私は某県の全日制高校に通っている三年生です。共テも終わり、私立は既に合格。後は国公立受験…なのですが、その国公立受験そのものが苦痛です。共テの点数や希望者から鑑みて、入るにはかなりギリギリになるまたは不合格になるのどちらかです。私の意思はギリギリで受かり、意欲の無い国公立より少しハードルを下げた私立の方に通いたいというものです。でも両親はダメ元でも受けてみればいい、どうせ試験はあと一回二回だの一点張り。私のために言おうとしているのは分かりますが、その言葉すらも苦痛に感じます。行きたくないと涙ながらに訴えても、二人で結束して上述した言葉を繰り返すだけ。やる前に諦めるのかと責めてきます。確かに言わんとすることは理解できます。でも、これ以上頑張ると私が私じゃなくなって、壊れてしまうかもしれない、そう思います。他のみんなも同じだと、何度も言います。最近発覚したPMS、そのための薬、ピルの副作用で常にさがりつつあった気分も随分下がり、だれかと顔を合わせることも、声を聞くことも苦痛に感じるようになりました。やらないことは甘えであるという考えなのかもしれませんし、やって諦めた方が随分いいという考えなのかもしれません。よく分かっています。では、それが重すぎる枷になって、じわりじわりと首を絞めて、弾けた時に抱え続けた私の希死念慮が爆発しても良いということなのでしょうか。もう十分重たいんです。学校に行くことも辛いんです。あと一ヶ月ろくに生きられる確証もありません。最近は食欲も減退し続け、氷砂糖一つで朝ごはんを済ませる時もありました。毎晩毎晩夜が訪れる度に声を殺して泣き続け、やっと眠りについた時間も遅く、朝起きるのも辛くなる。そしてそのグダグダした心のまま引き摺られるように学校に連れていかれ、注意散漫な状態で授業を受ける。つまり限界なんです。何度も早退し始めるようになったあの時期からもう限界でした。兄弟四人居るうちの私だけが唯一昔から一番勉強ができ、分別がきいていたという理由で期待ばかり押し付けます。私はただこうすれば褒められるから。言うことを聞かないと追い出されるから。そんな心境で少し怯えながらも家族としての優しさに絆される日々を送りました。もうどこかで壊れていたのかもしれません。完璧主義で努力嫌い。この二つの要素が今の私を成り立たせるものです。つまり最悪です。最悪のダブルコンボが私の性格です。ガチャガチャのハズレを二回連続引いたくらいです。よく友達からは優しいよ、だとかいい子、だとか言われますが、そうしないと叱られるし落胆させるから、それが自然と身についただけです。拗られた植物がそのまま伸びていくのと同じです。後付けの性格なんてアテにならない。そうして生きると自分が何をしたいのかも分からなくなってくる。路頭に迷った旅人はただ道に従っていくだけでした。もっと道の外へ冒険するという勇気がありませんでした。目の前のタスクを淡々とこなすだけ。頭に湧いた疑問も、抱えながら無視していました。書けば書くほど取り留めが無くなってきました。つまりは他人の期待に応え続けることに疲れ、それから逃れようとしたら自分がどうしたいのかが分からなくなったということです。敷いてあった道から外れ、道に迷うのと同じです。仕方なくまだ見える道に乗り、進んでいく。それだけになりました。
これを書いている今日、学校を休みました。また夜中泣き、気絶するように眠り、朝起きるのが苦痛に感じる。人の声や顔も見たくない。どうしても疲れたから休みたい、明日は絶対に行くから今日だけは休ませて。そう母にお願いしました。でも母は段々エスカレートし、明日も同じことを繰り返す、だとか、このまま学校やめるんだな、とか、挙句の果てには何も言っていないのに泣き出し、この窓から飛び降りて死ねばいいんだなとか言い出しました。どうしたらいいのと泣きます。私はただ縮こまって頭を守るように手を置き、震えながら涙を流しました。一日だけ休ませてくれれば良いのに。ホラー映画よりも怖かった。本当に殺されるかと思った。言う事を聞かないからこうなったんだ。そう思いました。でもこれ以上言うことを聞いたら涙が止まらなくなり、きっと学校に行っても授業にろくに出られず、早退していたでしょう。一日欠席することと、授業を一つも受けずに早退することは何が違うのですか。私にはその理由が分かりません。休むことは許されないのですか。休んだら私は死ぬのですか。休むことで世間に向ける顔が無くなるからですか。ではマラソンのランナーにお前は走ることしかできないんだから休みなく走り続けろと言うのですか。何がいけないのですか。休みたい時は休めば良いという常套句は嘘だったのですか。それとも、よそはよそ、うちはうちの考えですか。それならば私は母とは違う他人ですので、よそはよそで言ってもいいのではないのですか。これは違いますか。思い通りにいかないから怒ったのですが。これは叱りですか?喝ですか?それともまた別の理由ですか?私には分かりません。よそなので。すみません同じ人間ではないし違う環境で育ちましたので。……こんな事ばかりが全て落ち着いた後に思い浮かんできます。学校に欠席連絡は自分で入れろと、それだけ吐き捨てて母は諦めました。母が去っても心からの恐怖は止みませんでした。あの血走った目は何を意味していたのでしょう。
