経験談

生きづらさを感じる人が語る 経験談

経験談はそれぞれの投稿者の個人的な価値観や感じ方をそのまま掲載しています。一部、リアリティのある描写や強い価値観が含まれるため、読む人にとっては負担等を感じる場合もあります。各自の判断で閲覧してもらえるようにお願いします。

死にたいのに子どものことを思うと死ねない

今精神が辛い人はこの内容を読んで負の連鎖に陥る可能性があるので読まない方がいいと思います。

幼少期、父から虐待を受け育った。
父は酒が入り、少しでも勘にさわることをすれば殴る蹴る髪の毛を掴んで引っ張りまわす、物を投げる、長時間の正座、寒空のした下着一枚でずっと家の外に締め出すなどは当たり前で下に弟妹がいたが母親曰く私が1番被害を受けていたらしい。
あまりにも酷い時は母が止めに入って代わりに母が暴力を受けるので子どもたちでもう辞めて、わたしが悪かったごめんなさいと泣きながら謝りそんな日々。
しかし週末などはいつも必ずどこかの公園に連れて行ってくれたりしていたので小学校の頃は母より父が好きだった。
中学になると段々私への当たりがきつく、包丁で足を刺されたことや階段から突き飛ばされて一階まで転げ落ち骨折したこともあり、徐々に父への殺意が沸く。
しかし相手は体重100kg超える巨漢、こちらは中学になったばかりの女。
力で敵うはずもなく、どうしたら殺せるかより私が死ねばいいんだと考えるようになる。
この時に自殺のようなことをしたが普通に死ねず死ぬのは難しいのかと思う。
高校になると父が隠れてギャンブルで借金していたことも発覚して離婚成立。
この頃は大人への愛を求めて不特定多数の人と性行為をするように。
気持ちがいいと思ったことは一度もなく、ただ単にJK目当ての20〜50歳くらいの男に求められることだけが嬉しくて応じていた。
社会に出ても仕事が長続きしなかったがなんとか挫けることもなく生きてきてついに結婚。
主人は15歳年上で育児、家事は女の仕事。働いてもバイトだから微々たる金なら働きにでず家のことを完璧にしてほしいと。
そういう夫婦の認識のズレとコロナ環境のせいで初めてリスカをしてしまってそれが1カ月ほど続き、このままではダメだとメンクリ受診。
最初は鬱診断だったが薬を飲んでも効果が無く、医者は躁鬱の診断に切り替えた。
この頃にODを覚えてしまい、ある日いつもよりかなりの量を飲んで嘔吐と昏迷状態に。
通っていたメンクリの先生が県外出張でおらず、電話で助けを求めて帰ってきてくれた主人とかかりつけの近所の内科へ。
そこで入院ができる今現在通っている精神科へ紹介状を書いてもらいそのまま入院に。
入院してはすぐに退院してを何回か繰り返しているうちに精神的に病むことは少なくなり、むしろ行動的になる。これが多分躁鬱のハイ状態。
持っていれば全部パチンコに注ぎ込むようになり、パチンコのためと家計が苦しくなったので消費者金融からお金も借りた。

現在は任意整理して借金を返していっているが相変わらず主人の理解の無さと育児、家事に週3くらいで行っている仕事で日々の疲れがたまっているのかふとした時に今死ねたらいいのにと思うように。
一年ほど前に自殺の名所と言われる場所へ1時間半かけて行って死のうとした寸前のところ、ネットで知り合った病み界隈の友人からの電話で助けられたことがある。
今そこまで行く気力は無いが、また行ってしまったら迷いなく死ねるだろうと思っている。
躁鬱に、PTSD、ADHDの衝動性が強いらしく行動にうつしてしまったら終わりだと思う反面、早くこんな人生から解放されたいとも思う。
子は親を選べないというし、もちろん自分もそのように思ってきたのになんで子どもをつくってしまったのか、なんで結婚してしまったのか。
自分にできなかった、足りなかった部分を求めてしまったのだろうと思う。
子どもたちのことは愛おしくかわいい故にこんな母で申し訳ないと思う。
いなくなったらたくさん泣くし寂しい思いさせることも分かっている。
それでも自責の念が強く、死にたい気持ちと毎日向き合っている。

