究ができれば新たな視点も生まれそうなのに…と思いつつ、あなたには少しでも安心できる世界(環境)にいてほしい気が私はしました。
2つ目の悩み「顔色を窺ってばかり」について
「気分屋」の「親」に振り回されては「相手の意向に沿」うことしか言えなくなってしまったり、察知しないといけないと感じたりするのも当然であり、それはあなたの生きる処世術なのだろうと私は思いました。それがうまくいかないと「怒られ」るから、さらに顔色を伺うようになり…といった連鎖があなたを覆っているようにも見えました。これは常に緊張状態にいることと同義だと私は思うので、相当「疲れ」るだろうと思います。この連鎖を断ち切るのは容易なことではないと思いますが、個人的には「怒られ」るが間に挟まることがネックに思えたので、あなたの気持ちを「怒られ」ることなくそのまま言える(聴いてもらえる)機会が大切なのかなと感じました。「ここに吐き出」すことがそのひとつとなっていたらいいなと思いますし、「人に怒られたくない」のは「子供っぽい考え方」ではなく、「怒られ」ない環境は誰もが必要としているものだと私は思います(そもそも「子供っぽい考え方」をしてもいいと私は思います)。
最後に、2つの悩みで共通しているのは、あなたがたくさん「怒られ」る経験をしてきたということのように私は感じました。そのことの「恐怖」や傷が「説明」の悩みも「顔色」の悩みも生み出すことになっているのかと想像します。「怒られ」るのは「怒られ」る側の問題とされがちですが(こどもの頃は特に)あなたの文章を読む限り、あなたに問題があるという話ではないように私は思い、そのダメージをまずは労わってほしいなと思いました。これからのあなたの道を陰ながら応援しています。またよければ書きに来てください。