学校に連絡を直々に入れれば、きちんと話を聞いてくれました。取り留めの無い涙声でも、話を聞いてくれました。親よりも話を聞いてくれました。話せば話すほど、自分がどこへ逃げれば良いのかが分からなくなりました。学校にいても辛くなる。家にいても辛くなる。唯一逃げた先がスマホ、インターネットでした。それを触れば触るほど自分はここまで堕落したのだなと自己嫌悪に陥ります。友達に相談するのは気が引けます。私の気分の上下が激しいのは知っています。でも私が泣く理由が私も分からない。もうどうしようも無い対処法に頭を悩ませて欲しくない。ただそれだけでした。親以外の大人たちに面と向かって話をしようとしても、いつも涙喉を塞ぎ、嗚咽が代わりに飛び出します。もしも相談したことが親に知られてしまったら、そんなふうに思っていたのかと罵詈雑言を浴びせてくるかもしれないという不安が大きいです。お前が相談したから恥をかいた。そんなつもりは無かった。お前のために言っていた。この言葉が飛び出してくるのは目に見えて分かっています。そういう人間ですから。母も五十代前後になり、更年期障害が出てきているのでしょうか。それとも私が気づいていないだけで昔から世間一般的に言う毒親だったのでしょうか。そう信じるのも怖いです。だっ優しいから。普段可愛いね可愛いねと言ってくる言葉も嘘になるように感じてしまうから。
先生に電話し、2時間ほどお話した結果、
・自分がどうしたいのか
・期待に応えることが正しいのか
・このまま卒業まで家でどうすごせば良いか分からない
・私が全て悪かったのか
他にもありますが概ねこの当たりが一番口から飛び出しました。希死念慮。鬱。体調不良。これを理由に休むことはいけなかったのかもしれません。泣きすぎて頭が痛いです。できることならもう誰も知らない場所に一人で行き、一人で遊び、一人でホテルかどこかに泊まりたい。全てを失った異邦人になって、ふらふらと旅をしたい。そればかりです。あまり長く書くといよいよ更に取り留めが無くなり、何を言いたいのかが分からないので一旦ここで切ろうと思います。分かりやすい文すら書けないのはとても悔しいことですが、それほど疲れているのだと感じました。
感想1
親が結束して、親の言う通りに行動するよう求めてくる環境で育ち、言うことを聞かないといけないという強迫観念を抱かされ、束縛されてきたことが分かりました。
その中でも、自分がもう限界であることを自覚して言葉にしていることや、無視してきたとは言え頭に湧いてくる疑問を抱え続けてきたことなどから、あなたの持っている強さを感じました。
親の言動について読むと、感情や要求を一方的に押し付けてしまっていて、あなたの追い詰められた状態を理解していないように見えました。
自分の状態を理解していない人からのアドバイスは、自分に合ったものではないと私は思います。それ以前に、一方的に押し付けられる感情や要求などは、受け取る必要がなく、逃げて自分を守っていいと思います。
あなたが自分と親の人格を尊重して、それぞれの境界線を守ろうとしても、親が守らずに侵入してきて、自分の感情も思考も行動も制約されてきたのだとしたら、疲弊するのも当然だと思います。
私は、何をしても、しなくても、あなたはあなたでしかなく、他の誰かに生き方を強制されたり、自分の選ぶ生き方を否定されたりする筋合いはないと思います。
もし書かれていたように、私立大学に通いたいと思うなら、それができるような環境になってほしいです。
また、大学進学をどうするかに関わらず、まずは心身の健康や、日々の暮らしの安全が守られるようになってほしいと思います。
鬱や体調不良のときには、無理に何かをする必要はなく、生き延びることを優先して、自分のケアをできる範囲でやれたらいいのではないかと思います。
今は、逃げるための気力も体力も奪われてしまっていることが伝わってきますが、それでも今までの束縛から逃れて自分の人生を生きようと思っているようにも感じられました。
「自分がどうしたいのかが分からなくなった」と書かれていましたが、文章を読んでいて、理不尽にストレスを与えられることのない生活環境と、誰かと尊重し合って対話することを、望んでいるのかもしれないと想像しました。
もしもあなたと対話ができる人がいれば、今は親が求めた生き方のレールから外れて迷っていても、どこへ向かうか話し合うことができ、それを繰り返しているうちに、自分の道が見えてくるかもしれません。
学校で相談することに不安があるのであれば、SNSやメールで相談できるところを活用してもいいと思います。
最後に、一人でどこかに泊まりたいと書かれていましたが、私も家にいたくない時に一人で泊まれる場所があったらいいなと思います。
あなたが世の中にあってほしいと思うもののアイデアも、よければ色々聞いてみたいです。