こんな辛い過去のことを思い出す度に早く死にたい、どうやって死のうと毎日検索する日々。
それなのに日常生活は今のところ普通に送れているのだからよく分からない。

私よりもっともっと辛い体験をしている人はいっぱいいると今までずっと思って頑張ってきたけどもう疲れました。
早く死んでもし叶うなら今度はちゃんとしたいい母で今の子どもたちのことを迎えたいです。

感想1

過酷な経験の数々に圧倒されながら、あなたが生き延びてきた日々を一緒に追いかけるような気持ちで読ませていただきました。
「死にたい気持ちと毎日向き合っている」とのことでしたが、両価的な思いの間で揺れながら、一日一日をなんとかやり過ごしているのではと想像しています。
それはなかなかにしんどいことですし、自分ではコントロールし難い感情を抱え続けていくことにほとほと疲れ切ってしまった・・そんな姿を思い浮かべています。

父親による暴力と支配の世界は、幼いあなたにどれほどの影響を及ぼしたのだろうかと、胸が詰まるような思いで読みました。
ある心理学者が「家庭の中こそ無法地帯だ」と言っていたことを思い返しているのですが、他人であれば犯罪になり得る暴力行為が、家族となると閉ざされ押し込められてしまうことの理不尽さには、いつも悔しく悲しい思いでいます。
「私が死ねばいいんだと考えるようになった」とのことでしたが、どこにもぶつけられない憤りと無力感を、ご自身に向けるしかなかった状況だったのかなと想像しました。
そんな中で起こした行動の数々は、いずれもあなたが自分で自分の壊れそうな心を守り助けようとするための手段だったのではないかと私は感じています。

現在も、ふとした時に死ねたらいいのにと思うとのことでしたが、危機的な状況が過ぎ去った「いま」だからこその苦しさがあるのかなと感じました。
子育てをしながら仕事をするだけでも大変なのに、夫の理解が得られないことはじわじわと削がれる瞬間のように思います。
どこかで抑止のセンサーを働かせながら、ギリギリの状態を「日常生活」でもってバランスを保っているのかなと、そんな想像をしています。
お子さんに対して自責の念を感じていることも書かれていましたが、頭ではよく分かっていても、どうにも拭えない葛藤と日々戦っていることが伝わってくるようでした。
つらいことしかなかった世界と自分の繋がり方を編み直そうとする故の苦しさでもあるのかなと感じています。

複雑な胸の内にひっそりと心配を寄せつつ、気持ちがせめぎ合って嵐が来そうになるときは、よかったらまたお話を聞かせて下さい。
経験談への投稿ありがとうございます。

感想2

過去から現在に至るまでの経験を事実や認識をベースに書いてくれている経験談だと感じました。当時の感情も含め冷静な筆致で書かれていて、まさにあなたが辿ってきた人生の経験談という感じがしました。(もちろん、色々な形の経験談があっていいのですが。)
幼少期から壮絶な体験を重ねながら、あなたなりの方法で逃げ延び、生き延びてきたことを文章から感じました。そしてそれでもこの一文一文の間にもっとたくさんの大変なことや、しんどさの肌触りがあるであろうことも感じています。

不特定多数との性行為もギャンブルも自殺の名所に行くことも、それがないとどうにもならない苦しさの中の、あなたなりのその日その日の対処法だったのだろうと感じました。逆にいうと、自分の持ちうるエネルギーをすべて行動に注ぎ込まなければならないくらい、強い苦痛がずっとあったということだとも言えそうだと思いました。
「衝動性が強いらしく」と書いてありましたが、文章からあなた自身のエネルギーや行動的な性質を感じました。ちなみに私も家庭環境によるトラウマと生まれつきのADHDの性質があり、しんどいときにはとくに行動が大きくなりがちで自分のコントロールできなさに絶望的な気持ちになることが多々あり、自分自身や自分の人生とても操縦の難しい乗り物のように感じることがあります。そのため、「行動にうつしてしまったら終わりだと思う反面、早くこんな人生から解放されたいとも思う」という文章にはとても共感しました。一方では、「このままではダメだとメンクリ受診」などの行動力や、ネットの友人との関わりなどの面は、あなたを支える力にもなってきたのかなとも感じました。

「日常生活は今のところ普通に送れている」と書いてありましたが、その普通を維持する間にも気づかないうちに負荷がたくさんたまってしまいそうだと想像しました。「普通」の日常や平穏の力加減ってとても難しいし、やらなければいけないこと、考えて調節しながら動かなければいけないことはたくさんありそうです。「死にたい気持ち」というのを簡単に他の言葉で置き換えることはできないと思いますが、もしかしたら、あなたの「死にたい」の中には頑張ることから一度手を離したい、疲れたからなにもせずに立ち止まりたい、という部分も含まれるのかなぁと思いました。(私がそんなふうに感じることが多いので、私の感覚を押し付けてしまっていたらすみません……。)でも現実には休もうにも、休むこと自体がかなり難しいことがあるなぁと思います。休む自分を責めてしまったりして休みにならなかったりするし、現在の苦痛や過去の記憶から逃げるには休んでいられないこともあると思います。

子どもたちのことを思う気持ちも強く伝わってきました。死ぬことか、頑張って頑張って我慢することを続けるかの2択以外になにも思いつかないような状況が続いているのかなと思います。「育児、家事は女の仕事」という夫さんの意見がありましたが、育児と家事はとても重労働で、それなのに、それが世の中的にあまりにも認知されないという問題がいまだあると私は感じています。とくに日本はその傾向が強いという調査結果もあります。
「主人の理解の無さと育児、家事に週3くらいで行っている仕事」という状況ではしんどくなるのも当然のことだと感じました。あなたが休める状況になるにはどうしたらいいのだろう……と思います。
本当は子育てを親だけでやること自体かなりしんどいことだと思います。おそらく歴史的に見ても、ここまで子育てが孤立している時代はあまりなかったのではないかと思います。もちろん、過去のあり方がいいわけではないですが、現在も過渡期で、本来はもっとさまざまな人や施設や機関やコミュニティが助け合いながら子育てをできるようになるべきだと私は思っています。
死にたい、どうやって死のうと検索する中で、死にトリを見つけてくださったのでしょうか。息抜きになる場所かはわからないですが、よかったら気が向いたときにアクセスしてもらえたらうれしいです。あなたの言葉を聞かせてくれてありがとうございます。

お返事1

感想1の方も感想2の方も私のことを知っているかのような寄り添い方で涙です。ありがとうございます。
死にトリは生きづらびっとのチャットの方から教えていただきました。

主人には、最近すごく頑張ってて調子良いね!と言われているのですがこれが世間一般で言う当たり前なんだと思います。
私が人並み以下なだけ。
仕事はまだ入社して3ヵ月なのにもう新人の指導を任せられたり、どんどん時給が上がっていってシフトも多くなり、頼られているのは有難いのですが今の私には責任と体力がかなりしんどいです。
人に必要とされたいと思ってしまうので多分自分のキャパを超えてやっていると思うのですがそれがまた自分を苦しめている。

ですが、休もうと思えば実は休めます。
通院先の病院がリフレッシュで入院したいと言えば空きがあれば入院させてくれるのです。
いつももう限界だ!と思ったら入院したいと言って5日ほど入院しています。
自殺企画などが無いということで一日中携帯を触ったり寝たり自由な時間を過ごせて3食何もしなくても出てくる最高の逃げ道を知っています。
ただ今の私は主人から見たらすごく調子が良いらしいので入院になったと言えばなんで!?となるのでしばらくはこの逃げ道が使えません。
いっそのこと頑張れない状態までいけたらいいのに家事に育児に仕事をしているとどこにも責任がついてくるので中途半端にはできません。
なので限界に限界が来て逃げ道が無ければ衝動的に死のうとしたり行動がオーバーになるんだと思います。

たくさんの方の経験談や、つらチェックで自分は1人じゃないんだと鼓舞してやっていくしかなさそうです。
また時間が経って今と心境がどう変わるかお話しにきたいと思うのでその時はまたよろしくお願いします。

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